第30話 戦場に向けての新しい手
砦の朝は、まだ冷たかった。
日が昇りきらぬ薄明の中、六人は装備を整えていた。
いつもなら重い鎧を着込み、金属の音を響かせて訓練場へ向かう。
だが今日は違う。
革の胸当てに、動きやすい短外套。足元も、鉄ではなく柔らかな革のブーツ。軽い。けれど、どこか心もとない。
「……なんか変な感じだな」
トマが足を動かしながらつぶやいた。
「鎧を着てないと、風が体にぶつかってくるみたいだ」
「だが、動きは軽いな。こっちの方が俺は好みだ」
レナードが胸の前の留め具を確かめながら言う。
エドリックは頷き、ふと周りを見渡した。
いつも一緒のミロの姿がない。
昨夜の作戦会議のあと、彼は斥候部隊の会議にも呼び出され、そのまま合流したのだ。
「今日から、別行動か……」
エドリックがぼそりとつぶやき、少しだけ寂しそうに笑った。
「じゃあ、俺たちは俺たちの訓練だな」
ダリルが軽く肩を叩き、皆の背を押すように言う。
六人はうなずき合い、砦の階段を降りていった。
***
訓練場に出ると、朝靄の中に二つの人影が立っていた。
一人はもちろんガレス。その隣には、ガレスよりも少し背の低い男が立っていた。
無造作に束ねた髪、日焼けした頬。鎧ではなく、黒ずんだ軽装。
ただ立っているだけで、空気が引き締まる。
「おはようございます、隊長!」
六人が声をそろえて敬礼する。
ガレスは短く頷き、隣の男に目を向けた。
「紹介しておこう」
低く響く声が、靄の中に落ちる。
「斥候部隊の副隊長――ランデルだ」
男は無言で軽く顎を引いた。その動きだけで、鋭い視線と経験が伝わる。
「この砦で、彼より奇襲任務に長けた者はいない」
ガレスの言葉に、六人は思わず姿勢を正した。
ランデルはわずかに口元をゆがめ、低く言う。
「今日からは、戦場で奇襲をする訓練をしてもらう。覚悟はいいな」
その声には威圧ではなく、実戦の冷たさがあった。六人の胸に、緊張と期待が同時に走る。
ランデルが一歩前に出て、腰に帯びた装備を順に地面へ置いていく。短弓、短刀、短槍、そしてスリング。冷たい朝靄の中、金属と革の音が短く響いた。
「今日は武器の適性を確認する。どれを扱えるかではなく、どれが生き残るために向いているかを見極める」
ランデルの声は低く、余計な抑揚がない。
「先にすべて、俺が使いながら説明する。よく見ておけ」
彼は最初に短弓を手に取った。
弦を軽く引き、放つ。矢が的の手前の石に当たり、乾いた音を立てて弾けた。
「短弓。携行性と連射性に優れる。森や崖の狭い隙間でも構えられる。射程は短いが、敵の動きを乱すには十分だ。風と姿勢の安定、それがすべてだ」
続いて短刀を抜く。
抜きざまに一歩踏み込み、目にも止まらぬ速さで振り下ろす。刃が空気を裂く音が耳に残る。
「短刀。夜間の奇襲、隠密行動に使う。近距離でしか通じんが、音が出ない。静かに仕留める覚悟がある者にしか扱えん」
次に短槍を手に取ると、軽く回転させ、間合いを測る。
「短槍。投げてもよし、突いてもよし。崖際で敵を牽制し、逃げ場を塞ぐのにも使える。投げたらすぐに身を隠せ。回収にこだわるな」
ランデルは動きを止め、革袋からスリングを取り出す。
石を一つ掴み、紐を巻き取るように振る。ひゅ、と音を立てて放たれた石は、少し離れた木の幹に当たり、鈍く響いた。
「スリング。弾薬は現地調達、音も少ない。射程は長いが、弓より短い。だが使いこなせば強力な武器になる。飛距離と角度を、体で覚えるしかない」
ランデルは一通りの武器を見せたあと、最後に腰の後ろから一本の斧を抜いた。
刃の部分は鉄ではなく、少し黒ずんだ鋼。柄は短く、片手で扱えるほどの長さだ。
「もうひとつ、これも覚えておけ」
彼は軽く構えると、体をひねりながら腕を振り抜いた。
金属の唸りとともに、手斧が一直線に飛び――遠くの木杭に深々と突き刺さった。
「手斧だ。狭い場所でも扱える。近距離で振り抜いても威力が落ちず、斬りつけにも投擲にも使える」
ランデルは木杭に刺さった斧を見ながら言葉を続けた。
「刃が重い分、弾かれにくい。外しても衝撃で骨を折る。スリングと違って音は出るが、確実に仕留めるならこっちが確実だ」
彼は刺さった斧を引き抜き、軽く手のひらで回して見せた。
「腕の力に自信がある者、あるいは近くで戦う覚悟がある者に向いている」
朝の空気の中、まだ刃についた樹皮のかけらが陽を反射して光った。
その静かな輝きに、六人は息をのんだ。
――たった一振りの鉄が、命の重さを教えるようだった。
ランデルは一通りの武器を地面に置き、列の前をゆっくりと歩いた。
朝靄の中、靴底が石畳を踏む音だけが響く。
「……罠の説明は、ここではやらん」
短く告げ、腰の袋を軽く叩く。鉄輪と縄がぶつかる音がかすかに鳴った。
「この訓練場の地面は固い。仕掛けても意味がない。罠は山に入ってから教える。あれは地形を読む訓練の延長だ。焦るな」
六人の視線が自然とその袋に集まる。中に何が入っているのか――誰もが気になった。
ランデルは再び前を向き、締めくくるように言った。
「お前たちに実際に使わせる。自分の武器を見つけろ」
エドリックは短弓の響きと、空を切った刃の音を思い返していた。
言葉よりも、実演の方が何倍も説得力がある――そう感じた。
ランデルは最後に短く言った。
「覚えておけ。奇襲とは武器を振るうことじゃない。先に見抜くことだ。敵を知り、風を読み、恐怖を飼いならせ」
六人の胸に、静かな緊張が広がった。
新しい訓練が、確かに始まろうとしていた。
***
朝靄の訓練場に、金属の音が淡く響いた。
六人が輪になり、それぞれに短刀が手渡される。
刃は研ぎ直され、柄には布が巻かれている。戦場用の実物だった。
「まずは短刀だ」
ランデルが淡々と告げる。
「軽いが、扱いを間違えば自分が死ぬ。動きながら使え」
短い説明のあと、六人はそれぞれ間合いを取った。
最初に構えたエドリックは、ぎこちないながらも自然に動く。
刃先を恐れずに踏み込み、手首の返しも悪くない。
「…悪くない」ランデルが小さく頷く。
一方で、ロランとレナードは最初から無駄がない。
ロランは狩人として動物を捌いていたのか、扱いがスムーズにで、レナードは木を削るように、切り込みも滑らかだった。
「……仕事で触ってたんで」とレナードが言うと、ランデルは「だろうな」と笑った。
ダリルも負けていなかった。
剣兵として剣の扱いになれているのか、最初は長さと重さに戸惑っていたが、すぐに慣れてスムーズに扱いだす。
トマとオズワルは――使えなくはない。
だが、手の中で「違う」感触に眉をひそめている。
「なんか……軽すぎるな」とトマ。
「魚を締めるときの方がよっぽど重ぇ」とオズワル。
「よし、次だ」
ランデルは短刀を下げさせ、短槍を指さした。
***
「槍を扱える者はいるか」
「俺と、オズワルとトマです」
エドリックが答えると、ランデルは頷いた。
「なら、見せてもらおう」
三人がそれぞれ構えを取る。
槍を握ると、空気が変わった。踏み込みの角度、足の開き――身体が覚えている。
エドリックの突きは正確で、トマは勢いがあり、オズワルは重さで押す。
「うん、槍兵組は問題なしだな」
残りの三人が続く。
ロランとレナードは「動きは理解している」が、どうにも硬い。
一方、ダリルは――手の中で槍が泳ぐ。
「……あー、これは無理だな」本人も笑いながら認めた。
次は投擲。ランデルが的を置き、指示を出す。
「十歩下がって投げろ。狙うのは胴の中心」
最初に投げたエドリックの槍が、真っ直ぐ飛び――的のど真ん中に突き刺さった。
「……お?」
訓練場に小さなどよめきが起こる。ランデルが片眉を上げた。
「悪くないな」
続いてオズワル。投げた槍が同じく命中。
「漁の延長だな」本人は淡々としていた。
レナードは、的には当たったが刺さらなかった。
他の者は、的にかすりもせず。ロランの槍は下に落ち、トマは上を越え、ダリルは――横に飛んだ。
「よし、次は弓だ」
***
短弓が並べられる。ランデルが軽く説明を終えると、六人が交代で弦を引いた。
結果は、あまりにも明白だった。ロランが放つ矢はすべて的に吸い込まれる。
呼吸を止め、風を読む。一射、また一射。矢が次々と木板を貫いた。
「……速射もやってみろ」とランデル。
ロランは三本を握り、ほとんど間を置かずに放った。
全て命中。
続けて角度を変え、丘の影の的へ放つ。
曲射――それも命中。
沈黙。風の音だけが響いた。
ランデルは口の端を上げる。
「……あいつ、俺より上手いぞ」
ガレスがわずかに目を見張り、他の兵も思わず息をのむ。
「お前は短弓と短刀で行け。適性検査終了だ」
「了解です」
「短刀の扱いは俺が見る」
ガレスがそう言って、ロランを呼び寄せた。
二人は訓練場の端へ移動し、個別訓練を始める。
***
残る者たちは次の武器へ。
ランデルが地面に手斧を並べる。
「次、手斧だ。斬るだけじゃなく、投げても使う。木を切ったことがある者は、とりあえず振ってみろ」
五人の手に斧が渡され、それぞれが一度構えてからゆっくりと腕を振り始めた。ランデルは投擲とは別に「刃と柄の感触を確かめろ」とだけ告げ、声を上げずに見守る。
トマは肩の力を抜き、腰を入れて大きく振る。斧が弧を描くたびに、柄の重みが掌に心地よく伝わった。牛を扱う動作と似た体の使い方で、一振りごとに軸がぶれない。三度目の振りで、彼の顔に自然な微笑が戻る。
レナードは細かな手首の返しで刃の先端を確かめる。木工で培った手仕事のリズムがそのまま動作に乗り、無駄のないフォームで斧の重心を感じ取っている。彼の振りは滑らかで、短いモーションの中に安定感があった。
一方で、エドリックは振るたびに少し身をこわばらせる。刃の重さに合わせられず、軌道が安定しない。ダリルは力任せに振っては空を切り、笑いながらも手元が揺れているのが見て取れた。
オズワルは斧を振るときの呼吸が一拍遅れ、漁で使う腕の動きと槍を使用していた期間が長かったためなのか、振り方が僅かに噛み合っていない。どちらも「使える」感はあるが、まだ身体が武器のリズムを覚え切れていない。
数度の振りを終え、ランデルが静かに合図した。空には斧の軌道を確かめたあと、投擲へと移る気配が満ちていた。トマとレナードの肩には、すでに「当てる」ための確信がにじんでいたが、他の者の顔にはまだ不安の影が残っている。
トマが肩を回し、無駄のない動きで投げる。斧が飛び、木杭に突き刺さった。
レナードも無駄のない動きで投げる。命中はするが、深くは刺さらない。
「さすがだな」ランデルが頷く。
オズワルとダリルは、投げるが的に当たらない。
「……もう一度」
とランデルに言われて投げるが、やはり的には当たらなかった。
短い沈黙。その場の空気がわずかに張り詰めた。
これまでの笑いが消え、皆の視線がエドリックへ集まる。彼は斧を構え、重みを確かめるように一度息を吐いた。刃が光を受けてかすかに反射する。
「……次」
短い言葉に押され、エドリックが腕を振り抜く。
手斧は一直線に飛び、木杭の中心に突き刺さった。乾いた音が訓練場の端まで響く。トマとレナードが思わず顔を見合わせる。
「……もう一度」
再度命令され、投擲。――命中。木杭がわずかに揺れ、刃の震えが残る。
ランデルが低く笑った。
「……お前、槍も斧も投擲うまいな」
***
最後はスリング。
革紐に石を乗せ、遠心力で飛ばす武器だ。
ランデルが軽く見本を見せて説明したあと、順に試す。
最初は失敗の連続だった。石は横に飛び、頭上に上がり、足元に落ちた。
だが――ダリルだけが違った。
最初の一投は的を逸れたが、二投目で角度を変え、三投目には的の端をかすめる。
数度目には完全に中心をとらえ、乾いた音が響いた。
「……お?」
もう一度。今度も命中。五度目も命中。
その後も当て続けほぼ百発百中の精度になっていた。
ランデルが眉を上げる。
「……すげぇな。多分、これまでの使い手で上達が一番早い」
他の者たちはどうにも上達せず、エドリックは石を遠くへ飛ばすことはできるが、狙いが定まらない。
その様子を見ていたランデルが、ふと思いついたように言った。
「お前、スリングじゃなくて、石を直接投げてみろ」
エドリックは頷き、無言で石を拾い上げた。軽く構え、肩をひねって放つ。
ゴッ。
鈍い音とともに、石が的の中心に当たる。
「……もう一度」
二投目。命中。
三投目も、わずかに角度を変えて同じ軌跡を描く。
訓練場が静まり返った。
ランデルがゆっくりと口を開く。
「お前……投擲の才能があるな。投げ方ができあがってる」
エドリックは目を瞬かせ、
「……昔、狼を追い払ったことがあって……」と答えた。
ランデルはうなずき、軽く笑う。
「それでも大したもんだ」
一方、ダリルはスリングでの命中を続けながら、「俺の方が数は当たってるけどな!」と冗談を言い、オズワルが「お前は投げたら自分に当てそうだ」と返す。
笑い声が一瞬だけ、冷たい朝の空に溶けた。
***
ランデルは一歩引いて六人を見渡した。
朝靄の向こう、まだ息の白い空気の中で、一人ひとりの武器を確認していく。
「……よし、だいたい見えたな」
低く落ち着いた声が響く。
ランデルは最初にロランを見る。
「お前は弓が一番合ってる。構えも呼吸も無駄がない。短刀も使えるようだが――弓が主軸だな。短刀は近距離用に持っておけ」
次に、トマへ視線を向ける。
「お前は槍がしっくりきてる。突きの角度が自然だ。手斧も悪くない、補助に持て。体の使い方が素直だから、両方こなせるだろう」
エドリックを見つめ、少し間を置く。
「お前は……短槍が主軸だな。突きも投げも筋がいい。短刀は補助に携帯しろ。それと投擲の腕は見事だった。お前の場合、短刀よりさらに短い投擲用のナイフを携帯させる。軽い分、精度を活かせるはずだ」
その言葉にエドリックは小さく息をのむ。
ランデルはダリルに視線を移して、説明したらレナードに視線を向けた。
「お前は近距離なら短刀と剣。遠距離ならスリング。どちらも手になじんでいた。どっちが主かなんて考えるな。状況で選べ。臨機応変が一番生き残る」
「お前は短刀と剣。そして手斧。動きが安定してる。だが、何となくだがお前は守りの形だ。後でバックラーも試してみろ。防御の感覚がある」
最後にオズワルを見た。
「お前は短槍でいい。突きの重さが一番ある。あれは真似できん」
ランデルは一拍置いてから続けた。
「それと――お前は先ほど投擲で命中を出していた奴と組め。あいつの投げが生きるよう、周囲を警戒してやれ。状況によってはお前も投擲武器を持ち、援護に回れ。お前の突きがあいつを守ってやれば、あいつの石も刃も通る」
軽く顎を引き、締めくくるように言った。
「補助は軽んじるな。支えることも戦いの一部だ」
ランデルは全員を見渡し、静かにまとめた。
「以上が初期の割り振りだ。だが勘違いするな。武器は使い慣れるほど裏切る。明日には別のものが合ってるかもしれん。結局、生き残った武器がお前の武器だ」
六人は誰も言葉を返さず、ただその言葉を噛みしめるように立ち尽くした。
冷たい風が流れ、訓練場の旗がはためいた。その音だけが、彼らの胸に静かに響いていた。




