川のひかり
七月。
木かげ町の夏は、朝から蝉の声でにぎやかだった。
ジージーと鳴く声が空気を震わせ、アスファルトの道はもう昼のように熱を帯びている。
柚木つむぎは麦わら帽子を深くかぶり、両肩にリュックを背負って歩いていた。
中にはノートと鉛筆、虫よけスプレー、それからお菓子の袋が入っている。
その横には、いつものように幼なじみのはるとがついていた。
「今日こそは記録、たっぷり書くから!」
つむぎは鼻息を荒くしながら宣言した。
「川遊びに行くだけだろ」
はるとは棒切れで道ばたの草を払いながら笑う。
「遊びじゃないもん、探検!」
「はいはい、探検ね」
ふたりはじゃれ合うように笑いながら、町はずれの川へ向かった。
◇
川は、木かげ町をぐるりと囲む森の入り口にあった。
透明な水がさらさらと流れ、太陽の光を反射してきらきらしている。
足を入れると、冷たい水がサンダルの隙間から指の間にするりと入り込み、ふたりは同時に声をあげた。
「ひゃー! つめたっ!」
「でも気持ちいい!」
水面には葉っぱの船が流れていき、川底をのぞくと魚の群れが銀色の尾をひらめかせて泳いでいた。
丸い石を拾えば、どれも形が違い、つむぎはそれをひとつひとつノートに書きとめていく。
「なあ……お前、夏休みの自由研究、これで十分だろ」
「ちがうよ! これは“町の記録”なんだから」
つむぎは真剣そのものの顔で、濡れた足をぶらぶらさせながら書き込む。
そのときだった。
川面が、きらりと光った。
ふたりは思わず目をこらす。
「……いま、光ったよな?」
「うん、魚かな?」
けれど、その光は魚の反射とは違っていた。
水の流れに逆らうように、まるで意志を持った生き物みたいに動いていたのだ。
◇
「待て!」
はるとが駆け出した。
「ちょっと、待ってよ!」
つむぎもリュックを揺らして後を追う。
ふたりは川沿いを走り、光を追いかけた。
光はときどき沈み、ときどき水面に浮かびながら、森の奥へと誘っていく。
汗が首筋をつたい、蝉の声がどんどん遠ざかっていく。
やがて、小さな淵にたどりついたとき、光はふわりと形を変えた。
『……やっと来たね』
水面から現れたのは、透きとおるような魚だった。
体は金色に光り、尾びれはまるで流れる水そのもののように揺れている。
「しゃ、しゃべった!」
はるとが目をまん丸にする。
『わたしは川の精。夏になると、迷った子を導くために現れる』
「迷った子?」
つむぎとはるとは顔を見合わせた。
『そう。夏は道に迷う心が多い。暑さに疲れたり、ひとりぼっちだと感じたり……だから、わたしは光になって呼びかける』
つむぎは、はっと息をのんだ。
「じゃあ、さっきの光は……」
『君たちが“探検”と呼ぶものは、実は心の旅でもあるんだよ』
魚の声は、水の音と混じってやさしく響いた。
その尾が水を揺らすたび、波紋が夕陽を映して黄金色に光った。
◇
やがて魚は水の奥へと沈み、光の粒となって消えていった。
ふたりはしばらく、その場所に立ち尽くしていた。
風が吹き抜け、川の音がふたたびいつもの調子に戻る。
つむぎは濡れた手をふきながら、ノートを開いて書いた。
『川の精は光になって、迷った子を呼ぶ。夏は心が道に迷いやすいから』
書き終えると、はるとが横から覗き込み、ニッと笑った。
「じゃあ、俺らはもう迷わなくて済むな」
「どうして?」
「だって、ふたりで探検してるんだから」
つむぎはペンを持つ手を止め、にっこり笑った。
「そうだね、わたしたち、ひとりぼっちじゃない」
「またふたりで探検しようぜ」
「うん!」
ふたりは川の水で手を冷やし、顔を洗い、再び歩き出した。
空はすでに夕焼けに染まり、川の水面も赤く光っていた。
その輝きは、まるで魚の残したひかりのように見えた。
ふたりの心に、確かに何かを残して。