第40話 次なる闇へ
トマの投げた手斧が、月光を切り裂いて飛ぶ。
ほぼ同時に、ダリルのスリングが唸りを上げた。
石と鉄――二つの軌跡が夜の静寂をわずかに震わせ、巡回中の盗賊の顔と胸を同時に打ち抜く。
骨の砕ける鈍い音が重なり、二人の盗賊は何が起きたのかも分からぬまま崩れ落ちた。
レナードはすぐに手を挙げ、短く合図を出す。
――隠せ
声には出さない。
ハンドサインだけで、意味は全員に伝わった。
トマが素早く駆け寄り、倒れた盗賊の腕をつかんで物陰へと引きずる。
ダリルももう片方の死体を抱え、家屋の影へ運んだ。
二人が隠し終えるのを見届け、レナードがもう一度手を動かす。
――次は――あの家だ
トマは倒れた盗賊の胸元から、自分の手斧を引き抜く。
刃には僅かに血がついていたが、月光を浴びてすぐに黒く沈んだ。
息を殺したまま、三人は音も立てずに廃屋の扉へと近づく。
扉は半ば壊れかけており、板の継ぎ目から冷たい隙間風が吹き抜けている。
レナードが掌でゆっくり押すと、軋みはしたが、外には聞こえないほどの微かな音で開いた。
中は暗く、湿った土の匂いが鼻を刺す。
崩れた壁の向こうには、横たわる三つの影――寝息が聞こえた。
レナードは指先で二人に指示を送る。
――三人だ。――手前をトマ、奥をダリル、中央は俺
ダリルは静かにスリングを外し、腰の剣を抜く。
金属の擦れる音を殺すように、刃を布で包んでいた。
トマは血が乾ききっていない手斧を握り、呼吸を整える。
その横顔には緊張の中にも、どこか迷いのない決意が浮かんでいた。
レナードも腰の手斧を構え、寝ている盗賊たちを見下ろした。
男たちは酒に酔ったように眠り、手の届く位置には刃物すら置かれていない。
一瞬、心のどこかで考える――
このまま逃がすこともできるのではないか。
だがそれは、次の夜に味方の命を奪う結果になる。
レナードは深く息を吸い込み、吐き出す。
そして短く手を下げた。
――今だ
三人が同時に動いた。
ダリルの剣が喉を裂き、血が一筋だけ飛ぶ。
トマの手斧がうなりを上げ、首の骨を断つ。
レナードの手斧も同時に振り下ろされ、盗賊の喉を深く叩き割った。
音は、なかった。
ただ、布が擦れるわずかな気配と、息が止まる一瞬の震えだけ。
それきり、家の中に生きている気配は消えた。
レナードは刃を引き抜き、短く目を閉じる。
……すまない。
その言葉は声にはならず、心の中でだけこぼれた。
三人は互いを見やり、無言のまま頷く。
レナードが指で天井を指し、次の家を示す。
血の匂いが静かに漂い始めていた。
外では、ロランの弓がなおも沈黙を保っていた。
風が止み、廃村は再び闇に沈む。だが作戦は、まだ終わっていない。
***
同じ頃、エドリックたちも別の家屋に潜入していた。
廃村の中は風の通り道が少なく、空気が淀んでいる。
木の壁は腐り、床板はところどころ沈み込んでいた。
それでも三人は迷いなく進む。音を殺し、息を揃え、影のように滑り込んだ。
家の中では、盗賊たちが眠っていた。
明かりは消え、月明かりが崩れた壁の隙間から細く射し込む。
その光に照らされ、鈍く輝いた刃が三本――エドリックとオズワルの短槍、ミロの鎌だった。
三人は目を合わせる。
オズワルがわずかに手を動かし、合図を送る。
――同時にやる
エドリックは短槍を構え、喉元を正確に狙う。
オズワルも姿勢を低くし、息を殺して力を込める。
ミロは鎌の刃を裏返し、月光を反射させぬよう角度を変えた。
三人が同時に動いた。
乾いた音も、叫びもなかった。
短槍が首を突き刺し、鎌が喉を裂く。
寝ていた盗賊たちは何も理解しないまま沈黙し、家の中に残ったのは血の匂いだけだった。
オズワルが素早く周囲を確認し、ハンドサインを出す。
――次はどこだ?
ミロは頷き、崩れた壁の隙間――かつて窓だったであろう開口部から外を覗いた。
――次は……あそこだ。
指先が示したのは、斜め向かいの家。
灯りはないが、かすかに人の気配がある。
その時、隣の家から低い声が聞こえた。
「うぅ……しょんべん、しょんべん……」
眠たげな、間延びした声。
一瞬で三人の身体が硬直した。
エドリックは短槍を強く握り、オズワルが手で静止を示す。
ミロは息を止め、鎌を構えたまま耳を澄ます。
足音が軋む。
その男が外へ出ようとしているのが分かった。
扉が開き、夜気がわずかに動いた。
足音が軋み、男の影が家の前を通り過ぎていく。
ザッ……ザッ……
乾いた砂を踏む音が、夜気の中でいやに響いた。
三人は息を止め、視線だけで位置を確認する。
男はふらつく足取りで家の脇を抜けていく――その直後
外で、鈍い音。
何かが地面に倒れる音が響いた。
三人は互いに目を合わせた。
オズワルが短く頷き、音を殺して壁の隙間から覗く。
月明かりの下、倒れた盗賊の体。
その首筋には一本の矢が深々と突き刺さっていた。
ロランの矢だ。
オズワルがわずかに口元を緩め、息を漏らすように小声で呟いた。
「……すげぇな」
矢は正確に急所を貫いていた。
血が地面に滲み、風がその上を通り過ぎていく。
オズワルは再び顔を上げ、短く手を動かす。
――そのまま任務続行だ。――次はあの家だ
エドリックもミロも頷いた。
三人の影が再び闇の中へ溶けていく。
矢が放たれた夜の静寂は、再び何事もなかったかのように戻った。
だがその静けさは、確実に命を奪った後の静寂だった。
***
廃村の闇を縫うように進み、幾つもの家屋を静かに片付けた後、二つのグループはようやく互いの位置へと近づいていった。月明かりのもと、影が重なり合う地点で、レナード側とオズワル側の三人組が無言で合流する。そこには、言葉の代わりに短い手信号が飛び交った。
レナードが片手を挙げ、指で人数を示す。――こちらはこれだけ仕留めた。という合図だ。
オズワルは片手を折り、手のひらで同じく数を返す。――こちらはこれだけ。という意味になる。
視線を合わせ、両者は互いの指先をざっと数え上げる。残りの人数が頭の中で静かに整理される。
レナードが地図の代わりに示した方向を指差す。連合側の入口──通りの向こうに二つの影が見えるはずだ。オズワルが短く頷き、二人は顔を寄せて声にならない速さで情報を共有する。
「残りは、連合側入口の二人だ」
レナードの目は冷たく光り、短く拳を固める。全員がその意図を理解して頷いた。
――行くぞ
手の合図一つで、影は再び分かれて各自の位置へと散っていった。
準備は手早く、しかし音一つ立てずに行われる。矢筒を軽く押さえ、スリングの石を指で確かめ、手斧の重みを掌で感じる。歓声も安堵もない、ただ沈黙の意思だけがそこにあった。
やがて、見張りの影が二つ、焚き火のほうを向いて立っているのが見えた。距離はあまり離れていない。レナードはトマと目を合わせ、短く手を動かした。投擲の合図だ。
――トマ、この距離から手斧は狙えるか?
レナードの目が問いかける。
トマは軽く頷く。答えは無言だが確実だった。
――よし。残りは俺とトマで仕留める。外したときは援護を頼む
手信号での指示に、全員が応えるように頷いた。援護の態勢が整う。
その言葉に、ダリルがスリングを構え、エドリックは投げナイフを軽く持ち直す。
ミロも短弓を引き絞り、オズワルは視線で周囲を警戒する。
静寂がさらに濃くなる。レナードが一度だけ息を吸い込み、二人に合図を送った。
――投擲
トマの手斧が、盗賊を狙って放たれる。レナードも自らの手斧を振り抜いた。二つの軌跡が並んで夜を裂き、どちらも急所に深く命中した。盗賊はその場に崩れ落ち、短い地面の衝撃音だけが鳴った。
オズワルがすぐに前に出て、倒れた者の息を確かめる。
仕留めてあることを確認すると、彼は掌で小さく合図を返した。無言の確認が回りに伝わる。
レナードはその報告を受けて、低く息を吐いた。
彼の表情に安堵の色がわずかに差す。
誰も声を出さなかったが、その場に広がる空気は確かに変わっていた。
緊張の糸がわずかに緩み、夜風が再び通り抜ける。
レナードは短く息を整え、仲間たちを見渡した。
「……全員、怪我はないな」
その言葉に、皆が小さく頷く。声はまだ抑えられていたが、目には確かな光が宿っていた。
「よし。――次は洞窟だ」
レナードの視線が、森の奥、闇の向こうに向けられる。
「ここで一度、作戦を練り直す。廃村は制圧したが、洞窟に残っている連中を見落とすわけにはいかない」
エドリックが息を呑み、仲間たちはそれぞれ静かに位置を変えた。
オズワルが地面に小枝で簡易の地図を描き、ミロが矢じりで目印を刻む。
トマが周囲を見回し、そっと指笛を鳴らした。
音はほとんど聞き取れないほど小さく、虫の羽音に紛れる。
それでも、遠くに潜んでいたロランの耳には届いたようだった。
しばらくして、暗闇の奥から微かな足音が近づいてくる。
ザッ、ザッ……と湿った土を踏む音。
やがて、ロランの姿が現れた。弓を背にかけ、慎重に周囲を確認している。
レナードが短く頷くと、ロランはすぐに歩調を合わせて輪に加わった。
「異常はなかった。洞窟側にも、まだ動きはない」
声は低く、だが確信に満ちていた。
焚き火の残り火が淡く照らし出す中、七人は再び肩を寄せる。
オズワルが地図の上に指を置き、ミロが刻んだ目印をなぞる。
静かな呼吸と衣擦れの音だけが、夜の闇に溶けていった。
そして、再び作戦が練り上げられていく…




