第20章 ― 裏切り(うらぎり)
雨が激しく降りしきり、第7区はまるで液体の蜃気楼のようだった。
ネオンと煙が溶け合い、赤と緑の光が濡れた路面に反射して揺れる。
──カイトの瞳にも、その二色の光が脈打っていた。
倉庫の中では、錆びた屋根を叩く雨音が、
ミカが再稼働させたサーバーの低い唸りと混ざり合っていた。
ギャングの全員が、青く光るホログラムの地図を囲んで立っている。
サトウが指で北側を示した。
「レンはすでに北セクターを占領した。
このまま放っておけば、包囲されてエネルギー市場のルートを断たれる。」
ダンテが手を擦りながら言う。
「だったら今すぐ攻めよう。奴が動く前に。」
ミカは疲れた目で地図を見つめる。
「でも、それは全部を賭けるってことよ。……奴はカイトが戻ったって知ってる。」
サトウが頷いた。
「だからこそ、理解する前に動こうとするはずだ。」
カイトは黙って聞いていた。
頭の奥ではまだ、あの“幻視”の余韻が響いていた。
──祖の声、戦場の残響、黄金の顔。
“レンは同じ血を持っている”
その言葉だけが、心の奥にこびりついて離れなかった。
やがて彼は口を開く。
「……攻めない。」
全員が顔を上げた。
カイトの声は低く、確信に満ちていた。
「奴は俺たちに動いてほしいんだ。拍を読もうとしてる。
なら、待つ。」
ダンテが腕を組んで、苛立ちを隠さず言った。
「待つ? ここはチェスじゃねえ、戦争だぞ。」
「戦争も音楽だ。」
カイトの声は冷たく静か。
「敵が“音が終わった”と思った瞬間に、次を奏でるんだ。」
言葉の重みが空気を押しつぶした。
誰も反論しなかった。
いつも意見をぶつけるサトウでさえ、
その夜ばかりは黙っていた。
だが、その沈黙の奥に、何かが潜んでいた。
──音と音の間の“異音”。
倉庫全体が、どこかおかしく呼吸しているようだった。
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数時間後。
皆が眠りについたころ、カイトは足音で目を覚ました。
暗闇。
重い空気。
パネルの光が微かに点滅している。
出口のほうで、影が動いた。
──速い。正確な動き。
カイトは音もなく立ち上がり、後を追った。
その人物は横の扉からメンテナンス通路へと進む。
カイトは照明を点けず、ブーツの音だけを追う。
やがて外に出たとき、誰なのかが見えた。
リョウ。
ギャングの中で最も短気な戦術家。
トーナメントの後から、ずっと様子が変だった。
リョウは壁の電力パネルに何かを取り付けていた。
──送信機。
金属音が小さく響く。
「……リョウ。」
カイトの声が低く響いた。
「何をしている。」
リョウの身体が凍りつく。
ゆっくりと振り向いた顔は、蒼白だった。
「ボ、ボス……俺は……」
「答えろ。」
カイトが一歩踏み出す。
瞳が琥珀色に光を放つ。
「誰の命令だ。」
リョウの唇が震える。
「……やつらに捕まったんだ。
やらなきゃ……妹を……殺すって……」
カイトの心が冷たく沈む。
「……レン、か。」
リョウが唇を噛んだ。
「奴は全部知ってる。
俺たちの動き、計画、全部だ。
この送信機はただ……通信を繋げてるだけなんだ。」
その時、背後から足音。
サトウが現れた。
「何があった。」
リョウが両手を上げ、声を震わせた。
「裏切るつもりはなかった! 誓って!
奴らに……脅されたんだ!」
カイトはただ見つめていた。
胸の奥で“歪み”が暴れ出す。
怒り。反射。破壊。
──だが、抑えた。
握った拳を、静かにほどいた。
「……お前が俺を、奴のところへ連れていけ。」
「な、なに……?」
リョウが目を見開く。
「無理だ、奴は第9区に──」
「なら、そこへ行く。」
カイトはサトウに向き直った。
「全員を準備させろ。戦争を始める。」
サトウが眉を寄せる。
「まさか……奴の本拠地に突っ込む気か。」
カイトが短く答えた。
「違う。──“音楽”を壊しに行く。」
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翌朝。
ギャングを乗せた改造輸送機が、地下のトンネルを滑っていた。
ネオンとグラフィティに彩られた壁。
遠くで鳴る歪んだ音楽と、賭けの囁き。
ミカは周波数ブレスレットを調整しながら、カイトを見る。
「……本当に、会いに行くのね。」
カイトは窓の外を見つめたまま答える。
「奴が呼んでいる。
俺が堕ちる瞬間を、この目で見たいんだ。」
ダンテが座席を指で叩く。
「だったら、逆にしてやろう。
奴を“俺たちの拍”で踊らせる。」
サトウが短く笑った。
「で、指揮者様。作戦は?」
カイトが視線を上げた。
「簡単だ。
──レンが“音”を支配するなら、俺は“静寂”を撃つ。」
輸送機が止まる。
巨大な鉄の門。
レンの紋章が刻まれた場所。
第9区。
黒のリーグの心臓部。
カイトがリョウを見る。
「ここか。」
リョウが小さく頷く。
「……奴は中で待ってる。」
ミカが音響装置を起動しながら言う。
「警告。周波数を30ヘルツ以上に上げると、
プラットフォームが崩壊する。」
カイトが笑う。
「ちょうどいい。」
門が開いた。
その先には、
ガラスと鋼でできた長い回廊。
中央のアリーナへと続く一本道。
そして、その中心に──
レンが立っていた。
静かに、完璧に、
まるでこの瞬間を何度もリハーサルしてきたかのように。
「ようこそ、ヴォーゼ。」
複数の声が重なったような響き。
「裏切りが、お前をここへ導くことは分かっていた。」
カイトが一歩前へ。
「そして俺は……お前が待ってるのを知っていた。」
レンが穏やかに微笑む。
「──では、血が始めた物語を、終わらせよう。」
音が動き出す。
壁が震え、床が波打つ。
旋律が始まった。
あの古の戦場で鳴り響いていた“戦いの曲”。
カイトが目を閉じる。
歪みが体中を走る。
だが、今は違う。
その奥にもう一つの拍があった。
──“音と音の間の沈黙”。
彼は目を開ける。
半分赤、半分橙の瞳。
「今日という日は、レン……」
拳を構える。
「──このリズムは、俺が奏でる。」
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次の章へ続く:
第9区全体の地面が震え出した。
プラットフォームが割れ、分かれていく。
レンは微笑み、静かに呟いた。
> 「──新しい拍が、始まったな。」




