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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
20/25

第20話 帰還の報せ

カディン

年齢:35歳

所属:バルデ砦戦略部隊参謀

性格:冷静沈着・理知的・皮肉屋

特徴:座学を担当したが、戦闘経験も豊富である。戦況や国の現実を徴募兵に教える。

「戦争は、勝っても終わらない。対話が始まって初めて終わる」という哲学を語る。


砦の中庭には、怒号と鉄の音が絶え間なく響いていた。

午後の陽光が斜めに差し込み、汗に濡れた甲冑を鈍く光らせる。

地面には靴の跡が無数に刻まれ、土煙が立ちのぼっていた。


「構えを崩すな!腕じゃない、腰で受けろ!」


ガレスの声が訓練場に響く。

剣を構えた兵士たちは息を荒げながら、必死に姿勢を保っていた。

その視線ひとつで、誰もが体勢を正し、力の抜き方を探る。

その厳しさは、彼らを確かに強くしていた。


ダリルは剣を振るいながら苦笑した。

「ったく……言ったとおり地獄だぜ。ミロのやつ、帰ってきたら代わってもらうからな……!」

隣のレナードが肩で息をしながら笑う。

「言ってただろ、ガレス小隊長は。ミロが任務中は地獄の時間だって」

「……冗談じゃねぇ。ほんとに地獄とは思わねぇだろ……」


それでも二人の目には、奇妙な光が宿っていた。

疲労よりも、確かな自信と闘志。地獄の訓練が、彼らの中の迷いを削いでいた。


***


中庭の一角。

槍兵たちが横一列に並び、長槍を構えていた。

十数名が肩を並べ、槍の穂先が光を反射して一線を描く。

号令ひとつで前列と後列が交互に動き、突きと引きを繰り返すたび、空気が唸った。

先頭に立つのはエドリック、背後にはトマとオズワル。

別の小隊も合流しており、動きはまるで巨大な生き物のように揃っている。

足元の床石は、無数の足音と汗に濡れ、鈍く光っていた。


「腕を止めるな!」

別部隊の小隊長が声を張り上げる。

「突け!止めずに押し込め!」


「はッ!」

一斉に声が上がり、槍の穂先が前へ突き出された。

空気が裂ける音とともに、隊列が一歩ずつ進む。


エドリックの両腕が焼けるように痛む。

握る手の皮が剥け、汗と血が混ざって滑る。

だが離さない。離せば、敵の槍が仲間に届く。


「突いたあとは叩きつけろ!」

号令と同時に、前列が槍を跳ね上げる。穂先が地を打ち、鈍い音が中庭に響いた。

反動で腕がしびれる。筋肉が悲鳴を上げても、次の瞬間には再び突き出す。

息を吸う暇も、痛みに顔をしかめる余裕もない。

前へ、ただ前へ。

動きが遅れれば、後列の槍が背を突く。それがこの訓練の掟だった。


「息を合わせろ!一拍遅れりゃ死ぬぞ!」


小隊長の怒号が飛び、槍の列が地を打つ音が重なる。

砂埃が舞い、陽光の中で汗が蒸発して白い靄のように立ち上る。

その中で、エドリックは歯を食いしばった。

自分の腕が止まれば、仲間が死ぬ――その想定の中で、誰もが限界を超えていた。


「止めッ!」

鋭い声が中庭に響き、訓練の動きが一斉に止まった。

兵たちは荒い息を吐きながら槍を引き、肩で呼吸を整える。

陽光は傾き始め、赤みを帯びた光が床石を染めていた。


そのとき、砦の正門の方で衛兵の声が上がった。

「斥候帰還――!南東の森より!」


その言葉に、ざわめきが走る。

訓練中の兵たちが一斉に顔を向けた。

夕日を背にして歩く影が見える。

泥に汚れた鎧、腰に掛けている鎌、そして背負った荷袋――ミロだった。


中庭の喧騒が静まり、兵たちの視線が一点に集まる。

ミロはその中をゆっくりと進み、まっすぐにガレスのもとへ向かった。


ダリルが剣を肩に担ぎ、半ば冗談めかして声をかける。

「おいミロ!森の散歩はどうだった?俺らは地獄を見てたぞ!」


中庭に響いた軽口に、小隊長の怒声が即座に飛ぶ。

「誰が喋っていいと言った馬鹿者!十周走れ!」


「……っ、マジかよ。」

ダリルが顔をしかめ、剣を握ったまま走り出す。


その様子を後列の槍兵たちが横目で見送る。

トマが小声でぼそりと呟く。

「……ダリルはほんとに馬鹿だね」

オズワルも小さく笑いを漏らす。

「だが、そういう奴が一番、場を軽くしてくれる」

「そうだね。こんな地獄の訓練でも笑ってられるのは、あいつぐらいだからね」


二人の声は、指導員の怒声とダリルの情けない弁解にかき消された。

ほんの一瞬だけ、中庭の緊張がゆるんだ。

だがそのわずかな静けさすら、戦の前触れのように重たく響いていた。


***


ガレスはミロの帰還に、表情を崩さず小さく息を吐いた。

その胸の内では、誰にも気づかれぬよう安堵とわずかな警戒が入り混じっていた。


今回の斥候任務は三日の予定だった。

まだ二日目の夕刻――早すぎる帰還は、無事の証か、それとも異変の兆しか。


「カイはどこだ?」

問いかけに、ミロが答える。

「隊長室へ向かわれました」


ガレスは短く頷き、ミロの表情を確認する。

泥と汗にまみれた顔、その奥の目だけが鋭く光っている。


「……何か見たな」

低く問いかけると、ミロは無言で頷いた。

その表情には、報告を急ぐ緊張と、まだ整理しきれない焦燥がにじんでいた。


「いい。話は中で聞こう」

ガレスは声を抑え、周囲に悟られぬよう指示を出す。

「ここは俺が預かる。訓練を続けろ!」


兵たちが再び号令のもとに動き出す中、ガレスはミロを伴い、足早に作戦会議室へと向かった。

砦の廊下には、まだ訓練の余韻が残るような熱気と、これから訪れるものを予感させる冷たい空気が入り混じっていた。


***


廊下を進む二人の足音が、冷たい石壁に反響していた。

外の訓練場からはまだ掛け声と鉄の音が聞こえる。だが、砦の中は不自然なほど静かだった。


「話せ」

前を歩くガレスが低く言う。


ミロは息を整えながら報告を始めた。

「敵国の斥候と思われる痕跡を発見し、斥候を探していましたが、実際に見つけたのは盗賊でした。森の中で彼らの会話を聞き、ヴァイス連合と繋がっている可能性が高いと判断しました」


ガレスの眉が動く。

「盗賊が……ヴァイスと?」


「はい。彼らは砦が動けなくなれば村を漁れると言っていました。まるで、ヴァイスの動きを把握しているようでした」


「なるほどな……つまり利用されているか、雇われているか」

ガレスの声が低く響く。


ミロは頷き、さらに続けた。

「調べを進めたところ、盗賊の野営地を発見しました。そこでヴァイス連合の貨幣と、同じ紋章を刻んだ封蝋を見つけています。盗賊が資金や指示を受け取っていた証拠とカイ隊長は判断しました」


一瞬、廊下の空気が凍った。

ガレスは歩みを止め、静かに振り返る。


「……つまり、ヴァイスが本格的に動く前触れ、ということか」


「はい。攻めてくる可能性は高いと判断し、カイ隊長の指示で帰還しました」


「正しい判断だ」

ガレスは短く言い、再び歩き出す。

その背中には、緊張よりも決意の色が滲んでいた。


しばらく無言のまま歩いたあと、ガレスが低く呟く。

「……カイは、証拠を持ってルガン隊長のもとへ向かっているはずだな」


ミロが頷く。

「はい。二人とも、帰還後すぐに報告に」


「ならば、すでに上層部には情報が届いているだろう」

ガレスは顎に手を当て、短く考え込む。


「……ルガン隊長の耳にはもう届いていだろう。問題はヴァイスの動きだ」

ほんのわずかに息を吐き、低く続ける。

「早ければ今夜、何かしらの動きが起きる。動くならこちらも同時だ」


その声音には焦りではなく、戦場の現実を読む冷徹さがあった。

ガレスは視線を前へ戻し、扉の向こうをまっすぐに見据える。


「どのみち、こちらの動きも早めねばならん。……ミロ、上からの連絡があるまでは他の連中に報告するのは控えろ」


「了解しました」

二人の足音が再び響き、作戦会議室の扉が目前に迫った。

重く閉ざされたその扉の向こうには、戦の始まりを告げる議論が待っていた。


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