くすのき様のひとひら
木かげ町のはずれ、大きなクスノキは一年中葉を茂らせている。
春になると桜並木が華やかに咲くけれど、クスノキはただどっしりと立ち、町を見守っているようだった。
柚木つむぎは、今日もリュックにノートと色鉛筆を入れてやってきた。
はるとも隣にいる。
「お前、ほんと毎日ここ来るよな」
「だって、この木の下は不思議がいっぱいだもん」
そう言って、つむぎはノートを広げた。
『桜は“また会えたよ”って言った。スミレは“さみしかった”って言った』
書きつけたページを見て、彼女は小さく頷いた。
そのとき。
突然、空気がひんやりと変わった。
風もないのに、葉がざわざわと揺れる。
『……よく来たね、つむぎ』
低く、でもやさしい声が木の奥から響いた。
「……だれ!?」
思わずつむぎは立ち上がった。はるとも驚いて木を見上げる。
『わたしは、この木に宿るもの。昔から町を見守っている者だよ』
「くすのき様……?」
つむぎが呟くと、葉がぱらぱらと落ち、その形が人のように見えた。
『君が声を聞いてくれてうれしいよ。わたしの声は、もう長いあいだ誰にも届かなかった』
「でも、なんで私に?」
『君は書く子だからだ。見たこと、聞いたことを忘れずに残そうとする子。町の声をつなぐのは、そういう子なんだよ』
つむぎは胸がどきどきした。
「……じゃあ、私、これからも書くね。もっといっぱい!」
『ああ、そうしておくれ。そのノートがやがて、この町の宝になるから』
はるとは半信半疑の顔で木を見上げていた。
「本当に……しゃべってんのか?」
『聞こえるだろう? 信じる心があれば』
その声ははるとの胸にも、かすかに届いているようだった。
やがて声は静かに風にとけ、葉ずれの音だけが残った。
◇
帰り道、つむぎはノートに大きく書きつけた。
『くすのき様は町を見守っている。ノートを宝物にすると言った』
はるとは歩きながら、少し照れたように言った。
「なあ、もし本当にこの木が町を守ってるなら……俺も手伝うよ」
「ほんと!?」
「だって、全部お前ひとりじゃ大変だろ」
つむぎはぱっと笑った。
「ありがとう! じゃあ、はるとも“記録係”だね」
「……いや、俺は助手な」
二人の声に、背後のクスノキがざわりと揺れた。
それはまるで「頼んだぞ」と言っているみたいだった。
◇
こうして春が過ぎ、つむぎとはるとは「町の小さな不思議」を記録していくことになった。
やがて季節がめぐり、次の夏。
また新しい出会いが二人を待っているのだった。