第8章 — 第一の首領(しゅりょう)
その影は、影にしては速すぎ、
人間にしては静かすぎた。
カイトとサトウは同時に気づいた。
サトウが反射的にカイトの腕をつかみ、
金属柱の陰へと引きずり込む。
「伏せろ。」
唇をほとんど動かさずに、サトウが囁いた。
カイトの全身が氷のように固まる。
倉庫の中は暗く、
疲れた心臓のように明滅する工業灯だけが光を放っていた。
影は上の梁を駆け抜ける。
軽く、正確な足取り──まるで、何年も前から
この動きを練習してきたかのように。
サトウは床に落ちていた訓練用の棒を拾った。
だが、その目が語っていた。
これは訓練じゃない。
影がようやく止まったのは、
プラットフォームの真上。
光がその輪郭の一部を照らし出した。
カイトには、それだけでわかった。
銀色のコートに、回転するネオン模様。
垂直衝撃用に強化されたブーツ。
そして、紫の笑みを描いたハーフマスク。
サトウが唸る。
「……クソッ、“ショーマン”か。」
カイトが眉をひそめた。
「誰だ、それ?」
視線を離さぬまま、サトウが答える。
「サーキットの下位首領の一人。
“第七地区のショーマン”と呼ばれてる。
三つのクラブを支配し、
踊りで目を奪って、相手を落とす。」
棒を握るサトウの指が強く締まる。
「やつが自分で姿を見せるのは──
本気で興味を持った時だけだ。」
カイトの後頭部に重い冷気が走る。
「俺に……興味が?」
ショーマンが梁から飛び降りた。
重さなどないかのように、
プラットフォームの中央へ静かに着地する。
床がわずかに震えた。
システムが、首領の来訪を“認識”した。
倉庫の灯りが一斉に瞬いた。
ショーマンは腕を広げ、
見えない観客に向けて登場の挨拶をするように言った。
「カイト・ヴォーゼ。──存在してはならない少年。」
声はボイスモジュレーターを通したように歪み、
まるで歌うようだった。
カイトが一歩踏み出しかけた瞬間、
サトウが肩をつかんだ。
「動くな。
奴は戦いに来たんじゃない。
首領は中立領域では戦わない。」
ショーマンが芝居がかった仕草で首を傾げる。
「歓迎を言いに来ただけさ。」
深く、誇張されたお辞儀。
「そして忠告を。──大会から退け。」
カイトの拳が固くなる。
「……引く気はない。」
ショーマンのマスクの下で、
笑みが広がる。
手を叩き、嬉しそうに言う。
「そうこなくちゃ!」
サトウが低く唸る。
「用件を言え。」
ショーマンはゆっくりとプラットフォームを歩き始めた。
その足音はリズムを刻むように響く。
ステップ、ステップ、ポーズ──
まるで自身の登場曲を踏んでいるように。
「私は三つのクラブを代表している。
そしてその三つは──」
指を三本立てる。指には光るリング。
「──“レン”に賭けている。
あの“振付師”はもうすぐスターになる。」
優雅に一回転しながら続ける。
「だが、君が現れた。
目の色が変わる少年。
軍のようなダンス。
落下を本能で回避する異端児。」
カイトが一歩前に出る。
「……俺が怖いのか?」
ショーマンの笑いが響いた。
割れたスピーカーのような音。
「怖い? ははは!」
手を叩く。
「むしろ魅せられてる。」
そして一歩、距離を詰める。
声が低く落ちた。
「だが、魅了では借金は払えない。
同盟も維持できない。
領地も守れない。」
一瞬、芝居が消える。
マスクの奥に潜むのは、
鋭く、危険な本性。
「君が大会でレンと戦えば、三つのクラブが破産する。
二人の首領が倒れ、
四つの派閥が君と彼の両方を敵に回す。」
カイトの胸が波打つ。
「……俺は、望んでない。」
「これが現実さ。」
ショーマンが肩をすくめる。
「舞台に上がったら、踊るしかない。」
サトウが棒を構える。
「ここは公式の舞台じゃない。
お前は何も強制できない。」
ショーマンは両手を上げ、同意のジェスチャー。
「もちろんだとも。」
近づきながら声を落とす。
「だが、別のことはできる。」
ポケットから黒いカードを取り出し、
二本の指で差し出した。
その所作は優雅だった。
カイトが受け取ると、そこに記されていた。
♠──ショーマンのクラブの紋章。
その下に書かれている。
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公式招待状
発表デュエル ― 今夜
会場:可動アリーナ7-B
主催:ショーマン
ルール:落下=敗北
報酬:下位首領の座
危険度:高
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カイトの瞳が見開かれる。
「……俺と、今夜やる気か?」
ショーマンは誇らしげに一礼した。
「ステージを照らす者と戦わずに、
どうやってスターになる?」
サトウが前に出た。
「まだ早い! 準備が──!」
ショーマンは完全に無視し、
カイトだけを見つめる。
「さあ、どうする?
受けるか?
それとも──“ヴォーゼの子”は
大会前に転ぶことを恐れていると、皆に知らせようか?」
カイトは深く息を吸った。
すべてが繋がった。
レン、手紙、脅し、写真──
すべては同じ網の中。
ショーマンは、試している。
あるいは、レンの手を汚さずに排除しようとしている。
もし拒めば、
レンが地位を得る。
ヴォーゼの名は“弱者”と刻まれる。
そしてサーキット全体が──彼を潰しに来る。
サトウが腕をつかむ。
「やめろ。
ショーマンは卑怯だ。
お前が落ちれば全員が笑う。
それが彼の“演出”なんだ。」
カイトは目を閉じた。
脈動を感じる。
血が熱を帯びる。
そして──
内側で“あれ”が動く。
獣のような焦れた鼓動。
目を開く。
オレンジが、燃える。
「……受ける。」
ショーマンの笑みが、マスクの奥で広がった。
「完璧だ!」
手を広げて宣言する。
「今夜、会おう、カイト・ヴォーゼ。
君のダンスと──君の落下を見せてくれ。」
その瞬間、首領は一歩下がり、
空気に溶けるように消えた。
梁の闇の中へ。
サトウがすぐにカイトを振り向く。怒りを押し殺しながら。
「正気か!?
あいつは六人の首領を倒した化け物だ!
戦いを“ショー”に変える殺人者だぞ!」
カイトは静かに呼吸を整えた。
「分かってる。」
黒いカードを掲げる。
「でも今退いたら……
俺はどこでも踊れない。」
サトウは目を閉じ、敗北のように息を吐く。
「……なら夜まで鍛えるぞ。
そして祈れ。
生きて帰れることを。」
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次の章へ続く:
夜。
カイトがアリーナ7-Bへ辿り着いた時、
浮遊プラットフォームは眩しく照らされ、
その中心に──
ショーマンが待っていた。
手には、光を放つ武器を携えて。




