『至る』瞬間に敵一掃スキルでデブ待ったなし転生
「まあ、能力なしでもそれなりの地位は得られるよね」
俺は王宮の自室で、窓から見える王都の景色を眺めながらひとりごちた。
気づけばこの世界に生まれて、早二十年。
前世は日本で平凡なサラリーマンをやっていたはず。
しかし、剣と魔法のファンタジー世界に降り立っていた。
アーシェス・グラトニー。
弱小貴族の三男として人生を再スタートしていたのだ。
転生に際して、何か特別な力――いわゆるチート能力をもらったような、もらわなかったような、そんな曖昧な記憶がおぼろげにある。
だが、その能力が何なのか、さっぱりわからないまま月日は流れた。
――まあ、いいか。
俺は早々に見切りをつけた。
チート能力に期待するより、確実なスキルで生きていく方が性に合っている。
幸い、俺には前世で培った知識と、そこそこの記憶力があった。
義務教育レベルの数学や科学、そして何より処世術。
それらを駆使すれば、この世界の貴族社会を渡り歩くのは存外に容易かった。
神童だなんだと持て囃され、俺はあっという間に弱小貴族の家から王宮に抜擢。
今では若手文官として、そこそこの地位と裕福な生活を手に入れている。
チート? 勇者? 魔王討伐?
結構です。
俺は安全な王宮で、美味い飯を食って、ふかふかのベッドで眠れればそれで満足なのだ。
そう、この平穏が永遠に続けば、何も言うことはなかった。
――そう、あの日までは。
◇◇◇◇
「魔王軍、王都近郊に到達! 北門、破られました!」
伝令兵の絶叫が、静かだった王宮を揺るがした。
数週間前から風の噂では聞いていた。
遥か北の地で、魔王が復活し、その軍勢が人間領に侵攻を開始した、と。
だが、所詮は遠い地の話。
俺たちが暮らす王都まで届くには、いくつもの砦を越えねばならない。
そう、高を括っていた。
俺も、この国の誰もが。
「なんだと!? あの難攻不落と謳われた『鉄壁のバルドス要塞』はどうした!」
「半日で陥落したとのことです!」
「馬鹿な!」
王侯貴族たちの悲鳴が廊下に響き渡る。
どうやら、魔王軍の進軍速度は、俺たちの想像を遥かに超えていたらしい。
あっという間に王都は戦火に包まれる。
堅牢だったはずの城壁は、まるでクッキーのように砕かれていく。
王宮は瞬く間に大パニックに陥った。
我先にと財産を抱えて逃げ出す貴族。泣き叫ぶ女子供。最早、秩序など欠片もなかった。
「……これまでか」
俺は静かに呟いた。
文官である俺に、戦う術はない。逃げようにも、外はすでに魔王軍の兵士で溢れているだろう。
絶望的な状況。
――だが。
俺の思考は、妙に冷静だった。
「せめて死ぬなら、美味い物食いながら死にたい!」
俺はパニックの波に逆らうように走り出した。
目指すは一つ、王宮の厨房だ。
あそこには王侯貴族のために用意された、最高級の食材と料理があるはずだ。
厨房に滑り込むと、コックたちの姿はすでになかった。
残されていたのは、巨大なオーブンで焼かれたままの丸焼きの豚。
銀の皿に山と盛られた、黄金色のソースがかかった魚料理。
湯気を立てる濃厚なシチュー。
「うおお……!」
俺は思わず歓声を上げた。
外で鳴り響く断末魔や爆発音など、もはやどうでもいい。
俺は一心不乱に、作りかけの豪華な食事に手を伸ばした。
まずは豚の丸焼きだ。
皮はパリパリに焼かれ、ナイフを入れるとじゅわっと肉汁が溢れ出す。
口に放り込むと、凝縮された肉の旨味と、香ばしい脂の甘みが爆発した。
夢中で肉塊にかぶりつく。
「美味い! さすが上級貴族用の食事!」
次は魚料理だ。
ふわふわの白身に、バターとハーブの効いたソースが絡み、至福の味わいを生み出している。
シチューは野菜が溶けるほど煮込まれ、スプーンですくうだけで体が温まるようだ。
もはや、味わうというより、胃袋に詰め込むという表現が正しい。
外の世界のことなど忘れ、猛然と食べ進める。
気づけば3人前はあろうかという食事を、俺はたった一人で平らげていた。
腹ははち切れんばかりに膨れ上がり、全身が熱い。
そして、猛烈な眠気と、ふわふわとした多幸感が全身を包み込んだ。
満腹中枢が破壊され、急上昇した血糖値が、脳を麻薬的な快感で満たしていく。
そう、俺は『至った』のだ。
(ああ、幸せ……もうこのまま死んでもいいや……)
遠のく意識の中、俺は満足のため息をつく。
その場に倒れ込むようにして、深い眠りについたのだった。
◇◇◇◇
「おい、起きろ! こんな所で何をやっているんだ!」
肩を激しく揺さぶられ、俺はうっすらと目を開けた。
目の前には、見慣れた王宮衛兵の鎧。
「……あれ?」
俺は死んでいない?
てっきり魔王軍に殺されると思っていたのに。
「状況はどうなったんだ? 魔王軍は……」
「それが、分からんのだ」
衛兵は困惑した表情で首を捻る。
「王都周辺に展開していた魔王軍が……忽然と消滅したらしい」
「……は?」
消滅? どういうことだ?
退却したのではなく、消えた?
その瞬間だった。
俺の目の前に、まるでゲームのウィンドウのような、半透明のテロップが浮かび上がったのだ。
『敵一掃スキルの能力が解放されました』
「うおっ!?」
俺は思わず声を上げた。
衛兵は「どうした?」と怪訝な顔をしている。
どうやら、このテロップは俺にしか見えていないらしい。
(これか! これが俺のチート能力だったのか!)
ようやく判明した己の力に興奮するも、すぐに次のテロップが現れ、俺は凍りついた。
『発動条件:過食によって血糖値を極限まで上昇させ、酩酊感を得ること』
「……はぁぁぁ!?」
思わず天を仰ぐ。
――発動条件、ピンポイントすぎないか!?
つまり、俺が厨房で死ぬほど食って、幸せな気分で気絶した、あの瞬間。
あの『至った』瞬間に、スキルが発動して魔王軍を吹き飛ばしたというのか。
――そんなアホな話があるか!
だが、目の前の現実が、そのアホな話を肯定している。
ひとまずの危機は去った。
しかし、俺には別の危機が訪れていた。
王宮の厨房を荒らし、貴重な食料を食い散らかした罪。
俺はあっさりと捕縛され、審問官の前に突き出された。
「グラトニー文官。貴殿の言い分を聞こう。なぜ、国の一大事に厨房で食い漁るなどという愚行に及んだのか」
冷徹な声で問い詰める審問官に、俺は覚悟を決めて言い放った。
「お待ちください! 実は、魔王軍を退けたのは私の能力なのです!」
しんと静まり返る審問室。
俺は一世一代のプレゼンを開始した。
自分のチート能力が何であるか、そしてその驚くべき発動条件を。
「……つまり、貴殿は『腹一杯飯を食って幸せな気分になると、敵が消える』と、そう主張するのかね?」
「はい! その通りです!」
俺が力強く頷くと、審問官の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
「ふざけるのも大概にしろぉっ!」
激昂した審問官が机を叩く。
「そんな馬鹿げた能力があってたまるか! 貴様は王宮と我々を愚弄しているのか!」
――まあ、そうなるよな。
俺だって逆の立場なら信じない。
もはやこれまでか、と諦めかけたその時、部屋の隅で話を聞いた騎士団長が口を開く。
「待て。確かに荒唐無稽な話だ。だが、魔王軍が理由もなく消滅したのも事実。……試してみる価値はあるかもしれん」
騎士団長の鶴の一声で、俺の処遇は保留となった。
そして、能力の実証実験が始まる。
王都近くの、モンスターが巣食うダンジョンへと連行されることになった。
数日後。
ダンジョンの広場に、不釣り合いな光景が広がっていた。
周囲を屈強な護衛騎士たちが固める中、中央に置かれたテーブル。
そこで、俺はひたすら飯を食わされていた。
山と積まれたローストチキン。
大鍋になみなみと注がれたシチュー。
バスケットからはみ出すほどのパン。
(何だろう、このシュールな状況……)
騎士たちの真剣な眼差しを受けながら、俺は必死に飯を胃袋に詰め込む。
もはや味など分からない。
これは拷問だ。
だが、ここで能力を証明できなければ、俺の未来はない。
「う、ぐ……もう食えん……」
限界を超え、意識が朦朧としてくる。
そして、あの時と同じ、全身を包むような熱と、脳がとろけるような多幸感。
俺は『至った』。
(ああ、幸せ……もう、どうでもいいや……)
俺の意識がブラックアウトする。
――次の瞬間。
ゴォォォォ……
という音と共に、ダンジョン内に満ちていた邪悪な気配が消え去った。
壁の向こうから聞こえていたモンスターの唸り声も、ピタリと止んでいる。
「……消えた」
護衛の一人が、呆然と呟いた。
「ダンジョン内のモンスターが……全て、消滅しました!」
唖然とする護衛たち。
俺の能力は、本物だった。
だが、その事実は、俺を新たな地獄へと誘うことになるのだった。
◇◇◇◇
その日を境に、魔王軍との戦争は様相を一変させた。
「報告! 我が軍の進路上に、護衛に守られながら中央で飯を食っている、謎の馬車を発見しました!」
斥候からの報告を聞き、魔王軍の将軍ガルガンは眉をひそめた。
歴戦の勇士であるガルガンにとっても、それは理解不能な光景だった。
何かの罠か?
陽動か?
あるいは、人間たちの新たな兵器か?
(……なんの狙いがあるのだ?)
ガルガンが思考を巡らせていると、別の部下が血相を変えて天幕に飛び込んできた。
「報告! 進軍していた第三軍団が、何の痕跡も残さず、突如として消滅しました!」
ガルガンの思考が停止する。
「……はっ?」
第三軍団といえば、精鋭中の精鋭で構成された部隊だ。
それが、戦闘の報告もなく、一瞬で消える?
ありえない。
ガルガンの脳裏に、先ほどの斥候の報告が蘇る。
――飯を食っている、謎の馬車。
まさか。
そんな馬鹿なことが。
だが、ガルガンの常識は、この日から少しずつ崩壊していくことになる。
◇◇◇◇
「うっぷ……もう無理だって……」
俺はもはや人間爆弾のような扱いとなっていた。
魔王軍の侵攻予測地点に先回りする。
そして、戦場の真ん中に設営された豪華絢爛なテーブルで、ひたすら食事をさせられる。
それが俺の仕事だ。
今日も今日とて、俺の食事を合図に戦いが始まっていた。
「うわっ! また奴が飯を食い始めたぞ!」
「止めろ、止めろぉ! あいつに『至らせる』な!」
魔王軍の斥候部隊が、鬼の形相で俺が乗る馬車に殺到する。
それを、俺の護衛騎士たちが必死に食い止める。
「グラトニー様をお守りしろ!」
「死んでもここを通すな!」
剣と剣がぶつかり合う金属音、怒号、悲鳴。
そんな地獄絵図の真横で、俺は黙々と羊の肉を口に運んでいた。
(なんだ、このシュールな状況は……)
――もはや慣れた。慣れてしまった。
しばらくすると、俺の体にいつもの変化が訪れる。
血が沸騰するような熱さ。
そして、脳髄を痺れさせるような、抗いがたい多幸感。
(ああ、今日も幸せだなぁ……)
俺が意識を手放した瞬間、世界から音が消えた。
俺に殺到していた魔王軍の兵士たちも、その場から綺麗さっぱり消滅していた。
「……ごちそうさまでした」
誰に言うでもなく呟き、俺はぐったりと椅子にもたれかかった。
護衛騎士たちの俺を見る目は、もはや畏怖と憐憫が入り混じった複雑なものだ。
この生活が始まって数ヶ月。
日に二度も魔王軍が進軍してきた日には、俺も舌打ちをしながら一日二回、爆食しなくてはならない。
その結果は、体に正直に現れていた。
かつてスマートだったはずの体型は見る影もなく崩れる。
文官時代の服はとうの昔に入らない。
いつもなんだか眠いし、体が重くて動くのも億劫だ。
健康診断があれば、間違いなく全ての項目で赤点だろう。
(頼む、もうあきらめてくれ、魔王軍!)
俺は心の中で悲鳴を上げた。
魔王軍もまさか自分たちの運命が、敵国の一人の男の健康に掛かっているなど夢にも思うまい。
これは、チキンレースだ。
俺が不健康の果てに自滅するのが先か。
それとも、俺が『至り』続けて、魔王軍を殲滅するのが先か。
今日も王宮の料理長たちが、俺の食欲をそそるため、腕によりをかけてメニューを開発する。
やめてくれ。俺の命を削らないでくれ。
そんな悲痛な叫びも虚しく、今日も俺の前には、山のようなご馳走が運ばれてくるのだった。
【読者の皆様へ】
本作をお楽しみいただき、誠にありがとうございます。
物語の主人公は食事で魔王軍を殲滅するという、うらやましいお仕事をしています。
しかし、皆様が同じことを試みた場合……
殲滅できるのはせいぜい冷蔵庫の中身と、月末の食費くらいのものです。
『至った』先にあるのは栄光ではなく、「強烈な罪悪感」と「腹部の脂肪」でしょう。
良い子は絶対に真似せず、美味しくてバランスの良い食生活をお楽しみください。