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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
22/31

第22話 戦端の夜

リース

年齢:24歳

所属:斥候部隊

性格:快活・情に厚い ・お調子者

特徴:気配に敏い。弓を使い索敵と後方支援を担う。


カイは会議を終えると、すぐに斥候部隊の再編に取りかかった。

地図を片手に部屋を出るや、彼の背中には迷いがなかった。

今回の任務は敵陣地周辺の再調査。時間はない。自分たちが全ての要ともいえる。迷っている暇はない。


名簿を確認した瞬間、ひとつの名前に指が止まる。

ミロ――今回は外された。


理由は明白だった。

彼は斥候としての観察眼と足の速さ、隠密に長けていたが、戦闘力と妨害の技量にまだ乏しい。敵地近くでの陽動任務には向かないと判断されたのだ。


報せを受けたミロは、沈んだ表情を隠そうともしなかった。

安堵と申し訳なさが胸の奥に絡みつく。だがカイからは、新たな任務が与えられていた。


――砦と村周辺の連絡役。万が一のとき、両拠点を最速で繋ぐ伝令だ。


「……足が速いってのも、立派な武器だろ」

先輩斥候のリースが肩を軽く叩いた。

「お前がいなきゃ、報せが届かねぇ。どっちが重要かなんて、誰にも決められないさ」


ミロは小さく息を吐き、無理に笑みを作った。

「……わかってます。任せてください」


リースは頷き、軽装のベルトを締め直す。

「よし、じゃあ俺たちは森だ。あいつらの鼻先で踊ってこようぜ」


カイを先頭に、リースを含む八名の斥候が集まる。

装備は軽い。鎧の代わりに革の胸当て、音を立てぬ短剣と罠具。妨害用の小瓶や細縄を腰に吊るし、静かに門を抜けた。

夜風が吹き抜け、炎の明かりが背に揺れる。南東の森は月光に沈んだまま、その口を開けて待っていた。


ミロは仲間たちの背が闇に消えていくのを見届けると、そっと息を吸い込んだ。

手には短い伝令笛と小地図。任されたのは、砦と村を繋ぐ細い丘道の監視と連絡――決して目立たないが、戦の中で血を流さずに戦う役目だった。


「……できることをやるんだ」


胸の奥で呟くと、足を一歩踏み出した。

丘道は夜露に濡れ、靴の底が静かに土を押し締める。遠くでは斥候たちが森に消え、砦の方角からはかすかに号令の声が響いてくる。


ミロはその音に背を向け、闇の中へ走り出した。

冷えた空気が頬を刺す。けれど、その痛みが決意を確かにした。

彼の任務はただ一つ――誰よりも早く、報せを届けること。


夜の静寂の中、ミロの影は街道を駆け、やがて闇に溶けていった。


***


弓兵隊長の声が砦全体に響いた。

「――全員、急ぎ作戦箇所に向かえ!配置の指示はヴァーナルに従え!」


その号令とともに、弓兵たちは一斉に動き出す。

ロランも隊の一員として駆けだした。夜気が肌を刺し、砂利を蹴る音が連なって響く。腰の矢筒を押さえながら、崖上の張り出しを目指して走る。砦から現場までは相応の距離があり、息が白くなるほどの急行だった。


胸の鼓動と足音が岩壁に跳ね返り、暗い空へ吸い込まれていった。

(獣を狙うのと同じだ。……相手が人でも、狙う場所は変わらない)

走りながら矢羽を指で撫で、一つひとつ確かめる。汗で滑る指先を見下ろし、無理やり心を落ち着けた。


隣を並走していたヴァーナルがにやりと笑った。

「緊張してんのか?誰だって最初はそんなもんだ。だが一発目を撃てば、もう止まらねぇ」


ロランは息を切らしながらも笑みを返す。

「……はい。わかってます」


やがて彼らは岩場を越え、崖上の張り出しに到達した。眼下には黒い森、遠くに村の灯が微かに揺らめいている。風が上から吹き抜け、弓弦がかすかに鳴った。


砦に残る弓兵隊長は、全体の防衛指揮を取っている。現場での弓兵の指揮は部隊随一の射手、弓兵副隊長ヴァーナルが任されていた。


「全員、配置につけ!」

ヴァーナルの声が張り出しの上に響く。

「構えるのはまだ早い。だが心だけは、いつでも放てるようにしておけ!」


一瞬の沈黙のあと、彼は声を張り上げた。

「我ら弓兵二十五名で、すべての敵を殲滅させる!迷うな、恐れるな!訓練を思い出せ――あの矢を、今こそ本物の戦で放つ時だ!」


張り出しの空気が震え、兵たちの息が揃う。ロランは弓を握り直し、胸の奥に灯る熱を感じた。

(……もう、迷うな)


風が止み、張り出しの上に静寂が降りた。ロランは闇の向こうを見据え、矢先をそっと下げた。遠くで何かが動く音がした。夜は、もうすぐ牙をむく。


***


村の防衛線では、剣兵たちがすでに配置につこうとしていた。

ダリルとレナードもその一隊に加わり、数名の先輩剣士の指揮のもと、村の外周へと展開していく。


彼らの任務は、村人の避難誘導と、敵が突破してきた際の迎撃。

焚き火の明かりがちらつき、村の家々の影が不安げに揺れていた。


「……ほんとうに戦が来るのかい……?」

近くの老婆が怯えた声で問う。

家の戸口から、幼い子が母親の裾を握ってこちらを見ていた。

その視線に、剣を握る兵たちの胸がわずかに痛む。


指揮官が短く応じる。

「心配するな、ここは俺たちが守る。家から出ず、火だけ絶やさないでくれ」


だが、不安は簡単には消えない。

沈黙が落ちたそのとき、ダリルが一歩前に出た。

彼は鎧の上から手を胸に当て、穏やかな声で言った。


「大丈夫です。俺たちは、この村を守るためにここに来ました。

 誰一人、通しません。朝になれば、また笑って話せますから」


その言葉に、老婆の目が潤んだ。

「……ありがとうね」


ダリルは静かに頷き、村人の背を見送る。その隣で、レナードは空を見上げた。夜の雲が月を覆い、風が冷たく頬を撫でていく。


「……いい言葉だな」

レナードの声は低く落ち着いていた。


ダリルが振り返る。

「励ますのは得意じゃないけどな」


レナードは薄く笑った。

「十分だ。……ああいう言葉が、こういう時は一番強い」


彼は剣の柄を握り直し、静かに視線を前へ戻した。

その横顔には焦りも怯えもなく、ただ静かな決意だけがあった。


(守る――そのために立っている)


少し離れた場所から、笛の音がかすかに響く。

それは戦の始まりを告げる合図のように聞こえた。

レナードは目を閉じ、深く息を整える。


「……守り抜くか」

短く呟き、剣を引き抜く。月明かりが刃に淡く反射した。


風が止み、夜は静かに、しかし確実に、戦の気配を孕んでいった。


***


村と森の出入口正面――そこが、最も危険とされる地点だった。

月明かりの届かぬ闇の中、槍部隊の列が静かに伸びる。

前列には四十人の槍兵が横一線に並び、その背後に、さらに長槍を構えた後列の二十人が控えている。

長い槍の穂先が月光をかすかに反射し、まるで一枚の鋼の壁のようだった。


その前列の中に、エドリック、トマ、オズワルの姿があった。

息を潜め、緊張の中で立ち尽くす。

獣道の奥から吹く湿った風が、土と草の匂いを運んでくる。

空気が重い。誰もが、近づく戦の気配を肌で感じていた。


トマが小さく震えながら、手にした槍を握り直す。

「……怖ぇな。……こんな静かな夜って、嫌なもんだな」

その声は震えていたが、誰も責めなかった。


オズワルが隣で短く笑った。

「静かな分、余計に……心臓の音がうるせぇ」


エドリックも同じだった。

心臓の鼓動が耳の奥に響き、握る指がかすかに震えている。

だが、その震えの奥には、確かに「逃げない」という意思があった。


そのとき、前方に立つ男が一歩前へ出た。

鋼の鎧がわずかに鳴り、月光がその輪郭を照らす。

――ガレス。

彼はエドリックたちの部隊の隊長であり、この戦場における槍部隊全体の指揮官でもあった。


「全員、よく聞け!」

低く、しかし遠くまで届く声。


「ここが突破されたら、近くの村が危険になる。

 剣兵がさらに守りを固めているが、もし彼らの防衛線まで抜かれれば、その村だけじゃない。この一帯の村も町も、すべて巻き込まれる!」


一瞬の沈黙が落ちる。夜風が草を揺らし、槍の穂先がわずかに震えた。

ガレスは全員の顔を見渡し、静かに言葉を続けた。


「だから――ここで止める。俺たちで終わらせるんだ!」

声に怒気はない。ただ、確信だけがあった。


「初めての実戦になる者も多いだろう。だが忘れるな。お前たちは徴募兵だったが、今は違う。地獄みたいな訓練をくぐり抜けて、ここに立ってる兵士だ!

怖いと思うのはいい。それでも槍を握って立っているなら、それで十分だ!!」


彼は少し間を置き、息を整えてから最後に言い切った。

「胸を張れ。お前たちが今ここにいることが、すでに強さの証だ。

 俺の声が聞こえる限り、誰も死なせない!全員、自信を持て!!」


その言葉が夜気を切り裂き、静寂を震わせた。


次の瞬間、崖上から弓兵たちの声が響く。

「了解ッ!」「応!」

弓兵の護衛の剣兵たちもそれに続き、武器を掲げながら喉の底から叫んだ。

その声は波のように広がり、闇を押し返すかのようだった。


槍兵の列にも熱が伝わる。

誰かが小さく「行ける」と呟き、続けて別の兵が叫んだ。

やがて、それは一斉の雄叫びとなった。


「「「「「「おおおおッ!!!!」」」」」」」」


風が巻き上がり、槍の穂先が一斉に月光を弾いた。

鼓動が揃い、息が重なる。

恐怖はもうそこになく、あるのはただ、戦う覚悟だけだった。


「……あとは訓練通りだ。俺の指示に従え。必ず勝てる」


その声音には、槍兵部隊にしか届かない落ち着いた声量。しかし確かな信頼が宿っていた。エドリックは小さく頷き、震える指を静かに落ち着かせた。

胸の奥に、冷たくも強い炎が灯る。


トマもオズワルも、そして他の兵たちも、自然と姿勢を正した。

恐怖は消えていない。だが、その上に立つ意思があった。


やがて、遠くから笛の音が届いた。

森の方角――斥候部隊の合図だ。


ガレスは槍を軽く掲げた。

「……来るぞ。全員、構えろ!」


月光を反射する穂先が一斉に上がる。

風が止まり、夜の闇が息を潜めた。


そして、戦が始まった。


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