第33話 独立奇襲小隊
森の訓練が終わってからの数週間、俺たちは奇襲の訓練に力を入れていた。
朝は森を歩き、索敵や罠の確認を繰り返し、昼からは山の斜面での移動や戦闘の訓練に移る。
地形も風も違う環境の中で、同じ動きを求められるのは想像以上にきつかった。
森では湿った空気と静けさの中で感覚を研ぎ澄まし、山では乾いた風に体力を削られながら足場を確かめる。
どちらも一瞬の気の緩みが命取りになる。その緊張が、いつの間にか当たり前になっていた。
風は冷たく、岩肌がむき出しの斜面は一歩踏み外せば転落するような場所も多い。
最初の頃は足場の悪さに慣れず、体を支えるだけで精一杯だった。
暑い日には水分の取り方までも注意された。喉が渇いてからでは遅いと、ランデルに叩き込まれた。
雨の日には全員が泥まみれになった。滑る斜面を登り、倒木の陰で息を整え、泥と汗の区別もつかないまま訓練を続けた。
森の中の歩き方も、ようやく形になってきた。
最初は行進訓練の癖が抜けず、音を立てずに動くことが難しかった。
だが、ランデル副隊長から「少しずつ形になっている」と言葉をもらえた日、皆の表情がわずかに緩んだ。
訓練をつける教官も日ごとに変わった。
遠距離攻撃の名手、気配を絶って近づく暗殺の達人。
その動きは一瞬で、何をしたのか分からないまま標的を仕留めていた。
俺たちはそれを見て、戦場での速さの意味を知った。
自分たちの隊だけでなく、他の部隊とも合同で講義があった。
人体の急所、戦闘時の意識の置き方、敵の反応を読む方法。
紙に書かれた知識ではなく、戦場で生き残った者の言葉がそこにあった。
そして、訓練の合間に届いた報せがあった。
斥候が発見した盗賊の拠点を、先任の奇襲部隊が急襲し、壊滅させたという。
抵抗はあったが、敵の多くは森を抜ける前に討たれ、生き残りは捕縛された。
その知らせは、静かな訓練場に重く響いた。
自分たちが山を登り、足場を確かめている間にも、どこかで戦いは起きている。
血が流れ、命が失われている。その現実が、汗よりも冷たく胸の奥に残った。
ヴァイス連合国は、その動きに反発していると聞く。
上層部では「報復があるかもしれない」との意見も出ていたらしい。
だが、ガレス隊長曰く参謀のカディンが言っていたという。
「それはない。盗賊と手を組んでいることが他国に知れれば、向こうが糾弾される。」
つまり、敵はまだ牙を見せていない。
けれど、静けさの奥に潜む気配は確かにあった。
俺たちの訓練も、その気配を察して動き始めていた。
***
久しぶりに、小隊の詰所にガレスから集まるように指示を受けた。
木の机と椅子が並ぶだけの狭い部屋。窓の外では、訓練を終えた兵たちの声が遠くに聞こえる。だがこの部屋の中は、不思議なほど静かだった。
集まったのは、エドリック、ロラン、オズワル、ダリル、トマ、レナード、そしてガレス。それぞれが緊張を隠すように、姿勢を正して立っている。
ガレスが机の前に立ち、静かに口を開いた。
「今日から――お前たちは、奇襲部隊ではなく『独立奇襲小隊』として正式に任命された」
ざわりと空気が揺れる。
エドリックは思わず隣を見た。ダリルも目を丸くしている。
「俺やランデルたちで推薦して最終的にはルガン隊長が判断した。理由は明確だ。お前たちの攻撃能力が、他の部隊よりも抜きん出ているからだ」
短く間を置き、視線を全員に巡らせる。
「作戦実行時には、ずっと斥候任務に出ているミロも合流する。あいつを加えて七人――それがお前たちの正式な部隊だ」
エドリックの胸がわずかに熱くなる。ミロの名を聞いたのは久しぶりだった。
ガレスは前に一歩出ると、低い声で言った。
「隊長を任命する。レナード」
レナードがわずかに目を見開いた。
「副隊長はオズワルだ」
オズワルも短くうなずいた。
「異論はないな」
誰も口を開かなかった。むしろ、その決定には自然な納得があった。
レナードもオズワルも、誰よりも冷静で、誰よりも周囲を見て動ける。
ガレスは腕を組み、言葉を続けた。
「レナードはこの隊で最も防御能力が高い。訓練中の仮想指揮でも、判断と指揮の両方が安定していた。
オズワルは近距離戦ならこの小隊で一番だ。仮想指揮でもレナードに次ぐ高い水準を見せている。
それに遠距離攻撃ができない分、それを補う動きを常に意識している。エドリック、ダリル、ロランとの連携も呼吸が合ってきた」
「そして何より二人は、他の四人に比べて周りを見る力がある。隊を生き残らせるのも、壊滅させるのも、お前たち次第だ」
一瞬、空気が張り詰めた。
だがそのあと、穏やかな声で続ける。
「だが心配はしていない。これまでの訓練を見ても、聞いても、確実に成長している。――頼んだぞ、隊長、副隊長」
ガレスの言葉に、全員が同時に敬礼した。
その動きには、訓練の成果と誇りがあった。
その時トマが控えめに手を上げた。
「すみません。この状況で聞くのはどうかと思ったのですが……奇襲部隊と独立奇襲小隊って、何か違うんですか?」
その言葉に、空気がわずかに止まった。
確かにもっともな疑問だった。
隊長と副隊長が決まり、自分たちの居場所が定まったことで、皆その事実に意識を奪われていた。
ガレスは小さく咳払いをすると、腕を組んだ。
「いい質問だ」
低い声が部屋に落ちる。
「通常の奇襲部隊は、本隊の指示に従って動く。任務の開始も終了も、上からの命令だ。現場がどうであろうと、基本は従う」
そこで一度言葉を切り、全員を見渡した。
「だが――独立奇襲小隊は違う」
空気がわずかに張り詰める。
「最終的な任務の継続、あるいは撤退。その判断を現場に任せる。つまり、隊長と副隊長が状況を見て決めることができる」
トマが目を瞬かせる。
「それって……命令より、俺たちの判断が優先されるってことですか?」
「そうだ」
ガレスは短く答えた。
「もちろん好き勝手に動けるわけじゃない。目的は与えられる。だが現場は生き物だ。敵も地形も状況も、報告通りとは限らん」
静かな声だったが、その重みは十分に伝わった。
「本隊の命令が正しいとは限らない。だから判断を預ける。それだけ、お前たちに責任があるということだ」
部屋の空気がさらに重くなる。
エドリックは無意識に息を呑んだ。
自由が与えられるということは、失敗も自分たちの責任になるということだ。
ガレスは視線をレナードとオズワルへ向けた。
「判断を誤れば、隊は壊滅する。だが、正しく決断できれば生き残る確率は上がる」
レナードは静かに頷いた。
オズワルは腕を組んだまま、わずかに眉を動かしただけだった。
「つまりだ」
ガレスの声が少し低くなる。
「お前たちは使われる兵ではない。現場で考え、生き残るために動く兵になる」
その言葉が、ゆっくりと胸の奥へ沈んでいく。
誰も声を出さなかった。
エドリックは仲間たちを横目で見た。
レナードの表情は変わらない。
オズワルも静かだった。
だが、その肩にはこれまでとは違う重さが乗ったように見えた。
俺たちは、もうただ命令されるだけじゃない。
そう思った瞬間、胸の奥にわずかな熱が灯る。
誇りなのか、不安なのかは分からない。
ただ確かに、何かが変わった気がした。
ガレスは最後に短く告げた。
「独立とは自由じゃない。責任だ」
その言葉だけが、静かな部屋に長く残った。
***
小隊は解散にはならなかったが、奇襲任務にはガレスは加わらない。
俺たちが奇襲任務に参加している時は、砦の防衛や、周辺の村や町の護衛を担当しながら、新しく配属された兵たちへの訓練指導も任されることになったという。
少しだけ、寂しさのようなものが胸の奥に残った。
訓練で怒鳴られ、時に励まされ、気づけば誰よりも信頼していた。
いざ離れるとなると、背中を預けられる相手がいなくなるような感覚があった。
だが、それを口にする者はいない。
ダリルがニヤリと笑う。
「ってことは、レナードはガレス隊長と同じ立場ってことか?」
レナードが即座に返す。
「そんなわけないだろ。隊は解散してないんだから」
オズワルがため息をつく。
「お前に指示するの、正直怖ぇわ……変な判断すんなよ」
「ほう?」
ガレスが低く唸るように声を出す。
その瞬間、部屋の空気が一気に冷えた。
「ひっ!」
オズワルの肩が跳ね、皆が吹き出した。
笑い声が詰所の中に広がる。それは訓練場では聞けなかった、素の笑いだった。
やがてガレスは表情を引き締め、短く息を吐いた。
「さて――笑いはここまでだ」
彼は机の端に手を置き、全員を見回す。
「このあと、六人で会議を開け。これからお前たちは任務が来たら小隊として動く。話し合いの中で、自分たちの形を決めろ」
レナードとオズワルに視線を向ける。
「特にお前たち二人だ。どんな状況下でも隊を動かせるようにしておけ。
指示の出し方、動きの伝達、予想外の出来事で分断されたときの行動――その全てを想定しておけ」
部屋の空気が静まり返る。
ガレスの声には、これまでのどんな訓練指導とも違う、重みがあった。
「任務が来たら、俺の手を離れる。だが、お前たちなら問題ない。――自国を、そして隣にいる仲間を守れ」
全員が姿勢を正し、再び敬礼する。
「任務がこなければ訓練は明日も続行だ。だがいつ命令が来てもいいように、心構えはしておけ!」
「はい!」
全員の声が詰所に響いた。
その瞬間、部屋の空気が引き締まり、誰もが次に進む覚悟を静かに胸に刻んだ。
その外で、まだ誰も知らない戦いの足音が、確かに近づいていた。




