第24話 俺……生きてる
ヴァーナル
年齢: 26歳
所属:弓兵部隊副隊長
性格:快活・情に厚い
特徴:弓の名手。戦場後も冷静に兵士を見守る人格者。戦死者への敬意を第一に置く。
戦いの熱が、少しずつ冷めていった。
夜風が吹き抜け、焦げた血と煙の匂いを遠くへ運んでいく。
さっきまで叫びと怒号で満たされていた空間に、いまは静けさが戻っていた。
だがそれは安らぎではなく、どこまでも冷たい静寂だった。
耳に残るのは、風と、血に濡れた土を踏む音。
そして時折、かすかに漏れる呻き声だった。
「……た、助け……」
「……いやだ……死にたくねぇ……」
倒れた盗賊たちの中には、まだ息のある者もいた。
暗がりの中で、腕を伸ばし、泥に爪を立てて這おうとする者。
喉から洩れる声は弱々しく、それでも必死に生きようとしていた。
だが、その傍らを通り過ぎた槍兵が無言で槍を振り下ろす。
鈍い音が響き、呻きは途絶えた。
それが命を断った音だと気づくのに、エドリックはわずかに時間がかかった。
次の瞬間、別の場所でも同じ音が響く。
ためらいも怒りもない。ただ、淡々と、任務として止めが続いていく。
エドリックは目の前の動かぬ盗賊の遺体を見下ろした。
槍の穂先には、まだ乾ききらぬ赤がこびりついている。
指先がかすかに震え、胸の奥が重くなる。
(……俺が、殺したのか)
頭では理解していても、実感が追いつかない。
どこか現実ではないような、冷たい感覚が体を包む。
喉の奥に重たいものが張りつき、呼吸をするたびに胸が軋んだ。
周囲を見渡すと、トマが座り込んで槍を握りしめていた。
顔色は蒼白で、何かを呑み込むように唇を噛んでいる。
オズワルも無言のまま立ち尽くし、泥にまみれた手で額の汗を拭った。
泣いている兵士もいる。同じ小隊の仲間が死んだのだろうか。
経験ある兵たちは静かに動き出していたが、徴募兵たちは足を動かせなかった。
立ってはいるのに、心はまだ戦場の中に取り残されていた。
ガレスから命令が出ているのに、誰一人戦闘が終了した場所から動いていなかった。
勝利したはずなのに、誰の目にも光はなかった。
***
やがて報告が集まり、ガレスが全体に告げる。
俺たちは何もしていないが、ガレスは何も咎めない。
止めをさしていた兵士たちも何も言わなかった。
「報告をまとめる。盗賊四十五名死亡。捕虜一名。」
ざわめきが広がる。ガレスは続けた。
「捕虜の話によれば、奴らは五十三名。残り七名が逃走したと判断する」
短い沈黙のあと、ガレスは自軍の損害を読み上げた。
「槍兵、四名死亡。軽傷三、重傷四。」
その数字に、空気がさらに重くなる。誰も顔を上げなかった。
ただ、地に広がる影が長く伸び、夜の闇がその上に重く覆いかぶさる。
エドリックは立ったまま、目の前の地面を見つめていた。
土に刻まれた槍の跡、踏み荒らされた泥、血の染み。
戦が終わっても、それらはそこに残り続けている。
(こんなにも……静かなんだな)
勝利のあとに訪れるのは、歓喜ではなく、空虚だった。
視界が少し揺れる。体が冷えているのか、心が冷めたのか、もうわからなかった。
誰かの嗚咽が聞こえた気がして振り向くが、そこには誰もいなかった。
そのとき、遠くから笛の音が響いた。
風に乗って届いたその音は、緊張ではなく報せの合図だった。
「伝令だ!」
見張りの声に、皆が顔を上げる。
丘の向こうから、泥を蹴り上げながら一人の影が走ってくる。
息を切らせたミロだった。
ミロは槍兵たちの前で足を止め、敬礼した。
「報告!砦に敵国の進行なし!斥候が現在も見張りを継続中!」
その声に、兵たちの胸からようやく安堵の息が漏れた。
緊張の糸がわずかに緩むのを感じながら、ガレスは小さく頷き、落ち着いた声で問いかける。
「……了解した。こちらの戦闘状況を伝える。」
ガレスの声が夜の空気を震わせた。
その声は確かに近くにあるはずなのに、エドリックにはどこか遠くから響いているように聞こえた。
だがエドリックの耳には、その言葉がどこか遠くの出来事のように響いていた。
音は聞こえているのに、意味がすぐに頭へ届かない。
(……四十五名、死亡……?捕虜、一名……?)
声が断片的に、ぼんやりとした輪郭で届く。
「……自軍は四名死亡、軽傷三、重傷四……戦闘は終息中……」
近くで話しているはずなのに、まるで厚い膜の向こうで誰かが喋っているようだった。
焚き火の音、血の滴る音、誰かの足音――それらがすべて、混ざり合って遠くなる。
思考がそこから先に進まない。
言葉の意味は理解しているのに、現実として受け止められない。
ガレスの声は淡々としていて、それがかえって残酷に響いた。
近くにいるはずなのに、まるで厚い霧の向こうから聞こえるようだ。
(……四十五……死んだ……いや……俺たちが殺したんだ……)
足元の泥の匂い、血の鉄臭さ、誰かの呻き――それらが混ざり合い、音も感情も曖昧になる。
エドリックは無意識のうちに自分の手を見下ろした。
赤黒く染まった指が、かすかに震えている。
(……これが……俺の、手か……)
自分が何をしたのか、その実感が、少し遅れて胸の奥に刺さった。
息を吸うたび、冷たい痛みが広がる。
それでも、世界は動いていた。ガレスが命令を続ける。
「村の護衛任務にあたっている剣兵指揮官にも伝えろ。その後の指示は剣兵指揮官に任せる。負傷者もそちらへ運ぶ。村人にも協力を要請しろ」
「了解です!」
ミロが姿勢を正し、力強く敬礼した。
その声だけが、遠のいた意識の中ではっきりと響いた。
次の瞬間、彼は踵を返し、泥を蹴って駆け出す。
その途中、エドリックの前を横切ったとき、一瞬だけ目が合った。
互いに言葉はなかった。ただ、ミロが小さく頷く。
それだけで、胸の奥の重さがほんのわずかに和らいだ気がした。
ミロの背が闇に消えると、再び夜風が吹き抜けた。
既に数名の兵士が動いていた。
肩や背に仲間を背負い、呻きをこらえながら歩き出す者。
自力で立てる軽傷者を支え、村の方向へゆっくり進む者。
誰も言葉を交わさず、ただ互いに息を合わせていた。
夜風が吹くたび、鎧の金具がかすかに鳴り、暗闇の中でその音だけが続いていった。
焚き火の火が揺れ、鉄と血の匂いがかすかに遠ざかっていく。
エドリックは小さく息を吐き、まだ震える指を見つめながら思った。
(……俺、生きてる……)
風が草を揺らし、静かな夜が再び広がっていった。
***
しばらくして、森の方角から足音が響いた。
「追撃部隊、帰還します!」
見張りをしている弓兵の声が上がると同時に、数名の影が暗がりの中から姿を現した。
ガレスが前へ出て声を張る。
「報告を!」
先頭の斥候が敬礼をしながら、短く答える。
「盗賊七名、追撃完了しました。残敵なし。森の東側に痕跡はありますが、逃走者はこれ以上確認できず!」
ガレスはわずかに頷き、低く言った。
「捕虜の言った人数と一致しているな……」
その一言のあと、静かに息を吸い込む。
そして、はっきりとした声で告げた。
「――これにて、戦闘を終了する」
その言葉が夜の空気を震わせ、静まり返った戦場に染み込んでいく。
誰も声を上げなかった。
ただ、長く張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていくのを感じた。
夜風が吹き抜け、焚き火の炎がかすかに揺れた。
そして、その火の明かりの下で、彼らは初めて――
戦いの終わりを実感した。




