婚約者を推したい王子の話
「ルルナとの婚約を、解消しようと思う」
多くの貴族が集まったパーティー。
それは主催者であるアルフレッド王子の人柄故のものであったが、当の彼は何故だか暗い顔をして……乾杯の音頭の代わりに、そう言った。
招待客に困惑が広がる。
代表して、客の一人が尋ねた。
「ええーっと、それは……どうして……」
「だって、……だって……」
アルフレッドはぐっと拳を握りしめると、苦しそうに叫んだ。
「好きすぎるんだもん!!!!!!」
もん、もん、とアルフレッドの声が会場にこだまする。
その後、しん、と沈黙が流れた。
パーティーに集まった面々が互いに顔を見合わせる。
皆、気持ちは同じだった。
俺たちは一体、何に巻き込まれているのか、と。
アルフレッドは隣に立つルルナ嬢の足元に跪き、両手を広げてぱんぱかぱーんと彼女に向ける。
「だって見てよこの澄ましたお顔! 世界中のどの宝石よりもきらきらの青い瞳! さらさらうるうるつやつやの黒髪!! 長い睫毛薔薇色の頬、なんて言葉が陳腐に思えるくらいの黄金比で配置された完璧なパーツたち! 華奢で小柄で守ってあげたくなっちゃうのに凛と背筋を伸ばした立ち姿!! アッ待って、今日も! 推しの! 顔がいい!! もう神が作りたもうた芸術品としか思えない! むしろ天使! いやルルナこそがこの世界の唯一神!!」
「あ、アルフレッド様……恥ずかしいです……」
アルフレッドの隣、3歩分ほど距離を空けたところで、ルルナ嬢が気まずそうに俯いている。
ヒュッ、と目を見開いたアルフレッドが息を呑む音が聞こえた。
真顔が恐ろしすぎて一同はゾッとした。
「そ、その上こんなにおしとやかでやさしくて、妃教育にも一生懸命で真面目で驕ったところがなくて、誰にでも分け隔てなく接して、どういうこと!? こんなに完璧な存在がこの世にいていいの!? もしかしてルルナ天界から降りてきた? 大丈夫?? 探されてない?? 天に帰っちゃったら俺泣くけど大丈夫!!??」
「このバカ王子……」
わなわなと、参列者のうちの何人かが拳を握りしめる。
こう見えてアルフレッドは普段はとても優秀で、友人からの信頼も厚い。
だがこと婚約者のこととなると、頭のネジが外れるどころか元からネジなどなかったのではないかと錯覚するような有様になることも、皆知っていた。
でも優秀なのだ。為政者としては。
長年苦しんでいた税制改革とか他国との国交正常化とかに成功しているのだ、この男。
それがよりいっそう、皆を悩ませていた。
「そんなくだらないことで呼び出すな! このポンコツ王子!」
「追放だ追放、このパーティーから追放してやる!」
「ああん臣下がみんな俺に冷たい」
日頃の鬱憤もあってか、親しい友人たちがこぞってアルフレッドに紙屑だのスプーンだのを投げ始めた。
もちろん隣で恥ずかしそうに縮こまっているルルナ嬢にはぶつけないようきちんと照準を合わせている。
「てかみんな聞いた? さっきのルルナの声? 俺のこと『アルフレッド様』って呼ぶ小鳥の鳴くみたいな声もあまりにも可愛すぎるし小さいお口から覗くちいちゃい前歯ももう尊みの塊だしもうだめ、ほんとだめ、何やってても可愛いとか最高すぎん? ああもうまじほんとむりしんどい尊い好きすぎて涙出てきた」
「おい誰かこの変態つまみ出せ」
聞くに耐えかねた招待客の一人が衛兵に声をかけた。
だがさすがの衛兵もまさか王子の首根っこを掴んで追い出す気概はないらしく、首を横に振るばかりだ。
仕方なく、アルフレッドの友人でもある男が歩み出て、アルフレッドに詰め寄りながら人差し指を突きつける。
「おい馬鹿、いいか馬鹿、よく聞け馬鹿」
「そんな『馬鹿』が語尾みたいにならなくてもいいじゃないか!」
アルフレッドがたまらず言い返した。
だが、不敬罪を「何かもう古くない?」と言って廃止したのはアルフレッドである。
「好きならいいだろうが、好きなら! 結婚したら一生一緒だぞ、喜べ!」
「すきすぎてむりなのぉ……そっと陰から推してたいのぉ……」
「どういう感情だよお前それは」
「だってもうさぁ、小さい頃からずっとずっとずーーーっと好きなんだよ?」
アルフレッドが自分の顔を両手で覆ってめそめそと泣き言を言い始めた。
齢20を超えた大人の男がそんなことをしている様は正視に耐えない。
皆が「うわぁ……」という視線を向けていた。
でも優秀なんだよな、この人。いっそ本当にバカならよかったのに。
不安だな、この人に国任せるの。
それが概ね国民の総意であった。
「婚約してる今だってこんなに好きなのに結婚したらどうなっちゃうの!? もう俺どうにかなっちゃうよ!! 何するか分からないよ!? 自分で自分が怖いよ!!」
「俺たちも怖いよ、お前のこと」
「結婚だよ!? 結婚ってことは、さ、最終的には、同じお墓に入るんだよ!!?? 俺が!!?? ルルナと!!?? そんなこと許されるの!? 何らかの法に触れてるよ、捕まっちゃうよ!!」
「捕まってほしい、割と切実に」
冷めた視線を向けていた皆の視線が、ルルナ嬢に移る。
だいたいが同情の眼差しを向けていた。
この変人の手綱を握ることを要求されるのか、この子は。
気の毒に思うあまり、招待客の一人がルルナ嬢に話しかけた。
「ルルナ嬢、いいんだぞ、無理にこいつに付き合わなくても」
「そうだ、イケメン無罪っていうけどこれはさすがにキモい」
「訴えたら勝てるよ」
「いえ、わたくしは……」
皆の同情に、しかし、ルルナ嬢は首を横に振る。
そしてぺこりと、皆に向かって頭を下げた。
「すみません、皆さまにご迷惑を」
「なんでルルナが謝るのぉ!! そういう気遣い屋さんなとこも好きだけど! 大好きだけどぉ!!」
アルフレッドがすごい速度でルルナに駆け寄ってきた。
その肩にそっと手を添えている、ように見えるが、実際は5ミリほど浮いている。
そういうところがキモいんだよ、と友人は頭を抱えた。
「そんなのまるで『うちの亭主がすみません』みたいで俺また勘違いしちゃうよ!! 墓まで持って行っちゃうよ!!??」
「構いません」
ぎゃあぎゃあとわめくアルフレッドの顔を見て、そして。
ルルナが、ぽっと頬を染めた。
「わたくしもアルフレッド様のことを、……お慕いしておりますので」
「ヒュッ」
一拍後、アルフレッドが大きな音を立ててその場に倒れた。
駆け寄った友人がその手首を握って、脈を取る。
「し、死んでる…………」
その後、早めの心臓マッサージが奏功し無事に息を吹き返したアルフレッドは「推しが尊すぎて死ぬってこういうことだったのか」と語り、友人たちにしばき回された。