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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
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第41話 夜明けの縁

夜は深く、冷気が肌を刺した。廃村で立ち上った血の匂いが、焚き火の残り香と混ざって鼻腔に張りつく。月は高く、木々の影が地面に濃く落ちていた。


七人は火の光の届かない輪の中に集まり、声は自然と抑えられている。耳に残るのは、衣擦れと指先が地図を撫でるかすかな音だけだった。


レナードが静かに地図を畳み、顔を上げる。彼の目は冷たく、だが明確に焦点が定まっていた。

「ここから十数分のところに洞窟がある。そこの情報は何かあるか?」と低く問う。


エドリックは仲間たちの表情を順に確かめる。ミロが発言する。声は小さく、しかし震えはない。

「洞窟の情報は何もない。斥候の報告は廃村と洞窟で合わせて三十四人。今十八人を片付けた。分かっているのは残り十六人ってことだけだ」


その言葉が暗闇の中に落ちると、空気がさらに重くなった。エドリックは自分の呼吸の音さえ大きく感じた。血の匂いが、後頭部の毛穴まで覚醒させるように鼻を刺す。勝利の余韻なんかない。代わりに、確かな『次』の重さだけがある。


オズワルが先に口を開いた。声に興奮が混じる。

「攻めるべきだ。早い打撃が有利に働く。叩き潰せば数は関係ない」


ロランが続ける。冷静だが賛成は明白だ。

「俺も賛成だ。遠距離で圧をかけ、相手が気づけば罠に誘導する。そうすれば犠牲を抑えられる」


賛成が二人。エドリックはその表情に、夜の薄い光が映るのを見た。自信とも熱狂とも取れる光だ。


だが、ダリルが腕を組んで低く反対を述べる。声は沈んでいる。

「俺は反対だ。明かりのない道や洞窟ではスリングの命中率が落ちる。それに洞窟の地形次第で当たらない可能性が高い」


ミロも慎重さを主張する。

「僕もダリルに賛成だ。情報が足りなすぎる。十六人どころかもっといるかもしれない。リスクが大きすぎるよ」


意見は割れた。エドリックは自分の手のひらを見つめる。僅かに震えている――それは冷えのせいか、血を触れた記憶のせいか、自分でもわからなかった。


彼は隊員たちの体臭や呼吸で、今の緊張を読み取ろうとする。誰が本当に攻めたいのか。誰が怖れているのか。表情の裏にあるものを、彼は見逃さない。


トマが肩をすくめ、小声で言った。

「俺はみんなに任せるよ。ただ、まずはここに倒したやつらを弔おう。血の匂いで獣が寄ってくるかもしれない。それが一番危険だ」


その言葉で、会議は一瞬、別の現実に引き戻された。戦術だけでなく、単純な生存の問題がここにある。エドリックは胸の奥で、微かな安堵と同時に重い責任感を感じた。仲間の命だけでなく、自分たちの夜が、今ここで決まるのだ。


エドリックは少しの間を置き、静かに提案した。声は抑えられているが、その言葉には決断の端緒があった。

「俺はみんなの意見の中間だ。弔いをする者、廃村と洞窟の通り道を抑えて待ち伏せする者、偵察する者――三つの隊に分ける。こうすれば、情報を得ながら安全も取れるはずだ」


一瞬の沈黙。虫の羽音、遠くで木の枝が擦れる音が妙に大きく聞こえる。仲間たちの視線がエドリックに集まる。彼は自分が言葉を発した瞬間、何かが一段進んだのを内側で感じた。立場が中立であることは消え、責任が肩にずしりと乗る。


話を聞いていたレナードがゆっくりと顔を上げた。月明かりが彼の輪郭を浅く照らす。


「……エドリックの案を採る。オズワル、ロラン、悪いが協力を頼めないか」──言葉は淡いが、決断は確かだ。


オズワルは肩をすくめて、ふと笑ったように見せる。声は抑えられている。

「構わん。行けるなら早く叩けと俺は言っただけだ」


ロランは無言でうなずき、矢筒に手をやる。ふたりとも、思ったより素直に受け入れたようだった。


レナードは地図を軽く押さえ、指先で隊の配置をなぞる。

「これから部隊を分ける。異論はないか?」と短く問う。

誰からも返答はない。


「ミロ、洞窟の情報収集を頼む。ただし注意すること。明け方に盗賊がこっちへ来る可能性が高い。動きがあったらそこで情報収集は終え、すぐロランと合流しろ。合流後の判断は二人で行え。人数が始末できる範囲なら、その場で片付けて、こちらへ連絡を入れろ」

ミロは思わず胸を少し張って、低めの声で答えた。

「分かったよ。気をつける。何かあったら、すぐ知らせるから」


レナードは視線を移し、次にロランへ告げる。

「ロラン、廃村と洞窟を繋ぐ道を見張れ。少人数を見つけたら、その場で始末して構わない。だが、動きがあったらミロが合流する。二人で始末できるならやれ。無理なら待て。情報をこちらに回せ」


ロランは弓を軽く抱え直し、口元だけを動かした。

「了解だ」


レナードは残る者たちに向き直る。声がぐっと低くなる。

「残りの俺たちは、ここの死体を弔う。獣の寄り付きもだが、忘れるな――ここは王国領だ。いつこの村が後の拠点になるか分からん。腐った死体が残るようなら、後任に迷惑がかかる」


その言葉に、場がわずかに動いた。誰もが王国領という現実を一瞬忘れていたのだと気付き、顔を向け合う。レナードの口元に薄い苦笑いが浮かんだ。戦いはまだ終わっていない。戦争は向こう側で続き、ここに残るのはその痕跡だ。


「いいか、細かい指示はそれぞれで確認しろ。音は立てるな。会話は最小限で声色もできるだけ小さくしろ」とレナードが締めると、皆が静かに動き出した。


エドリックは胸の奥に、じんわりとした疲労と緊張が混じるのを感じた。血の匂いがまだ鼻に残る。だが仲間たちの背中は確かに動き、闇へと溶けていった。


ミロの小さな影が洞窟側へと消え、ロランは往路の小道へと向かった。残された者たちは、墓のように静かに跪き、夜の冷たさの中で手早く作業を始めた。


風が一度吹き、篝火の赤い残りが小さく踊る。

夜は深い。だが、この夜も、彼らにとってはまだ戦いの一部にすぎなかった。


***


冷たい夜気が木の葉を震わせ、血の匂いがさらに鋭く鼻を刺した。月は高く、廃屋の影は長く深い。エドリックは手袋を汚れに晒しながらも、無言で仲間と動き続ける。


レナードが低く指示を出す。声は小さいが確実に届く。

「死体は近くの堀にまとめろ。そのあとミロとロランの報告を受けて、埋めるか燃やすかを決める」


ダリルが首を傾げ、疑問を投げかける。

「なんで燃やす?埋めりゃいいんじゃねぇのか?」


レナードは少しだけ笑って、故郷の話をはじめるように答えた。

「俺の村での話だ。死体をそのまま埋めると、獣が掘り返して食い荒らしに来る。あいつらは匂いに敏感だ。それに――個人的なことだが、自分が普段歩いてる地面に腐った死体が埋まっていたら、嫌だろう?」


重い言葉だが、その語り口にはどこか人間くさい照れも混ざって、皆は小さく笑った。緊張が一瞬和らぐ。


エドリックはその笑顔を見て、自分の中に浮かぶ違和感をまた押し込める。笑いは生のための潤滑油だ。必要だ。だが手は震えていた。彼は倒れた盗賊を抱え、仲間とともに影へと運ぶ。腕に伝わる死体の重みが、罪悪感として胸に沈んでいく。指の間に滲む血が、冷たく凝固していくのが分かる。


作業は淡々と進んだ。堀に並べ、布で覆い、土をかける。

レナードが燃やすと決めれば、すぐに燃やせるように薪を集めておく。


エドリックは無言で首を振り、目を伏せた。手を動かすたびに、何かが胸の奥で鳴った。彼の中で「仕事」と「罪悪」が交互に顔を出す──どちらも消せない現実だった。


***


やがて作業は一段落し、東の空がわずかに白み始める気配がした。夜明けは近い。冷えた空気が手指の感覚を奪い、動きは鈍くなる。


レナードは声を落として告げる。

「ここからはダリルとオズワルに別任務だ」


皆が顔を向ける。月の下でその表情が浮かぶ。

「ダリル、お前はスリングをもってロランと合流しろ。任務は同じだ。合流したら交代で仮眠を取れ」

ダリルは短くうなずき、スリングを確かめると、廃村の小路へ消えていった。


「オズワルは少し眠れ。その後、森に入って罠を仕掛けろ。洞窟の連中は問題ないかもしれんが、援軍が来る可能性もある。人数が多ければ撤退するが、そのためにも時間稼ぎが必要だ」

オズワルは唇の端を上げて受け取り、薄暗い笑みを浮かべた。

「わかった。任せとけ」


レナードは続ける。声が優しくも冷たい。

「仮眠場所はここだ。壊れかけの納屋の陰、床に藁が残っている。屋根は少し抜けているが、風は防げる。ここで交代で眠っていく。」


エドリックは廃屋を見回し、納屋の影を確認する。そこには倒れた家具の残骸、そしてかすかな藁の塊があった。月光は届かず、息の白さが消える場所だ。


オズワルは藁の塊を上に布を引き枕代わりにしていた。汚れた手袋は外し、血が固まってきている短槍を近くに置く。すべては目に見える範囲に――目覚めた時すぐ動けるように。


「エドリック、お前も先に眠れ。中距離の要はお前だ。集中が切れたら意味がない。時間になったらトマが起こしに行く。トマの仮眠が完了したら俺が入る」


「トマと俺はまだ作業を続ける。眠いのは分かるが、作業が遅れればどんな問題が起きるかわからん。エドリックたちが寝ている間に終わらせられれば、俺たちは安心して眠れる」

レナードは冗談交じりに笑った。


トマが軽く笑った。

「それなら頑張ろうか。ミロやダリル、ロランも寝てないしね」

そう言うと、肩をすくめて立ち上がる。

「じゃあ、おやすみ」

トマは外に出ていき、冷たい空気の中で黙々と作業を再開した。

木片を運ぶ音が、遠くで微かに響く。


レナードがエドリックに目を向ける。

「早く眠れよ。起きたらやることは山ほどある」

その声には、命令よりも仲間への気遣いがあった。


エドリックは小さくうなずき、腰を下ろす。

装備を外し、短槍と投げナイフを手の届く位置に置いた。

地面に敷いた布は薄く、板の冷たさがそのまま背に伝わる。


隣ではオズワルが藁の上に横になり、「お先」とだけ短く言って、目を閉じた。

すぐに静かな寝息が聞こえ始める。

その速さに、エドリックは思わず小さく笑った。

どんな場面でも眠れる――頼もしさと羨ましさが同時に胸に刺さる。


エドリックは肩の布を引き寄せ、目を閉じる前に小さく息をついた。

さっきまで血と土にまみれた死体を片付けていたのに、今はもう、体が眠りを求めている。人間の体は残酷で、正直だ。


外をちらりと見る。

空の端がかすかに白く染まり、夜と朝の境界が滲むように混ざっていた。

それはまるで、戦いの終わりと次の始まりを告げる色のようだった。


エドリックは静かにまぶたを閉じた。

思考が薄れ、冷たい風と土の匂いが遠ざかっていく。

――眠りが、闇と共に彼を包んだ。


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