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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
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第3話 選ばれる影

正午の鐘が、村の上空に重く落ちた。谷間の空気は震え、石畳に響き、藁葺き屋根の軒を這うように広がっていく。牛小屋の鎖が揺れ、犬が短く吠え、赤子の泣き声が家の奥から洩れた。村はすでに沈黙に沈んでいたが、その音はさらに空気を固く縛りつけた。


戸口から老婆が杖を突いて現れ、祈るように目を閉じた。子どもたちは母の裾に隠れ、指を噛みながら恐る恐る顔を覗かせた。

誰もが足を重くし、口を閉ざし、ただ一つの場所――礼拝堂前に立てられた赤い旗――へと吸い寄せられるように進んでいった。


エドリックは母アグネスに背を押されるようにして歩き出した。心臓は鉄の鎚で打たれるかのように高鳴り、足の裏が自分のものではないように痺れていた。ミロはすでに広場に立ち、落ち着きなく足元の砂を靴で削っていた。


二人が目を合わせた瞬間、昨夜丘で交わした言葉が胸に蘇った。――もし徴募が来たら、俺たちも行くのかな。今、その問いの答えが突きつけられようとしていた。


兵士たちは礼拝堂の階段に並んでいた。鎧の鉄板は土埃にくすみ、ところどころ打ち直された痕がある。それでも彼らは戦場の冷たい匂いを纏い、村人には到底近づけぬ存在に見えた。


中央に立つ隊長は三十半ばほど。頬に深い古傷が一本走り、眼差しは氷の刃のように鋭かった。村人を見ても人としてではなく、数字や駒としてしか捉えていない目だった。


「時刻は来た」


隊長が一歩前へ出た。声は低く、それでいて広場全体を支配する力を帯びていた。村人たちは互いに視線を交わし合ったが、誰も口を開こうとはしなかった。咳払いひとつすら憚られるような沈黙が広がった。


「三名を出せ」


その言葉は短く、鋭く、広場の石畳に突き刺さった。


だが誰も動かない。


村人たちは目を伏せ、地面の砂を見つめ、口の中で言葉を噛み殺した。どの家も「自分ではない誰か」を望んでいた。


母親は子を抱き寄せ、老人は震える手で胸を撫で、男たちは拳を膝に押しつけながら視線を地面へ落とした。誰かが嗚咽を漏らすと、すぐに別の誰かが睨み、黙らせる。


声は次第に途切れ、やがて村全体が沈黙の壁に押し込められた。誰もが心の中で「三人は決まっている」と分かっていたのに、その真実を口に出す勇気はなかった。


「――出さぬか」


隊長の声には苛立ちが混じっていた。沈黙が続けば続くほど、その冷たい目は鋭さを増していく。


***


「なるほど」隊長は冷ややかに笑った。「お前たちには決める勇気もないか。ならば俺が選ぶ」


村人たちの顔色が一斉に変わった。期待と恐怖、安堵と絶望が入り混じり、広場全体がざわめきに揺れた。


隊長はゆっくりと広場を見渡した。しばしの沈黙が張りつめ、誰も瞬きすらできない。


「……そうだな」


低い声が響く。指先がゆっくりと動き、一人を射抜いた。


「お前」


冷たい指先がエドリックを指した瞬間、空気が一気に沈んだ。

周囲の人間が小さく身じろぎし、母アグネスが押し殺した声を漏らした。


「それと……」


短い沈黙。誰もが呼吸を止め、次の言葉を待った。


「……お前」


指先はミロへと向けられた。ミロの顔から血の気が引き、足が一歩後ずさった。


そして隊長はさらに広場を見回し、ゆっくりと歩いた。

「三人目……お前だ」


視線は狩人のロランに止まった。二十代前半。長身で、森で鍛えた体を持ち、矢を射る腕で村を養ってきた。彼は驚いたように目を見開いたが、すぐに唇を固く閉ざした。

冷えた瞳をしていたが、指先は震えていた。


***


「三人とも、前に出て整列しろ」


隊長の一声で、三人は村人たちの前に押し出されるように進み出た。足が石に縫いつけられたように動かず、エドリックは胸を突き上げる恐怖のまま、一歩一歩を重ねた。隣ではミロが歯を噛みしめ、ロランは無言で肩を張った。


広場の中央に立たされた瞬間、エドリックの心に冷たい感覚が広がった。

――ここから逃れる道はもうない。


昨日までは「父に会えるかもしれない」と幼い希望を抱いていた。だが今、その希望は音もなく砕け散った。父の姿に近づくことは、再会ではなく同じ鎖に繋がれることを意味していた。

会えるかもしれないという願いは、ただの呪いに変わった。

その先に待つものが帰還ではなく、死であると気づいた瞬間、胸の奥で何かが重く沈んだ。


「……もう、俺は兵なんだ」


喉の奥でつぶやいた言葉は、誰にも届かず、冷たい空気の中に溶けていった。


***


「待ってください!」


アグネスの叫びが広場を裂いた。人混みをかき分け、兵士の前へ進み出る。瞳には涙が溜まり、声は必死に震えていた。


「エドリックはまだ子どもです! 夫も戦に取られ、戻っていないのに、息子まで……どうか、どうかお情けを!」


夫を奪われた日の記憶が、彼女の声をさらに痛ましくしていた。あの日の恐怖と絶望が、再び目の前に広がっていた。


だが隊長は冷ややかに言い放った。

「王の旗の前に、子どもも大人もない。剣を持てば兵だ」


アグネスの肩を村人が押さえた。抵抗は許されない。反抗は村ごとの滅びを招く。彼女は肩を震わせ、涙をこぼしながら息子を見つめた。


「エド……」


その声に、エドリックの胸は張り裂けそうだった。母の涙、ミロの夢、ロランの沈黙――すべてが胸の中で絡まり合い、鉛の塊のように沈んでいった。息を吸うたびに、その塊が肺を押し潰し、心臓を締め上げた。


ミロは血が滲むほど唇を噛み、声を震わせた。

「畑を耕すはずだった……秋には麦を納屋に満たすはずだったのに……」


ロランは黙して前を見つめた。森で獲物を射抜く時と同じ鋭さを瞳に宿していたが、その鋭さの奥には絶望が張り付いていた。


***


そして隊長は三人の前に立ち、宣言した。

「これで決まった。お前たちは今日から王の兵だ。村はお前たちの名誉を誇れ。家族は祈れ。以上だ」


赤い旗が風に揺れた。縫い目のほころびは裂け、血管のように浮かび上がり、陽光を浴びてなお血の色を濃くしていた。


エドリックはその赤を見上げ、胃の奥に重い石を呑み込んだような感覚に襲われた。昨日まで夢想のように抱いていた父への希望は跡形もなく消え、代わりに胸を支配するのは最悪の現実だった。


鐘の音がまた辺りを打ち砕くように響いた。


それはもはや祈りのための鐘ではなかった。村を、そして自分の未来を鎖で縛る、逃れられない運命の響きだった。


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