我らが迷走 ――あの日のヒトラーに転生して、未来知識チートで平和に向かって邁進してみた
……あの時、私はポーランドへ攻撃せよという命令書にサインすればよかったのだろうか。
私がそう悩む時間があると知れば、ゲーリングの奴は驚いただろうか。
それも無理はない。
私が、このアドルフ・ヒトラーが、老いさらばえるまで生き永らえたのは、あそこでポーランド侵攻を始めなかったからだ。
ああ、エヴァ。
キミにだけは話したことがあったね。
キミは信じてくれたのか、それとも理解していなかったのかはわからないが、ただ微笑んでその秘密を聞いてくれていた。
そうだ、あの時だ。
あの1939年の9月、忘れもしないあの時。
私は、アドルフ・ヒトラーになった自分に気づいたのだ。
そうなる前の私は、別の時代の人間、いわば未来人だった。
こうして、総統として30年以上、生きていたのだから随分と記憶は薄れてしまったが、多分、まだ生まれてもいない人間だ。
私にはソヴィエトが崩壊したという記憶も、ワールドトレードセンタービルに飛行機が突っ込んだ記憶もある。
だが、私がこうして生きている以上、それが起こるかどうかは、もう誰にもわからない。
最初はうまくいったさ。
私が慌ててポーランド攻撃を中止させたときの幹部たちの顔は見ものだった。
一瞬、その場で殺されることすら覚悟した。
だが、私は努力した。
そうせねば私とドイツが破滅するのだから、必死に頑張ったさ。
ゲッペルスにはちゃんとドイツ国民が戦争なぞ望んでいないことを説明した。
領土が増えるだけならともかく、これで英仏の介入を招く世界戦争が起こるとなれば、あの世界大戦の惨禍を思い出す、とな。
平和とともにある総統についてお前がきちんと宣伝してくれるなら、だれもがお前を無視できないと説得したものさ。
その場ではヒムラーの反対が一番強かったな。
東方生存権の放棄は、奴にとっては裏切りに聞こえたのだろう。
だが、ポーランド侵攻で英仏を敵に回せば、ソヴィエトが漁夫の利をえることを、私は知っていた。
そう説明してもヒムラーは最後まで無言だったが、翌朝には『総統閣下の英断に従います』という短い電報だけを打ってきた。
あれは奴なりの“保留”だったのだろう。
意外なことに、ゲーリングは反対しなかった
英仏に加えてアメリカまで敵に回る可能性が高いという私の言葉に頷いた点もあったが、
あれは半分以上はヒムラーが反対したから賛成に回ったというのが正しいだろう。
だが、彼の「総統閣下は正しい、ヒムラー君。君は、その正しい意見に逆らうのかね?」というヒムラーへの言葉は、
最終的にヒムラーを同意させてくれた事には感謝はしている。
あの笑顔の醜さは正直引いたが。
翌朝、さっそくポーランド人によるラジオ局襲撃について、対話を継続し、ダンツィヒの問題解決を要求すると発表してやったさ。
実際、ドイツ国民は第一次世界大戦……いや、もう誰もこの名前で呼ぶ人間はいない……の記憶が生々しい。
喜んで戦争に行くバカは、あぁ、ごく一握りしかいなかったんだ。
そこからの道は、薔薇色に見えたんだ。
最初は、うまくいくと思っていた。
なにせ、私には何が上手くいって何が失敗するのか、既に知識があったのだから。
一番効果的だったのは、彼を利用したことだったな。
そう、ヴェルナー・フォン・ブラウンだ。
彼が有能な人物で、彼のもたらす成果が大きいことは、よく知っていた。
だから「予算はつけてやる。お前の夢を存分に果たすがよい」と言ってやったのさ。
だが、やっぱり夢は夢で、巨大なロケットを飛ばす前には、まず大陸間を飛び越える射程と精度のミサイルが必要だった。
フォン・ブラウン自身に正直に説明された私は、そこで頷いてしまったんだ。
案の定、1942年に初飛行したA-8試作ロケットが、地球を半周できると知った瞬間にゲーリングは目を輝かせていた。
「これでワシントンもニューヨークも一発だ!」と喚きながら、奴はすぐさま空軍専用予算で量産を命じていた。
何とか即時開戦だけは押さえつけたものの、そこからのロケット開発は軍事目的と並行せざるを得なかった。
だが、それでもやっぱりフォン・ブラウンは歴史に残る本物の天才で、約束通り人工衛星を開発した。
1949年の秋、私が指示してちょうど10年で最初の人工衛星が打ち上げられたとき――
それを見上げる私は、この素晴らしい技術を、戦争と切り分けることが出来なかった事を後悔していた。
ただ、この時のゲッペルスは、私が知る限りで一番輝いていたな。
いや、あれは流石にやりすぎだった。
国民の支持は得られたが、列強の宇宙開発競争を随分と加熱させてしまったよ。
個人の天才がフォン・ブラウンなら、天才の集団がI.G.ファルベンだったな。
ある夜、私は研究部長たちを呼び出し、最初にペニシリンという奇跡の薬の名前を口にした。
彼らは、たった4か月後には自分たちが既にそれを量産可能であると答えてくれたよ……おかしくないか?
同時に、新たな抗生物質が他にもこのドイツの大地に眠っているのではないか、と発破をかけた。
……いや、私はペニシリン以外の抗生物質があることと、土の細菌からも抗生物質が取れることぐらいしか知らなかったんだ。
だが、天才たちはそんな曖昧な言葉を元に、次々と新たな抗生物質を見つけ出していった。
特に、ストレプトマイシンと呼ばれるその薬は、まだ不治の病だった結核すら治療できる第二の奇跡となった。
しかも、この「ドイツの大地」と言うのが、ヒムラー達の心に刺さったらしい。
「これぞ、ドイツの大地こそ神に選ばれた土地の証です! アーリア人の永遠のための奇跡の薬が生まれるとは!」
……いや、どこの土からでも取れるから、近場から調べろって言ったつもりだったのだが。
今、思い返してみれば、ここまで医学が発展した理由に思い当ってしまう。
彼らは、いくらでも人体実験繰り返すことが出来たのだ。
人体に有害か無害か、実際に効くかどうか、お手軽に結果を調べられるのだ。
そんなことを総統に提出する報告書に残すはずがない、だがあの発展速度は異常だった。
だが、当時の私はそこまで気づかず、素直にドイツ国民が死ななくなったことを喜んだものだ。
あのヒムラーでさえ、アーリア民族の永遠を実現するものだ私に頭を下げていた。
あの時のヒムラーは、普段とは違って心の底から私に敬意を示していた、と思う。
ああ、もう一つ、I.G.ファルベンに与えた指示があった。
「ニーダーザクセンの天然ガスを活用せよ」
私は天然ガスが有用なことだけは知っていたが、
なぜ当時ほとんど使われていなかったのかは知らなかった。
私の指示に、I.G.の担当者は恐縮しながら答えてきた。
「閣下……天然ガスを液化して貯蔵するには、
極低温に耐える特殊タンクが必要でして……
我々にはその技術がございません」
私は首を傾げた。
「……そんなもの、フォン・ブラウンの研究所にいくらでも転がっているじゃないか」
その一言で、彼は敬礼もそこそこに部屋を走り出してしまった。
結果、1944年には、もうドイツは石油を一滴も輸入しなくても済むようになっていた。
……それを聞いたゲーリングが戦争をやりたがっていたが、当然無視した。
ただ、そのガスで動く工場で働き、ペニシリンを作っていたのは、ゲットーに残されたユダヤ人たちだった。
そうだ、これは忘れてはならない私の罪だ。
私にもどうしようもできないことがあった、その象徴がユダヤ人隔離地区……いわゆるゲットーだ。
つまり、私は……ユダヤ人差別を、止められなかった。
努力はしようとした。
1942年の冬、二度目の「水晶の夜」が起きた。
地元の30人の党員たちが、リンツ近郊のゲットーが焼き払った事件だ。
「総統閣下が甘いから、自分たちで最終解決してやった」と供述したらしい。
私は激怒し、己の良心に従い処罰を命じようとした。
だがヒムラーは静かに言った。
「閣下、彼らは貴方の政策に不満を抱いているだけです。
処罰すれば、党は分裂します」
……結局、私は何もできなかった。
あの30人は謹慎処分で済んだ。
焼け落ちたゲットーの灰は、雪と一緒に消えていった。
それでも、私はやれることはやったつもりだ。
アウシュヴィッツもビルケナウも、観光資源も何もないただのポーランドの片田舎だ。
ユダヤ人の国外脱出についてもできるだけ阻止しないように指示していた。
多少の資産の持ち出しよりも、ドイツ国内からユダヤ人が消えたほうが喜ぶ人間が多かったんだ。
でも、私は、ゲットーそのものを、隔離政策を無くすことは出来なかった。
ドイツに残っているユダヤ人は、今も苦しみ続けている。
ガス室なんかには決して送っていない。
しかし、ゆっくりと、隔離された檻の中で老いさらばえて死んでいくのは、それより幸せだと言えるのだろうか?
新聞は今も、ゲットーに残るユダヤ人の数を数えて、最終的解決の瞬間までのカウントダウンを続けている。
それ以外に方法はなかった。
……無かったんだ……。
私の計算を狂わせたものは、他にもいる。
最初に名前を上げるとすれば……あの大馬鹿野郎のムッソリーだ。
この私が、あのナチスドイツが平和路線へと舵を切ったというのに。
どうしてお前は、1940年の秋、忘れもしない10月28日に、私が知っている通りの準備不足のまま、ギリシアへ侵攻を始めたんだ。
そのニュースを聞いた瞬間、私は本気でお前の正気を疑った。
案の定、イタリア軍は雪の中で凍死者を出し、半年でアルバニアまで押し戻された。
知識としては知っていても、実際にその状況になると衝撃を受けるものだったのだな。
私は、この自業自得の大馬鹿ものの同盟国に、最小限の介入しかしなかった。
あの大馬鹿野郎のために、私を支持してくれているドイツ国民が傷つくことを恐れたんだ。
しかし……私とドイツの最大の危機を乗り越えることが出来たのも、ある意味では大馬鹿野郎のおかげだった。
1943年の秋、ペニシリン量産の成果と天然ガス活用によりドイツの経済成長が見込めるようになったとき、
ついにフランスがヴェルサイユ条約を振りかざして更なる要求をしてきたのだ。
金をよこせ、さもなくばルールを占領する、とね。
まさに、この時期はムッソリーニが失脚したその時だった。
フランスは、この私が最後までムッソリーニを見捨てる弱腰かどうか確認した上で、仮にも同盟国がなくなって弱ったところに要求してきたのだ。
拒まなければドイツ国民がやっとの思いで得た暖かな暮らしは失われ、拒めば戦争だ。
当然、ゲーリングは抗戦を高らかに叫び、私もそれを留めながらも降伏はできない、そう考えていた。
私は自主的に付いてこようとする武装親衛隊を最小限にとどめながらケルンに向かい、近づいてくるフランス軍と交渉するつもりだった。
しかし、その時、背後から近づいてきたヒムラーの囁きが、情勢の全てを変えた。
「総統閣下。共産主義者たちの革命の波が、イタリア南部を席巻し――ローマまで到達しようとしています」
ヒムラーはこの点では優秀だった。
彼と彼の秘密警察は、イタリアに入り込み、膨れ上がる共産党の動きを、誰よりも早く、偏執狂じみた正確さで洗い出していた。
そして、それを聞いた時の私の狼狽振りは、言葉にできないほどだった。
ローマが!
人類の遺産が!
サンピエトロ大聖堂が!
ルネサンスとバロックの最高傑作が!
宗教をアヘンとしか見なさない共産主義者の手によって、永遠に失われてしまう!
これを、美大落ちの総統が錯乱した、と笑う歴史家もいるだろう。
だが、狼狽したのはあの時にヒトラーになった私で、その狼狽は未来に生きてその価値を知る私の狼狽だ。
あの時の私は、生涯で唯一、本物のヒトラーと同じような行動をしていたのだろう。
私は、悩んだ。
悩みに悩んで、私の生涯で初めて、ドイツ国民へ戦地へ向かうことを命じた。
そして、カトリック国であるフランスもまた、敵が共産主義者であることを理解していた。
ルールへの進軍を取りやめ、ドイツ軍と肩を並べてイタリアへ向かったのだ。
さらに、イギリスも即座に反応した。
チャーチルは議会で叫んだという。
「我々はヒトラーと手を組むのではない。
キリスト教文明そのものを守るのだ!」
……あの酔っぱらいじじいが、ツンデレじみた言い訳をする姿を想像すると、今でも笑いがこみ上げる。
なお、アメリカは最後まで一兵も出さなかった。
ルーズベルトは「聖ペトロの守護」の名目で、石油とP-38戦闘機を大量に送り届けてくれた。
20世紀の十字軍……おっと、これはゲッペルスの映画の名前だ……は、なんとかローマだけは守ることはできた。
しかし、イタリアの南半分は、今も共産主義者の手に落ちたままだ。
この戦いを正義だと、ヒムラーもゲーリングも褒めたたえてくれた。
ゲッペルスは当然のように仰々しい映画に仕立て上げてくれた。
ローマ教皇ですら私に深く感謝してくれたのだ。
結果、フランスとの軋轢も薄まり、我々は共産主義という共通の敵を認識することになった。
だが、この戦いで死んだ972名の命の重さは、今も私の心の中に深く、突き刺さっている。
同盟国といえば、日本の現状についても責任がある。
彼らは既に戦争を続けてはいたが、やはりあの太平洋戦争はヨーロッパでの戦争が無ければ起きないものだったらしい。
結局、真珠湾への攻撃も、インドシナへの進駐も発生しなかった。
彼らから見れば裏切り行為に等しかったのだろうが、私から見れば悲劇の回避に成功したつもりだ。
その代わりに兵器援助は行っていたんだし、勘弁してほしいと思っていた。
だが、軍事援助といっても、当時はまだジェットエンジンも長距離ミサイルも未開発な時期だったのが災いした。
日本は泥沼の戦争から抜け出せず……もしかしたら、アメリカ相手に華々しく散ったほうがマシだったのかもしれないくらいに疲弊していった。
ドイツから物資を送ろうにも、距離はあまりにも遠すぎる。
結果、どうなったかは、よくわかるだろう。
そう、あのスターリンが手を伸ばしたんだ。
あのニュースを最初に聞いたときは、ベッドから転げ落ちてしまった。
「日本でソヴィエト政権が誕生」なんて話は、私にはまったく予想もできないできことだった。
……まぁ、その点はスターリンにとっても予想外な点があるので多少は心理的にはマシだが。
なぜ、共産主義革命が起こっているのに、天皇が国家元首のままなんだ? ってね。
あれは私にも理解はできない。
さらに奇妙なことに、あの日本は私が知る歴史の上での日本と、ほとんど変わらなかったんだ。
人民企業に終身雇用で入社して年功序列で定年まで真面目に働いている。
共産主義国ってのはそういうものだったのか?
日の丸にせめて鎌と槌でも追加してくれれば分かりやすかったのに、そのまま「赤いから」で同じ国旗をつかっているのはバカなんじゃないかと思ったよ。
ただ、ドミノ理論が正しかったということは、現実的に思い知らされたよ。
今や、東アジアは共産主義圏だ。
かくて、世界は冷戦へと突入した。
今もそれは続いている……今年は1969年か、私も80歳となった。
私の知っている歴史通り、アメリカは月への有人飛行を成功させた。
フォン・ブラウンの研究はドイツで続けさせたのだが、ドイツにはあれほどまでの予算を宇宙開発につぎ込む余力がなかったのだ。
「これは一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な一歩である」 どこかで聞いたことのある台詞を、テレビで見たよ。
でも、人類が月にまで足を踏み入れたのに、アフリカの地図は1939年とあまり変わりはない。
アジア独立している、と言えるのは天皇を頂く共産主義国家の日本と、同じく共産主義国家の中華人民共和国、あとはタイとイランぐらいだ。
アメリカはまだ孤立主義の名残が大きく、冷戦が私の知る通り共産主義の敗北で終わるかどうかは予想もできない。
国際連盟は、まるで死に損なった老人のように、今もジュネーブの古い建物で細々と息を続けている。
棺桶に片足を突っ込んだ組織が、核兵器の拡散を止めることなどできるはずもない。
もしかしたら、私が死ねば、いや明日にでも、破局的な核戦争が勃発する可能性すら否定できない。
第二次世界大戦とホロコーストと言う、歴史に残る悲劇は確かに存在しない……それでよかった、と断言できないことが、私の後悔だ。
だが……
だが、だ、エヴァ……。
世界はかくも変わってしまったが、
こうしてキミと一緒に老いることが出来た事だけは、このアドルフ・ヒトラーが本物に勝利した点だと言えるのかもしれない。
IGの技術パートが判り難かったので修正しました。
戦間期ドイツが経済回復したらフランスは黙っていないという偏見に基づき、一部修正しました。




