夏祭りの灯
八月の夕暮れ、空は茜から紫にゆっくりと変わりつつあった。
木かげ町の広場は、赤や青の提灯で埋め尽くされ、まるで空から星が降りてきたようだった。
焼きそばの香りが風にのり、金魚すくいの水音、太鼓の響き、子どもたちの笑い声が交じりあって、町中がひとつの大きな音楽のようになっていた。
◇
柚木つむぎは浴衣の裾を気にしながら、はるとと並んで歩いていた。
「わあ、にぎやかだね!」
「金魚すくい、絶対やるからな」
はるとは紙袋を片手に、いつもの調子で笑っている。
つむぎはというと、目を輝かせて、あたりをきょろきょろと見回していた。
焼きもろこの香り、射的の音、綿あめの甘い匂い……。
夏祭りの夜は、ふたりの町を知らない町のように見せていた。
◇
「ねえ、あれ見て」
ふと、広場の隅に小さな屋台を見つけた。
赤い布を張っただけの質素な屋台で、提灯も灯っていない。
まわりのにぎやかさから取り残されたように、ぽつんと立っていた。
店番らしき人影もなく、ただ棚にガラスの小瓶がいくつも並んでいる。
そのガラスは夜気をまとって、ひやりと澄んでいた。
「……あれ、なに?」
「知らねえな。こんな店あったっけ?」
二人が近づくと、風鈴の音のような声がした。
チリン、と高く澄んだ音がして、まるで空気の中から直接響いてくるようだった。
『いらっしゃい。夏の灯をひとつどうぞ』
つむぎとはるとは同時に驚いて顔を見合わせた。
けれど屋台の奥には誰もいない。
風が吹くたび、赤い布がひらひら揺れるだけだ。
つむぎは小瓶のひとつをのぞきこんだ。
淡い光がゆらゆらと揺れ、まるで小さなホタルを閉じ込めたようだった。
その光はただ明るいだけではなく、胸の奥にしみ込むような、やわらかな温かさを持っていた。
『夏は心が熱くて揺れる。だから、灯を持って歩くと、心も落ち着くんだよ』
声はやさしく響き、夕暮れの騒がしさの中でひときわ澄んでいた。
つむぎは思わずノートを取り出し、震える手で書きつけた。
『夏の灯は小瓶にゆれる。心を落ち着かせる光』
「……買う?」
と、はるとがつぶやいた。
「でも、お金入れるとこもないし……」
すると、小瓶のひとつがふわりと浮き上がり、つむぎの手にすとんと落ちた。
「わ、わあっ!」
小瓶の光は、ふたりの顔をやさしく照らした。
ほんのり甘い香りがした気がして、つむぎは胸の奥がしんとするのを感じた。
『その灯は、友とともに持ち歩くといい。ひとりだと消えてしまうから』
二人は顔を見合わせて、同時に笑った。
その笑顔の奥には、どこか不思議なものに触れた実感と、ちょっとした緊張があった。
◇
祭りのにぎわいに戻ると、夜はもうすっかり深くなっていた。
太鼓の音が間を置いて響き、屋台の光が風に揺れる。
はるとは金魚すくいの袋を片手に、つむぎは小瓶の光を大事そうに抱えて歩いた。
やがて、花火が夜空に上がった。
ドン、と音がして、大輪の光が空に咲く。
赤、青、緑……色とりどりの光が一瞬で空を染め、闇に消える。
そのたびに、つむぎの手の小瓶も小さく揺れて光った。
花火の色を映し、まるで空のかけらが手の中に宿っているようだった。
◇
「なあ、もしあの小瓶の光が消えたらどうする?」
はるとの声は、花火の音にかき消されそうになりながらも、どこか真剣だった。
「……また一緒に取りに行けばいいよ」
つむぎが答えると、はるとは安心したように笑った。
「そっか。じゃあ大丈夫だな」
頭上の花火と、手の中の小さな灯。
どちらも夏の夜を照らしていて、ふたりの心をやさしく結んでいた。
その光は、祭りが終わったあともきっと心の奥で揺れつづける。
つむぎはそう感じて、小瓶をそっと胸に抱いた。




