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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
35/60

第35話 戦いへ向かう日

翌朝、砦の東にある詰所の窓から、淡い陽光が差し込んでいた。

木製の机の上には地図と書簡、油に濡れた革紐が並べられている。六人はそれぞれの席につき、装備を点検しながら短く言葉を交わしていた。


「矢筒、問題なし」

ロランが確認し、淡々と報告する。

「槍の穂先も整ってる。オズワル、替えの縄は?」

「ここにある。だが重いな……荷は分けよう」


トマとダリルが冗談を交えつつも手を動かす。笑いは短く、すぐに真剣な空気が戻る。

任務前の静けさには、これまでの訓練で染みついた緊張があった。

そんな緊張が戻りつつある中、扉がノックされた。


ノックの直後、扉が開き、光が差し込む。

「みんな、久しぶり!」


ミロが笑顔で立っていた。

その瞬間、部屋の空気が一変する。

「おいミロ!」「生きてたか!」「久しぶりだな」

ダリルが背中を叩き、トマが肩をつかみ、ロランでさえ口元をわずかに緩めた。


笑い声が重なる中で、エドリックは一歩下がってミロを見つめた。

陽光の中のその顔――笑ってはいるが、どこか鋭く、肌の焼けた色も深い。

(……変わったな)

恐れを隠して笑っていた昔のミロではない。過酷な任務をくぐり抜けた者の、静かな強さがあった。


ミロは一歩、部屋の中央に進み出た。

周囲の空気が自然と静まり返る。

彼は背筋を伸ばし、右手を胸に当てると、きびすを返すようにして上官への敬礼をした。

動作は正確で、音も立てず、それでいて力強い。

訓練で覚えたものではなく、戦場で覚えた礼。命令を受け、命令を伝えてきた者の重みがあった。


敬礼の一瞬、誰も言葉を発しなかった。

先ほどまでの笑いが遠のき、空気にわずかな緊張が戻る。

その姿にはもう、守られる側の徴募兵の面影はなかった。


そのまま姿勢を崩さず、真っ直ぐにレナードを見据える。

「レナード隊長、報告に参りました」


レナードが頷く。

「久しぶりだな。ミロ。俺がこの部隊の隊長に任された。改めてよろしくな」


隣でオズワルが肩をすくめる。

「副隊長は俺だ。よろしく頼むぜ。レナードよりは口数が多いから安心しろ」

「いや、それはそれで怖いんだけど」

ミロが苦笑すると、再び小さな笑いが起きた。


「話はランデル副隊長から聞いてるよ。二人なら安心だ」

「そう言ってもらえると助かる」レナードが短く返す。


部屋の空気が再び引き締まる。

「じゃあ会議を続けよう。ミロ、奇襲地点を説明してくれ」


ミロはうなずき、腰の袋から巻簡を取り出した。

机の上に地図を広げ、指先で一点を示す。

「予定地点はグレイウォール山脈の北側。この辺りだ」


声の調子が変わる。さっきまでの笑顔とは違い、兵士の声だった。

「このあたりには廃村がいくつかある。これまでに王都から派遣された野戦部隊や砦の奇襲部隊が、盗賊の拠点を二つほど潰している」


皆が地図をのぞき込み、ペンを走らせる。

「今回、僕たちが狙うのはここ。砦から歩いて一日と数時間ほどの国境沿いの廃村だ。今も斥候班が見張っている。僕たちはその班と入れ替わって任務に就く予定だ」


「二十人前後と前情報をもらっているが本当か?」オズワルが眉をひそめて問い返した。


ミロはわずかに首を振った。

「正確な数はまだ分からない。実際にはもっと多い可能性もある。

廃村の出入りをしている連中が何人も確認されてるし、他の廃村やヴァイス連合側からの合流も考えられる。

情報が古いかもしれない。だからまず、周囲の斥候班と照合して、初動は慎重に行こう。最終判断は――」


ミロの視線がレナードとオズワルへ向く。

「……二人に任せる」


レナードは頷き、低く言った。

「了解した。判断は俺たちがする」


その言葉に全員が姿勢を正した。

机の上の地図を囲む七つの影が、朝の光の中で重なり合う。


――戦いの前にしては、奇妙に温かい時間だった。


***


ミロの説明が一段落し、詰所の中に静かな間が生まれた。


その沈黙の中で、エドリックは自分の胸の奥に、かすかな鼓動の高鳴りを感じていた。

仲間と肩を並べて戦場へ向かうという現実が、ようやく形を持ちはじめた気がした。


恐怖はある。だがそれよりも――この砦で過ごした日々で得た居場所を守りたいという思いの方が強かった。


(……俺も、やるんだ)

小さく息を吐き、エドリックはミロに視線を向ける。


ミロが再び地図の上に指を滑らせながら言った。

「任務の期間は一週間を想定している。目的地までに一日。任務の遂行に二日から五日。ここは相手の動き次第だね。もっと早く終わるかもしれないし、場合によっては任務の放棄もある」


オズワルが眉をひそめる。

「放棄、か」

「うん。国境沿いだからね。連合側の補給線とぶつかる可能性もある。それに、人数が予想より多ければ、無理に突っ込む必要はない。その場合は撤退して、情報を砦へ持ち帰るのが最優先になる」


真剣な表情で聞く仲間たちに、ミロは続けた。

「奇襲作戦が成功した場合は、その後は斥候任務として二日ほどの監視と場合によっては敵の排除任務。最後に帰還で一日。

……ただ、これはあくまで理想的な進行だ。計画通りにいかない可能性のほうが高い。

だから食料は最低でも十日分は準備しておこう」


レナードが頷く。

「了解だ。斥候班との交代までの時間は?」


ミロは地図から視線を上げた。

「出発は今日の夕方前にしよう。任務自体は明日からになるけど、朝に出ると気温が上がって水の消費が激しくなる。

夕方前に出れば、斥候班が使っている水辺まで夜にはたどり着ける。

そこを今日の拠点にすれば、遅くても明日の夜には目的地へ着けるはずだ」


レナードは腕を組み、少し考える。

「なるほどな……。それなら、移動中に作戦を詰める時間も取れそうだ」

「そうだね」ミロが静かにうなずいた。


詰所の中に再び静けさが戻る。

だが先ほどとは違う――

今度の沈黙には、出発を前にした覚悟と、確かな緊張が宿っていた。


***


小隊の行動は素早かった。

任務内容の確認を終えると、誰も無駄口を叩かず、それぞれの持ち場へ散っていった。


トマとダリルは食料の調達を任され、ロランは短槍や短弓、短刀などの状態を確かめ、磨きながら一本ずつ丁寧に手入れをしていた。

レナードとミロは詰所に残り、目的地までのルートを地図で確認している。

俺とオズワルは、水と投擲武器の調達を任された。


中庭を抜け、砦の裏にある倉庫へ向かう。

歩きながら、俺は心の中で小さく息を整えた。

(……今日の夕方には、砦を出るんだな)

何度も訓練で外へ出たが、今回は違う。戻ってこられる保証のない任務――そう思うと、胸の奥が静かに熱を持った。


「緊張しているか?」

隣を歩くオズワルが不意に言った。


「ああ。それはそうだよ」

正直に答えると、オズワルは小さく鼻を鳴らした。

「俺もだ」


しばらく二人とも口を閉ざしたまま、足音が鳴るだけだった。

倉庫に着くと、オズワルは水袋を取り出しながら言った。

「お前らの補助は任せときな。俺は投擲や遠距離攻撃は苦手だが、その分、周りを見て動く。副隊長としての仕事は、それも含めてだ」


その言葉に、迷いのない決意が感じられた。

彼の背中には、以前の粗削りな闘志ではなく、部隊を支える覚悟があった。


「もし盗賊に近づかれたときの接近戦は任せな」

そう言って、オズワルは俺の肩を軽く叩いた。

その手に宿る力強さが、不思議と安心感をくれた。


確かに、オズワルは接近戦においてこの隊で一番強い。

ただ力があるだけじゃない。槍や短槍を握ったときの彼は、突きも払いも自在で、まるで生きた風のようだった。


「……ああ。投擲は任せてよ。その代わり投擲武器の支援は頼むね」

そう言うと、オズワルが一瞬きょとんとした顔をした。


そして、軽く笑った。

「ガキのクセに、いっちょ前に言いやがって」

そう言って俺の頭をぐしゃぐしゃにかき回した。


「やめろよ」

そう返しながらも、気づけば俺も笑っていた。


二人で倉庫を出ると、陽は少し傾き始めていた。

砦の中庭を横切り、古い石造りの井戸へと向かう。

風に混じって、滑車のきしむ音がかすかに聞こえた。


オズワルが井戸の縁に手をかけ、水汲み桶を引き上げる。

冷たい水が反射して揺れ、陽光を受けてきらりと光った。

俺も隣にしゃがみ込み、水袋を差し出す。


井戸の底から響く水音が、砦の静けさに溶けていく。

その音を聞きながら、俺はようやく実感した。

――これから本当に、戦いへ向かうのだと。


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