桜の声
木かげ町のはずれには、大きなクスノキが立っている。
学校帰りの子どもたちはいつもそこを通り、遊び場にしたり、道草を食ったりしていた。
小学生の柚木つむぎも、そのひとりだ。
今日もリュックを背負い、色鉛筆とノートを持って、学校からの帰り道にふらりと立ち寄った。
「……んー、やっぱり春のにおいがする!」
鼻をくすぐるのは、咲きはじめた桜の香りだった。
クスノキのすぐ横に並ぶ桜並木は、ほんのり桃色に色づき、風に揺れていた。
つむぎはノートを開いて、「今日の発見」と書きつける。
『桜の花は空から降ってくる雪みたい。やさしい雪』
すると、不意に声が聞こえた。
『雪じゃないよ、わたしは花だよ』
「……え?」
つむぎは慌ててあたりを見回した。友達のはるとが隠れているのかと思ったが、姿はない。
聞こえてきたのは桜の木の方だった。
『こんにちは、つむぎちゃん』
「え? 桜がしゃべった!?」
『春になるとね、特別な子にだけ声が届くんだよ』
「と、特別な子って……私のこと?」
『そう。ノートにたくさん桜のことを書いてくれるから、君に声が届いたんだ』
つむぎは目をまんまるくして、それから思わず笑った。
「じゃあ、質問していい? どうして春になると花を咲かせるの?」
『冬の間、ずっと眠ってたからね。春になったら、みんなに「また会えたよ」って伝えるためだよ』
その声は、花びらが風に舞うようにやさしかった。
◇
「なにやってんの?」
突然うしろから声がして、つむぎは飛び上がった。
「は、はると!? 脅かさないでよ!」
「いや、木に向かってしゃべってたから……」
「ち、違うの! 桜がしゃべったんだって!」
「……はあ?」
はるとはあきれたように笑ったが、つむぎは本気だった。
ふたりで見上げる桜は、やっぱり静かに風に揺れているだけだ。
「ほら、しゃべらないじゃん」
「うーん……でも、確かに聞こえたんだよ」
「お前ってほんと変わってるな」
そう言いながらも、はるとはつむぎの隣に腰を下ろした。
つむぎはノートを開き、今日の出来事を記した。
『桜の木は「また会えたよ」って言うために咲く』
◇
翌日からも、つむぎは桜に声をかけ続けた。
花は返事をする日もあれば、ただ静かに揺れる日もあった。
けれどつむぎは、それでもいいと思った。
「ねえ、また明日も来るから」
そう言うと、ひとひらの花びらがふわりと落ちてきた。
それはまるで、「うん、待ってるよ」と答えてくれたように思えた。
◇
春の風が木かげ町を包むたびに、つむぎはノートに書き続けた。
やがてそのノートは、誰も知らない小さな不思議でいっぱいになっていく。