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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

徹昼用心

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ふ~、外から帰ってきて冷房を浴びるこの瞬間ほど、生き返りを感じる時間はそうそうないな。

 もうね、外に完全に出る気がなくなるわ。熱中症うんぬんをのぞいても、体そのものがやる気を出さないというか、汗とかびんびんかいて「早く休ませろや~」と嘆願してくるような始末。

 しかし人間、他人とした約束や契約のたぐいがあれば動かざるを得ないもの。ことわりを入れるか、意地でも決めたことをやり通すか……ここは人間性が現れるところだろうな。

 昨今では、前者のほうが賢いやり方にとられるむきも、しばしば見られる。連絡一本でほいほい自己都合を優先させられるからな。自分にかかるリスクや負担を取り除けられるとしたら安いものだ。

 そうなると、後者を昔気質のカタブツ。頭悪い代表例のように思うときだってあるかもしれない。しかし、みんなが避けたく思うようなしんどいものこそ、実は世の中支えているなんてことは、ままあることだ。

 この暑さなんかもまた、私たちの足をにぶらせ、外出をこばませた結果、自分にとって都合のいい策謀を進ませようとしている、何者かの策……かもしれない。

 ひとつ、私の昔話なのだが聞いてみないか?


 もう、今からうん十年ほど前のことになるか。

 当時の私の地元を酷暑が襲った。人体の体温を上回る暑さなど、当時の日本では限られた地域でようやくお目にかかれるかというところ。それが我が地元にやってきただけ……と強引にいえなくもない。

 問題は、我が地元はどちらかといえば避暑地のたぐいであったということ。例年にない異常気象に、田畑の多いこの地域は朝夕中心の作業時間へ移さざるを得なくなった。この炎天下はもちろん、家の中にいても体調を崩す者もちらほら報されるくらいだったから。


 しかし、うちの父はその中にあっても積極的に昼間の外出をした。

 平日の出勤はもちろんのことだが、それが休みでも変わることはなかったのだ。

 一年の涼しい時期であれば、世の働く父親の大勢がそうであるように昼過ぎても布団の中にいることも、ままある父。それが、ずっとつらいであろうこの暑さのもと、午前中に起きては麦わら帽子をかぶり、外へ出てくるのだ。

 うちは田畑を持ってはいない。父は外から帰ってきたおりに、何かを買ってきたりすることもない。でも、このような猛烈な暑さの中、家に帰ってきてぶっ倒れそうになることのほうが、もっとあり得ない。


 いったい何をしているのか、と私は父に問うた。

 返ってきたのは「芽を摘んでいる」との言葉だったよ。

 この酷暑は、人を昼間のうちから家の中へ押し込もうとしている。これが夜の間ならば、まだ自然だ。暗さ、眠さ、そのほかもろもろ、人の活動を屋内へ押しとどめるための条件がそろっている。

 しかし、人はたまに徹夜をするものだ。眠るべきときに眠らず、起き続けて何事かを成さんとしてしまう。そこに大義があるか、快楽があるかは人によるが、あるべき姿から逸脱しているのは違いない。


 そしてそれは、人でないものにもいえる。

 本来は夜にのみ、ことを運ぶべき存在がいるものだ。彼らはひと目につかない時間を見計らい、昼間の人間がそうするようにやるべきことをやっている。

 けれども、夜の間でそれが終わらぬ場合は昼にやる。人のやるのが「徹夜」なら、そいつがやるのは「徹昼」だ。昼間を徹して、やりたいと思うものがそこにあるのだろう。

 どのような事情があるかは、我々人間サマには知るよしがない。だが、徹昼がそいつらの身体に悪いことには違いない。

 だからこうして、きっつい中にもあえて出向き、奴らを無理やり休ませてコンディションを整えさせてやるのだ、と。


 そう聞くと、当時の私も興味をそそられた。

 徹昼をとがめてやろうとか、殊勝な心掛けはしていない。その徹昼をしているという、人ならざるものに出会ってみたくて、私も父へ同道するようになった。

 一緒に歩く際、父は熊手を持ち歩いていた。農作業などで使う大型のものではなく、ズボンのポケットに入れられる程度の小さいものだ。一緒に行くとなると、私も同じものを持たされた。


「もし、徹昼している連中を見かけたらな。この熊手でちょちょいとひっかいてやれ。なあに、そこまでだらしない奴だったら、ひと目でそうだと分かる。たいていは気を張っているから連中は我々にばれる様なことはしない。俺たちが徹夜の間、ハイになって敏感になるようにな」


 父の言葉通り、一緒に何日も歩いたが、徹昼している連中には遭うことができなかった。むしろそれこそが健全とのことだが、若い私としては面白くない。

 骨を折ったからには見返りがなくては納得がいかず、父が体調を崩して寝込んだときも、昼まわりを敢行した。無理に出回らなくていいともいわれたが、私はきかなかったよ。


 首から下げた水筒を、ちびちび飲みながら進む地元の道。

 あごから落ちる汗が、もはや何滴かなど数えることかなわず。ぬぐう腕は汗もまたぬるま湯のようになっている、と告げていた。

 同じように汗を浴びて、幾度となくゆがむ視界は、立ち上るかげろうも相まって、しばしばゆがんでいた。

 その中にあって。私はつい、そこへ足を踏み込んでしまった。

 道路端に並んでいる排水溝のふた。そのすき間からのぞく細長い棒らしきもの。ときどき見かける植物の茎かと思ったんだ。水があまりにないためか、地下に生きる道を求めてああしている姿は幾度か目にした。

 しかし、そいつはそばへ通りかかったとたん、勝手に足へ絡みついて来たんだ。


 植物のそれでないことは、すぐ分かった。

 絡みつかれた足は、まるで獣に歯を立てられたかのように無数の激痛が走り、ゆがみのはっきり取れていない視界の中にあっても、絡まれた左足にところどころ赤いものがにじんでいるのがわかった。

 しかも、排水溝のすき間から二本、三本と同じものが勢いよく飛び出してきて、私の足といわずに手当たり次第からみつかんと、身体をぶらつかせてくる始末。


 驚きこそしたが、対策を事前に聞いているというのは心強いものだ。

 父親から渡されたコンパクトな熊手。ポケットから抜いて、こいつらにあてがい、軽くひっかくと、連中はいたずらをとがめられた子供のように瞬く間に体から離れて、排水溝のふた下深くへもぐりこんでいく。

 家へ帰った私は、左足の満身創痍ぶりを確認。足首から膝近辺にかけて血がにじむばかりか、ところどころ指が入るのではないかという深い傷をこしらえているのだが、不思議と痛みが感じられないんだ。

 人が気付かぬうちに、大仕事をやってのける……そんな「あいつら」向きの細工に思えたんだよ。

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