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0.01度の特異点 ―計算不能な未来へ―  作者: 最後に残った形


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第5章 第15話:エンジニアたちの朝(未来へのデバッグ)


中央管理塔の最上階から見下ろす魔導都市アルカナ・ハイヴの街並みは、昨日までのそれとは完全に別物へと変貌を遂げていた。


綺麗に整えられていた白磁の幾何学ラインは崩れ、その随所に地下から運び込まれた無骨な鉄骨やジャンクの油圧ジャッキが物理的な楔として食い込んでいる。まるで、世界そのものが巨大な「ツギハギのパッチワーク」で作られたかのような、歪で、不格好な、けれど圧倒的な生命力に満ち溢れた、新しい世界の最初の朝。


「――さて、と。それじゃあ、俺たちの本当の『現場の仕事デバッグ』を始めようか」


テオは、マスター・コンソールの前に立ち、最後のシステムログを閉じながらぽつりと呟いた。

彼の右手には、あの過負荷で粉々に砕け散りかけた真鍮のスパナが握られている。その亀裂の隙間には、ロックが生身でねじ込んだゴーレムの鉄骨の破片が今も完璧に噛み合い、二度と外れない最強の補強パーツ(スプリント)として一体化していた。


「ヘッ、待たせやがって、新入り。現場のチーフをいつまで休ませておく気だ?」


大階段の瓦礫の陰から、不敵な笑い声と共に、肩を貸し合って歩いてくる二人の姿があった。

全身煤まみれで、消滅した機械義手の代わりに生身の右腕を包帯でぐるぐる巻きにしたロック。そして、彼の左腕にそっと寄り添い、ライトブルーの瞳を朝の光に輝かせているセレナだった。


ロックは直立不可能な状態にまで大破した愛機『ジャンク・ゴーレム』の残骸の前に立つと、残された生身の左手でその赤く灼け付いたメインフレームを愛おしそうに叩いた。

「メインジェネレーターは全損、油圧シリンダーも全滅だ。地上の仕様書マニュアル通りなら、こいつは『修理不能な廃棄オブジェクト(ゴミ)』って書かれるところだがな……」


ロックは腰のベルトから、錆びついた真鍮の超大型レンチを引き抜き、不敵にニカッと笑った。

「俺たちの新しい仕様書ルールじゃあ、動かないハードウェアがありゃあ、動くまでパーツをツギハギして叩き直すのが正解なんだろ? これから地下の若い奴らを総動員して、このゴーレムを『バージョン2.0』へ完全オーバーホール(再構築)してやるさ」


彼の言葉には、ランク選別に怯えていたあの下層世界の暗い影は1ミリもなかった。あるのは、壊れた世界を自らの手で直していくという、職人エンジニアとしての果てしない生命力だった。


セレナはロックの隣から一歩前へ出ると、カインから受け継いだあの色褪せた「紙のノート」をテオの目の前へと差し出した。

彼女の喉の魔導回路は完全に消失しており、二度とスピーカーからあの美しい歌声を世界へ響かせることはできない。しかし、彼女は柔らかい笑みを浮かべたまま、手にした鉛筆で、サラサラと迷いのない流麗な筆跡でノートに文字を書き込んでいく。


『――テオ。私の声は、もう届かない。だけどね、私のアコースティック・センサーは今、地上の人たちと地下の人たちが、お互いの名前を呼び合って笑っている、世界で一番美しいノイズを全部受信しているよ』


セレナはノートから顔を上げ、テオのまっすぐに見つめた。言葉はなくとも、彼女のライトブルーの瞳の奥で瞬く光の波形は、世界中のどんなプログラム言語よりも雄弁に、テオへの最大の感謝と明日への希望を「コンパイル(同期)」していた。


「ああ、分かっている、セレナ。俺たちのハック(意志)は、ちゃんと世界に届いたんだ」

テオは彼女のノートを優しく引き取り、その最後のページに、自らの真鍮のスパナの形をした、小さな『デバッグ完了(SUCCESS)』のマークを鉛筆でツギハギのように書き加えた。


ジリジリ、ザーーー……。


その時、テオの耳元で、過負荷で半ば融けかけていた古いインカムの通信回線が、最後の処理シャットダウンを告げる微かな電子音を鳴らした。


「――テオ、ロック、セレナ。……通信プロトコルが完全に枯渇する前に、最後の『引き継ぎ(仕様変更)』を伝えておく」


バッファ・ノードの最深部から響く、老アーキテクト・カインの、どこか晴れやかで、けれどひどく疲弊した声だった。精神統合のデータ津波を受け止めた彼の古い脳細胞ハードウェアは、すでに限界を迎えていた。


「私の……隠しディレクトリの中に、三十年前の初期設計のすべてのソースコード(世界の記憶)と、私がこれまで集めてきたすべての技術リファレンスを格納しておいた。……アカウント名は『テオ・アルカディア』。ルート権限は、すべてお前に譲渡インポートしてある……」


通信の向こうで、カインが古い紙の束をパサリと机に置く音が聞こえた。

「ジレットの遺した洗練されたディストピアは終わった。だが、これからお前たちが直していく世界は、バグだらけの、前例のない未踏のシステムだ。……道に迷ったら、いつでも私の古いコード(ノート)をデバッグしろ。……じゃあな、若いエンジニアたちよ。現場の未来は、お前たちに……コミット(託)する……」


プツン――。


静かな完全終了音シャットダウンと共に、インカムのライトが完全に消灯した。三十年にわたり世界の裏側で意地を通し続けた偉大なる老開発者のデータは、新しくリブートされた世界のシステム・ライブラリの底へと、静かに、そして美しく受け継がれていったのだ。


数日後。

中央管理塔の騒乱から少し離れた、下層世界の静かな境界の丘。

そこには、かつてジレットの冷酷な仕様システムによって医療リソースを打ち切られ、ただの「不要オブジェクト」として処理されてしまったテオの最愛の妹、ミアの小さな墓石が静かに佇んでいた。


テオは新しい真鍮のスパナをポケットに仕舞い、その墓前に静かに膝をついた。

墓石の周りには、これまで地下世界には決して咲くことのなかった、本物の朝の光と不均一なバッファを浴びて芽吹いた、名前も知らない野生の小さな花が、不器用に力強く咲き誇っていた。


「ミア。……世界の仕様書ルールを、完璧に書き換えてきたよ」

テオは墓石にそっと触れ、静かに目を閉じた。

「お前を殺した、あの点数ランクだらけの世界はもうどこにもない。これからの世界は、どんなに不完全なバグだらけの人間でも、明日を信じて、ツギハギのパッチを当てながら生きていける世界だ。……お前の生きたかった未来(仕様)を、俺たちのエンジニアリングで、今度こそ完璧にコンパイルしてやったぞ」


墓前を吹き抜ける風は、どこまでも優しく、テオの頬を伝う一筋の涙のログを静かに拭い去っていった。


「テオ! 新入り、何をもたもたしてやがる! 現場(下層セクター)のメイン排水パイプの制御基板が、新しいOSの負荷で盛大にバグって、オイルが噴き出してるぞッ!」


丘の麓から、即席の機械義手をツギハギで取り付けたロックが、錆びついた大型レンチをハタハタと振り回しながら怒鳴り声を上げていた。彼の隣では、新しい作業着に身を包んだセレナが、ライトブルーの瞳を輝かせながら「早く行こう」と手を激しく振っている。


「――了解サクセス。今行く!」


テオは立ち上がり、ミアの墓前にもう一度深く一礼すると、振り返り、仲間たちの待つ賑やかな現場へと向かって力強く駆け出した。


完璧なシステムなど、この世には存在しない。

誰かが作った綺麗な仕様書の通りに動く世界も、もう二度と戻ってはこない。

これからは、1歩進むたびに新しい例外エラー(問題)が起き、その都度、頭を抱え、泥にまみれながら、仲間たちとツギハギのパッチを当て続ける果てしない日々が続くだろう。


しかし、その不確実な未来バグこそが、人間が意志を持って生きているという、何よりの証明(仕様)なのだ。


テオは右手のポケットの中の、ロックの鉄骨と融合した最強の真鍮スパナをガチリと握り直した。

不完全だからこそ、いくらでも新しく書き換えていける未完成の世界。その無限のソースコードの水平線へ向けて、若き天才デバッガーたちの、果てしなき未来へのデバッグ(旅立ち)が、いま、最高の朝の光の中で、劇的に幕を開けるのだった。


(第5巻:世界再起動(結) ・全5巻・大完結)

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