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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
31/57

第31話 森と罠

昼の日差しが、砦の外の森を斜めに照らしていた。

朝の冷え込みが和らぎ、葉の間を抜ける風が少し暖かい。

武器の訓練を終えた六人は、汗の跡が乾ききらぬまま森へと向かっていた。


「……さっきまで石畳だったのに、今度は森か」

ダリルが草を払って歩きながらつぶやく。

「どこまでやるんだ、今日一日で」


「戦場に休みなんかないってことだろ」

オズワルが短く返す。


その声に、ランデルが前を歩きながら振り向かずに言った。

「今のうちに疲れとけ。実戦じゃ、体が慣れる前に死ぬ」


その淡々とした口調に、誰も何も返せなかった。


***


森の奥へ入ると、斜面に囲まれた開けた場所が現れた。

ランデルはそこで立ち止まり、腰の袋から縄や鉄輪、木の杭を取り出した。


「ここでやる。罠の適性訓練だ」


地面に並べられた道具はどれも簡素だった。複雑な仕掛けもない、どこにでもあるようなもの。見た目は地味だが、すべて殺すではなく止めるための道具だった。


「いいか、罠ってのは派手じゃなくていい。特に奇襲任務時なんて殺傷能力なんてどうでもいい。敵の位置が分かればそれだけで作戦の成功率は高くなる」

ランデルはしゃがみ込み、縄を結びながら続ける。

最後に枯れ枝を持ち上げ、下に輪を隠した。


軽く足で踏むと――カラン、と石が転がり、音が響く。

「こうやって足元を読ませる。場所が分かれば相手は慌て、こちらは優位に立つ」


説明したあと、古い金属片をあたりにばらまく。

「古典的だがこれも立派な罠の一つだ。相手を怒らせ、ばらまいた金属片を踏ませるだけでも行動力を奪うことができる。また逃走時にも相手の足を止めるために非常に有効だ。これは簡単にできるから、奇襲任務の場合は必ず携帯しておけ」


ランデルは散らばった金属片を拾い集めながら言った。

「今回は罠の適性を見たい。こちらからやり方や仕掛ける場所は何も言わない。まずはやってみろ」


***


六人はそれぞれ散り、仕掛けを試し始めた。

ロランは獣道を選び、足跡の位置を見て木の根を利用する。

通れば枝が鳴る位置を見定め、そこに縄を隠した。彼の罠はまさに狩人そのものだった。


オズワルは木の幹に細い縄を渡していた。

木と木を結び、力が分散して切れにくくなる網の要領で張っていく。動きは滑らかで、確かな手際だった。


「ふむ……二人は経験で動けてるな」

ランデルが短く評価する。


そのとき、斜面の下でダリルが地面を掘っていた。

土を手で押さえ、石を並べ、倒木を横に転がす。


トマが首をかしげる。

「おい、それ……罠か?ただの邪魔じゃないか?」


ダリルは土まみれの手で笑いながら、石をもう一つ押し込んだ。

「相手の嫌がることをすればいいんだろ?簡単だろ?」


ランデルが思わず吹き出した。

「……はは、確かに理屈は合ってるな」


しばらくその様子を見ていたが、ダリルの仕掛けは意外に理にかなっていた。

足場を不安定にし、視線をそらし、焦りを誘う。

単純だが、確かに戦場での嫌がらせとしては一級品だった。


ランデルは笑みを浮かべながら、隣のガレスに小声で言う。

「おいガレス、こいつ俺にくれないか?鍛えれば化けるぞ」


ガレスは腕を組んだまま、肩を震わせて笑った。

「だめだ。お前の部下にしたら、めちゃくちゃな訓練をさせるだろ?嫌になって逃げちまう可能性があるから却下だ」


「……まあ、それもそうか」

ランデルが頭をかき、空を見上げた。

枝の隙間から陽が差し込み、光が彼らの顔に落ちた。


笑い声が一瞬だけ森に広がり、またすぐ静けさが戻る。

風が葉を揺らし、仕掛けられた罠の縄がかすかに鳴った。


***


ランデルは周囲を見回し、森の静けさの中で腕を組んだ。

一人ひとりの仕掛けを見ていくうちに、微妙な違いが浮かび上がってくる。


斜面の陰で縄を張る者。木の根の形を確かめながら枝を利用する者。

そして、倒木を動かして足場を歪ませている者。


「……なるほどな」

小さくつぶやき、ランデルは顎に手を当てた。


森の光が木漏れ日になって彼の頬を照らす。その視線が三つの方向を行き来した。

静かに地形を読む男。網を張るように動く男。そして――土を掘りながら笑っている男。


どの顔にも確かな感覚があった。

一人は獲物を追う目をしている。

一人は流れを読む職人の手をしている。

一人は、場を乱すことに楽しみを見いだしている。


ランデルはわずかに口角を上げた。

「……罠に向いてるやつらは、だいたい見えたな」

独り言のように言い、少し息を吐いた。


***


ランデルは全員を集めて低い声で話し出す。


「罠に向くやつは見えた。森を読む目のやつ、網を扱うような手のやつ、そして――妙に楽しそうに罠を仕掛けてるいたずらっ子だ」

彼は隊列のロラン、オズワル、そしてダリルの三人を指差すように視線を走らせた。

三人はどこか誇らしげでもあった。


「残りはすぐにばれるだろうな。仕事で培った能力、そして天性のいたずらの才能があるやつの真似はできん」

ランデルは肩をすくめる。だが、すぐに付け加えた。


そのあと、少し落ち込んでいるエドリック、トマ、レナードをみて

「気にするな。適性は伸ばせる。だがもっと大切なのは見破る力だ。相手も罠を仕掛ける。待ち受ける側の目がないと、こちらが罠に嵌る」


その言葉に、皆の表情が引き締まる。午前の緊張に、さらに張りが加わった。


「特にお前たちは、敵陣へ打って出る可能性が高い。向こうの地で仕掛けられた罠を見抜くことは、生き残ることに直結する。仕掛けるだけでなく、見抜く。そちらの方を重視しろ」

ランデルは一歩前へ出て、地面の小石を指先で弾いた。


「さて、やるぞ。これから俺が幾つか罠を仕掛ける。体を痛めつける罠は仕掛けない。音が鳴ったり、行動を制限させる罠だけだ。全神経を集中して見破れ。だが、静かに動け。声を上げるな。見つけたら合図を送れ。許可なく触るな」


そう言って森の中に消えていった。


ガサ…ガサ…と音が聞こえるが、森の音なのかランデルが罠を仕掛けている音なのかはわからない。木々の影が揺れ、まるで森そのものが息をしているようだった。

数分もしないうちにランデルが戻ってきた。


「準備完了だ。行け」ランデルが短く言うと、六人は間隔を取って歩き出した。目線は地面に、木の根に、葉の裏に――小さな違和感を探しながら。訓練は静かに、しかし確実に始まった。


***


昼の光が木々の隙間からこぼれ、森の奥は淡い緑に満たされていた。

空気は乾いているのに、どこか湿った気配がある。土の匂い、風の流れ、鳥の声――そのすべてが、罠の存在を覆い隠すように静かだった。


エドリックは慎重に足を運びながら、地面を凝視していた。

わずかな土の盛り上がり、葉の重なり、枝の傾き。

だが、どれを見てもただの自然にしか見えない。

(……正直、わからない)

心の中でつぶやき、息をひとつ吐いた。


視線を上げると、周囲の仲間たちも同じように止まっていた。

誰も動かない。誰も言葉を発しない。

森全体が息を潜めているように、沈黙が深く沈み込んでいた。


そのとき、背後からランデルの声が響いた。


「慎重になるのはいいが、慎重になりすぎると任務に支障をきたす場合もあるぞ。実際にはこの状況下で弓兵に狙われる可能性もありえる」

低く、しかしよく通る声だった。その響きに森の緊張が少しだけ揺らぐ。


最初に動いたのはダリルだった。短く息を吸い、思い切って一歩を踏み出す。

次の瞬間、カランッと乾いた音が響いた。


ランデルがすぐに言った。

「お前はそこで動くな。罠に引っかかったからな」


ダリルは動きを止め、顔だけで周囲を見た。そのわずかな視線の動きすら、罠の糸を震わせるように見えた。


直後、斜面の下でトマの体が傾き、ズザッと音を立てて転んだ。

小石が転がり、細い縄が地面に沈む。


「お前も動くな」


ランデルの声が鋭く飛ぶ。森の空気が再び静まり返る。


エドリックは息を潜め、周囲を見渡した。

レナードが最も前に出ている。動きは慎重だが、木の影を伝うように滑らかだ。

その少し後ろにロランとオズワル。ふたりとも視線の動きで、木の根や影の揺れを読み取っている。


エドリックはその背を見ながら、自分もゆっくりと前へ進み出した。

葉を踏まないように足を置き、呼吸を浅くして森の奥を見つめる。

光が斑に落ち、影が罠のように揺れていた。


そのとき、ロランが立ち止まり、指先で根元を示して合図を送った。彼の視線の先、木の根の間に細い縄が覗いている。


ランデルが言う。

「確かにそこにある。訓練を続行しろ」


ロランは頷き、慎重に足を前へ。

だが次の瞬間――パチンッと乾いた音。

木の枝が跳ね、足元の葉が舞い上がる。


「お前もそこを動くな」


ランデルの声が森を貫く。

木漏れ日の中、動かずに立ち尽くすロラン。

残ったのは、エドリック、レナード、オズワルの三人だった。


風が枝を揺らし、遠くで小さな金属片が転がる音がした。

その微かな響きが、森全体の緊張をさらに深く沈めていった。


***


レナードは、ほとんど音を立てずに前へ進んでいた。

枝の動き、草の向き、地面の沈み――そのすべてを読むように、わずかに身をかがめる。


また何度かランデルに報告をしており、「訓練を続行しろ」と言われている。

その後も足が止まるたび、視線が一点に留まり報告。またすぐに動く。

一歩、また一歩。彼の動きはまるで、森そのものに溶けていくようだった。


やがてランデルの声が低く響いた。

「お前はそこで終了だ」


レナードは振り返らずに立ち止まる。その姿には罠に触れた気配がない。

空気の流れすら乱さずに、見事に抜け切った。


オズワルも前へ進んでいる。

彼は木の根に縄をかけるような仕草で、指先をわずかに伸ばして報告。

その後慣れてきたのかどんどん進んでいる。


地面の凹凸、石の並び、風で押された枝の角度。

一見、何も変わらぬ景色の中に、わずかな違いを拾っていく。


ランデルの声がまた響く。

「お前も終了だ」


オズワルは無言のまま手を下ろし、ゆっくりと息を吐いた。

罠に触れた音も、草の揺れもない。


残るはエドリックひとり。

森の奥へ差し込む光が彼の顔を照らす。喉が乾き、手のひらの汗が冷たく感じられた。


(……二人とも、見抜いて進んだ)

心の中でそう呟き、足を前へ出す。


土を踏む感触、わずかな沈み。次の瞬間、地面の端に違和感を見つけた。

葉の下、ほんの少し浮いた土。


エドリックはしゃがみ込み、指先で葉をかき分けた。

そこにあったのは細い縄――

風に揺れることもなく、ただ静かに張り詰めている。


「……罠を発見しました」


声は低く、抑えられていたが、はっきりと響いた。

その報告の一瞬、森がわずかにざわめいたように思えた。


ランデルの声が返る。

「確認した。そのまま進め」


風が吹き抜け、森の奥の影がゆっくりと揺れた。エドリックは息を整え、慎重に足を前へ。葉の上に光が差し、縄の影が薄く消えていく。


静けさの中、彼の心臓の鼓動だけがはっきりと響いていた。


***


一つの罠を見破ってから、エドリックの中で何かが変わった。

目に映るものの輪郭が、わずかにくっきりしていく。

風の流れ、草の向き、枝の傾き――そのすべてが小さな違和感として浮かび上がってくる。


(……こういうことか)

胸の奥で小さく呟く。ただ足元を見るだけではない。

森全体の息づかいを感じる。その呼吸の中で、わずかに乱れている部分を探す。


エドリックはもう一度周囲を見回した。見破りやすい罠の形を思い出す。

それを囮にして、その周囲に小さな仕掛けを置く――

もし自分が罠を作る側なら、そうする。


さらに考える。相手の行動を読む。

自分たちが鎧を着た重い兵なら、通りやすい道を選ぶ。

だが今の自分たちは軽装の奇襲部隊だ。

ならば――むしろ通りやすい道を進む方が安全なのではないか?

敵が想定する通りにくい道を避けることで、逆に死角に入れる。


エドリックは視線を上げ、慎重に進路を変えた。

木の根が少なく、地面がわずかに踏み固められた道――

まっすぐで、歩きやすい場所へ。


葉を踏む音がかすかに響き、風がざわめきを運ぶ。


その瞬間、後ろからランデルの声が届いた。


「……ほう」


短い一言。

叱責でも称賛でもない、ただ観察するような声。それがかえって、エドリックの集中を研ぎ澄ませた。


前方の木の根に目を凝らす。そこ――他よりも土が盛り上がっている。葉をめくると、細い縄が影のように潜んでいた。


エドリックは小さく手を上げ、縄の走る先を示す。


報告と確認の声とともに、一歩を踏み出す。

慎重に、足の位置を確かめながら。

だが次の瞬間――


カチリ。


乾いた音が地面の下から響いた。反射的に息を呑む。足元の葉が動き、土の奥で何かが引かれた感触。


ランデルの声が落ち着いて響いた。

「お前もここで終了だ」


エドリックは息を吐き、立ち止まる。

森の静けさが再び広がり、木漏れ日の光だけが揺れていた。


森の奥に沈んでいた静けさが、ゆっくりと解けていく。

ランデルは周囲を見渡し、短く息を吐いた。

「――よし、これで終わりだ」


その声に合わせて、誰もがほっとしたように肩を下ろす。

木漏れ日がわずかに赤みを帯び、影が長く伸びていった。


一日の訓練が終わったというのに、誰の胸にも達成感ではなく、

静かな疲労と、得体の知れぬ手応えだけが残っていた。


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