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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
24/45

第24話 俺……生きてる

ヴァーナル

年齢: 26歳

所属:弓兵部隊副隊長

性格:快活・情に厚い

特徴:弓の名手。戦場後も冷静に兵士を見守る人格者。戦死者への敬意を第一に置く。


戦いの熱が、少しずつ冷めていった。

夜風が吹き抜け、焦げた血と煙の匂いを遠くへ運んでいく。

さっきまで叫びと怒号で満たされていた空間に、いまは静けさが戻っていた。

だがそれは安らぎではなく、どこまでも冷たい静寂だった。


耳に残るのは、風と、血に濡れた土を踏む音。

そして時折、かすかに漏れる呻き声だった。


「……た、助け……」

「……いやだ……死にたくねぇ……」


倒れた盗賊たちの中には、まだ息のある者もいた。

暗がりの中で、腕を伸ばし、泥に爪を立てて這おうとする者。

喉から洩れる声は弱々しく、それでも必死に生きようとしていた。


だが、その傍らを通り過ぎた槍兵が無言で槍を振り下ろす。

鈍い音が響き、呻きは途絶えた。

それが命を断った音だと気づくのに、エドリックはわずかに時間がかかった。


次の瞬間、別の場所でも同じ音が響く。

ためらいも怒りもない。ただ、淡々と、任務として止めが続いていく。


エドリックは目の前の動かぬ盗賊の遺体を見下ろした。

槍の穂先には、まだ乾ききらぬ赤がこびりついている。

指先がかすかに震え、胸の奥が重くなる。


(……俺が、殺したのか)


頭では理解していても、実感が追いつかない。

どこか現実ではないような、冷たい感覚が体を包む。

喉の奥に重たいものが張りつき、呼吸をするたびに胸が軋んだ。


周囲を見渡すと、トマが座り込んで槍を握りしめていた。

顔色は蒼白で、何かを呑み込むように唇を噛んでいる。

オズワルも無言のまま立ち尽くし、泥にまみれた手で額の汗を拭った。

泣いている兵士もいる。同じ小隊の仲間が死んだのだろうか。


経験ある兵たちは静かに動き出していたが、徴募兵たちは足を動かせなかった。

立ってはいるのに、心はまだ戦場の中に取り残されていた。


ガレスから命令が出ているのに、誰一人戦闘が終了した場所から動いていなかった。

勝利したはずなのに、誰の目にも光はなかった。


***


やがて報告が集まり、ガレスが全体に告げる。

俺たちは何もしていないが、ガレスは何も咎めない。

止めをさしていた兵士たちも何も言わなかった。


「報告をまとめる。盗賊四十五名死亡。捕虜一名。」

ざわめきが広がる。ガレスは続けた。

「捕虜の話によれば、奴らは五十三名。残り七名が逃走したと判断する」


短い沈黙のあと、ガレスは自軍の損害を読み上げた。

「槍兵、四名死亡。軽傷三、重傷四。」


その数字に、空気がさらに重くなる。誰も顔を上げなかった。

ただ、地に広がる影が長く伸び、夜の闇がその上に重く覆いかぶさる。


エドリックは立ったまま、目の前の地面を見つめていた。

土に刻まれた槍の跡、踏み荒らされた泥、血の染み。

戦が終わっても、それらはそこに残り続けている。

(こんなにも……静かなんだな)

勝利のあとに訪れるのは、歓喜ではなく、空虚だった。


視界が少し揺れる。体が冷えているのか、心が冷めたのか、もうわからなかった。

誰かの嗚咽が聞こえた気がして振り向くが、そこには誰もいなかった。


そのとき、遠くから笛の音が響いた。

風に乗って届いたその音は、緊張ではなく報せの合図だった。


「伝令だ!」

見張りの声に、皆が顔を上げる。

丘の向こうから、泥を蹴り上げながら一人の影が走ってくる。

息を切らせたミロだった。


ミロは槍兵たちの前で足を止め、敬礼した。

「報告!砦に敵国の進行なし!斥候が現在も見張りを継続中!」


その声に、兵たちの胸からようやく安堵の息が漏れた。

緊張の糸がわずかに緩むのを感じながら、ガレスは小さく頷き、落ち着いた声で問いかける。


「……了解した。こちらの戦闘状況を伝える。」

ガレスの声が夜の空気を震わせた。

その声は確かに近くにあるはずなのに、エドリックにはどこか遠くから響いているように聞こえた。


だがエドリックの耳には、その言葉がどこか遠くの出来事のように響いていた。

音は聞こえているのに、意味がすぐに頭へ届かない。


(……四十五名、死亡……?捕虜、一名……?)


声が断片的に、ぼんやりとした輪郭で届く。

「……自軍は四名死亡、軽傷三、重傷四……戦闘は終息中……」


近くで話しているはずなのに、まるで厚い膜の向こうで誰かが喋っているようだった。

焚き火の音、血の滴る音、誰かの足音――それらがすべて、混ざり合って遠くなる。


思考がそこから先に進まない。

言葉の意味は理解しているのに、現実として受け止められない。


ガレスの声は淡々としていて、それがかえって残酷に響いた。

近くにいるはずなのに、まるで厚い霧の向こうから聞こえるようだ。


(……四十五……死んだ……いや……俺たちが殺したんだ……)


足元の泥の匂い、血の鉄臭さ、誰かの呻き――それらが混ざり合い、音も感情も曖昧になる。


エドリックは無意識のうちに自分の手を見下ろした。

赤黒く染まった指が、かすかに震えている。


(……これが……俺の、手か……)

自分が何をしたのか、その実感が、少し遅れて胸の奥に刺さった。

息を吸うたび、冷たい痛みが広がる。


それでも、世界は動いていた。ガレスが命令を続ける。

「村の護衛任務にあたっている剣兵指揮官にも伝えろ。その後の指示は剣兵指揮官に任せる。負傷者もそちらへ運ぶ。村人にも協力を要請しろ」


「了解です!」


ミロが姿勢を正し、力強く敬礼した。

その声だけが、遠のいた意識の中ではっきりと響いた。

次の瞬間、彼は踵を返し、泥を蹴って駆け出す。


その途中、エドリックの前を横切ったとき、一瞬だけ目が合った。

互いに言葉はなかった。ただ、ミロが小さく頷く。

それだけで、胸の奥の重さがほんのわずかに和らいだ気がした。

ミロの背が闇に消えると、再び夜風が吹き抜けた。


既に数名の兵士が動いていた。

肩や背に仲間を背負い、呻きをこらえながら歩き出す者。

自力で立てる軽傷者を支え、村の方向へゆっくり進む者。

誰も言葉を交わさず、ただ互いに息を合わせていた。

夜風が吹くたび、鎧の金具がかすかに鳴り、暗闇の中でその音だけが続いていった。


焚き火の火が揺れ、鉄と血の匂いがかすかに遠ざかっていく。

エドリックは小さく息を吐き、まだ震える指を見つめながら思った。


(……俺、生きてる……)


風が草を揺らし、静かな夜が再び広がっていった。


***


しばらくして、森の方角から足音が響いた。

「追撃部隊、帰還します!」

見張りをしている弓兵の声が上がると同時に、数名の影が暗がりの中から姿を現した。


ガレスが前へ出て声を張る。

「報告を!」


先頭の斥候が敬礼をしながら、短く答える。

「盗賊七名、追撃完了しました。残敵なし。森の東側に痕跡はありますが、逃走者はこれ以上確認できず!」


ガレスはわずかに頷き、低く言った。

「捕虜の言った人数と一致しているな……」


その一言のあと、静かに息を吸い込む。

そして、はっきりとした声で告げた。


「――これにて、戦闘を終了する」


その言葉が夜の空気を震わせ、静まり返った戦場に染み込んでいく。

誰も声を上げなかった。

ただ、長く張り詰めていた空気が、ゆっくりとほどけていくのを感じた。


夜風が吹き抜け、焚き火の炎がかすかに揺れた。

そして、その火の明かりの下で、彼らは初めて――

戦いの終わりを実感した。


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