第23話 生き延びた
森の奥から、乾いた足音が駆けてきた。
月明かりの下、六つの影が息を切らせながら姿を現す。斥候たちだった。
先頭の一人がすぐにガレスのもとへ駆け寄り報告する。
「報告!敵、およそ五十!全員盗賊です!」
「……五十か。」
ガレスの眉がわずかに動いた。
「残りの二名は砦へ報告に向かいました。盗賊はこちらに誘導しました。もうすぐ来ます!」
「よくやった、下がれ。崖上へ上がり、ヴァーナルの指揮下に入れ。弓を借りて援護に加われ。」
「了解!」
斥候たちは即座に踵を返し、軽やかに崖を駆け上がっていく。
その身のこなしはまるで獣のようだった。
崖上にたどり着くと、予備の短弓を受け取り、ヴァーナルの傍へ並ぶ。
「斥候、六名合流!指揮下に入ります!」
「了解した。構えろ。指示があるまでは打つな」
ヴァーナルの短い声が張り詰めた空気を断ち切る。
彼の横では、護衛の剣兵たちも短弓を構え、全員の視線が森の闇に注がれていた。
その時だった。
「……来るぞ!」
誰かの声に続いて、森の影がざわめいた。枝を折る音、荒い息、そして無数の足音。
闇の中から怒号が押し寄せる。松明を掲げ、怒り狂った盗賊たちが姿を現した。
「なんだありゃ……どれだけ挑発したんだ、斥候たちは」
ヴァーナルが苦笑しながらも弓を引き絞る。
彼の前では、数十の盗賊が武器を掲げて突進してきていた。
その中に、槍を持った盗賊の姿が見える。
ヴァーナルは眉をひそめた。
「穂先が軍用だ。連合の奴ら、マジで盗賊とつながっていやがる……」
***
闇の中、松明の光に照らされた一人の男が唇を歪める。
「なんだと!軍がいやがる!」
怒りが一瞬、沈下しかけたが、男は前方の槍兵の列を見て、ニヤリと笑みを浮かべた。
「戦いも知らなそうなガキばっかだな。お前ら!片付けて村へ突き進め——奪えるもんは全部奪うぞ!」
その叫びが行列に伝わると、盗賊たちの怒号はさらに高まり、足並みを速めた。
森の闇が吐き出した暴徒が、獣道を疾走してくる。
その咆哮の圧に、槍兵の列がわずかに揺れた。
エドリックは思わず喉を鳴らす。乾いた息が胸の奥でつかえ、手にした槍が微かに震えた。
心臓の鼓動が耳の奥で響く。重く、速く。
(……怖い)
視界の端でトマの肩が強張り、オズワルが唇を噛んでいるのが見えた。
誰も声を出さない。ただ、闇の中から迫る足音と怒号が、ひたすら心を締めつけた。
その時——ガレスの声が響いた。
鋼のように通る声が、夜気を裂いた。
「前列――槍を前に構えッ!前進十歩!」
考えるより先に体が動いた。
足が勝手に地を蹴り、槍が前へと突き出される。
「後列――前進十歩!」
訓練で叩き込まれた動きが、恐怖を押し流すように全身を支配する。
土を蹴る音、鎧の擦れる音が重なり、月明かりの下、列が一斉に動き出した。
同時に、崖上のヴァーナルが号令を放つ。
「弓兵、放てッ!!」
矢の雨が夜空を裂いた。
乾いた音とともに盗賊が次々と倒れ、列が崩れる。
怒号が悲鳴に変わり、混乱の中でさらに進もうとした者が仲間を踏み越えた。
「今だ、押し返せッ!」
ガレスの声とともに、前列の槍が突き出される。金属と肉のぶつかる音が重なり、火花が飛んだ。
突き出された槍が肉を裂き、咆哮と悲鳴が戦場に叩きつけられる。
エドリックは先端の冷たさが手に伝わるのを感じながら、ただ前だけを見ていた。
足元がぬかるみ、血と泥が混じり合う。
前列が敵を押し返すと、その隙間へ後列の長槍が一斉に差し込まれた。
穂先が深く突き刺さり、転がる影がさらに増える。
さらに後方から強い拳のように槍が振り下ろされ、敵を叩きつけていく。
「前列!突け!!押し込め!」
ガレスの声がまた挙がる。短く、だが断固とした命令だ。
エドリックは力を込め、体ごと槍を押し出した。
何とも言えない感触とともに、一人の盗賊が呻き声を上げて倒れる。
崩れた列に追い打ちをかけるように、崖上の弓兵が再び矢を放った。
頭上から浴びせられる矢の雨は致命的で、逃げ惑う盗賊たちの足を次々と止める。
悲鳴と断末魔が折り重なり、兵たちの間に冷たい緊張が走る。皆、ただ生き残るために体を動かしている。
***
「後ろを抑えろ、弓兵を守れ!」
崖上の剣兵が叫び、崖をよじ登らんとする別働隊の盗賊を切り伏せる。
剣閃が暗闇に光り、松明の赤い炎が血煙を照らした。
数名の盗賊が崖縁に倒れ込み、そのまま黒い影へと滑り落ちる。
敵の士気は急速に崩れた。
盗賊の突撃は無残に瓦解し、残存する者たちは互いに押し合いながら退路を探す。
何人かは振り返って森へ逃げ出したが、そこでも矢は降り注ぎ、追撃の矢が背を貫く。
***
「押し返せ!絶対に緩めるな!!」
ガレスの声は、冷たくも断固としていた。
エドリックはもう一度鋭く踏み込み、槍を叩き込む。
体が踵を上げ、泥が飛び散る。
長槍の後列が再び前列の裂け目を突き、最後の抵抗を封じ込めると、盗賊の大半が形を保てなくなった。
そして、崖上の弓兵が追い討ちをかける。
無慈悲な弓兵の射線が次々と標的を貫き、ある者は膝を折ってその場にうずくまり、別の者は断末魔のまま倒れ込む。
逃げ場を失った群れは散り散りになり、やがて夜の闇に吸い込まれていった。
残されたのは、静かな生々しい光景だった。
地面には壊れた武器、折れた剣先、血の匂いが濃く残る。
仲間のいくつかが倒れ、誰かが呻き、誰かが手で傷口を押さえている。
だが大きな波は引き、槍兵たちの列はまだ形を保っていた。
ガレスはゆっくりと武器をおろし、列を見渡し、短く言った。
「盗賊と自軍の損害を確認しろ。自軍の負傷者には助けを、盗賊には止めを。ただ一人は残しておけ、情報を吐かせる。追撃は斥候と剣兵に任せる。森はまだ危険だ。十分に注意しろ」
「了解!」と声が返る。
兵たちはすぐに動き出した。
エドリックはその光景を見つめながら、胸の奥が重くなるのを感じた。
(これが……戦いか)
想像していたよりも、ずっと静かで、現実的だった。
叫びも、歓声もない。ただ風と息の音だけが残っている。
隣でオズワルが槍を地に立てかけ、小さく息をついた。
「終わった、のか……?」
ガレスが振り返り、短く答える。
「わからん。だが、斥候の報告が正しければ、ここの防衛はほぼ終了だ。よくやった。」
その言葉に、ほんのわずかに肩を落とす。
だが誰も声を上げて喜ぶ者はいない。
勝利よりも、“生き延びた”という実感だけが、胸の中で静かに広がっていた。
エドリックは泥に汚れた手を見つめる。
その指はまだ震えていたが、もう槍を離そうとはしなかった。




