春風の声
四月の終わり、木かげ町にはやわらかな風が吹いていた。
桜の花びらはほとんど散り、道ばたにピンク色のじゅうたんを広げている。
柚木つむぎは、リュックからノートを取り出し、落ちてくる花びらを一枚、そっと貼りつけた。
「ねえ、はると。桜が“また会えたよ”って言うから、花びらを集めてるの」
「……また不思議なこと言ってる」
幼なじみのはるとは呆れたように笑った。けれど、つむぎが夢中でノートに書きこんでいる姿を見て、なんだか文句は言えなくなる。
そのとき、風が強く吹いた。
ぶわっと花びらが宙に舞い、つむぎの髪もノートも揺らした。
「あっ!」
ノートの間に挟んであった落ち葉が飛ばされ、風に乗ってくるくると遠くへ運ばれていく。
「待って! 私の大事なやつ!」
つむぎは慌てて走り出した。
「ちょ、待てって!」
はるともあわてて追いかける。
◇
落ち葉は風に押されるように、町の小道をすり抜け、古い橋の方へと流れていった。
「もう少し!」
つむぎが手を伸ばした瞬間、落ち葉はふわりと宙に舞い上がり、まるで導くように川沿いの道へ進んでいく。
「なあ……これって、追いかけろって言われてるみたいじゃないか?」
「うん、絶対そう!」
ふたりは顔を見合わせ、笑って走り続けた。
やがて落ち葉は、とある小さな庭先に舞い込んだ。
そこには、真っ白なスミレが咲き誇っていた。
「わあ……きれい」
つむぎは思わず息をのんだ。スミレは春風に揺れながら、やさしい香りを漂わせている。
すると、どこからか声が聞こえた。
『見つけてくれてありがとう』
「また声だ!」
つむぎはあたりを見回す。
『わたしはスミレ。ずっとここで風を待っていたの』
「風を……?」
『そう。風が運んでくれる誰かを待っていた。やっと、君たちが来てくれた』
花の声は、かすかに震えていた。
『ここは人が通らなくなって、もう長いの。わたしのことを見てくれる人も、声を聞いてくれる人もいなかった……』
つむぎは胸がじんとした。
「大丈夫。私がいるよ」
ノートを取り出し、大きく書きつける。
『白いスミレは、風に呼ばれてさみしさを話す』
はるとも、少し照れくさそうに花の前にしゃがんだ。
「お前だけじゃなくて、俺もいるから」
その瞬間、スミレの花がふわりと光ったように見えた。
『ありがとう。これでまた、春を越えていける』
◇
帰り道、つむぎはポケットにしまったスミレの花びらをそっと取り出した。
「ねえ、はると」
「ん?」
「私たち、風に選ばれたのかも」
「……そうかもな」
はるとは空を見上げ、微笑んだ。
春風はやさしく二人の頬をなでて、遠くへ駆けていった。
その風が、また次の不思議へとつなげてくれるような気がした。