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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
17/35

第17話 見て、帰る

レナード

年齢: 23歳

職業: 木工職人

性格: 温厚・落ち着き・芯が強い

特徴: 精神的支柱。手仕事を通して心を整える。

座学の翌日から、砦の空気は目に見えて変わった。


号令の声は同じでも、受け止める身体の奥が違う。行進では足音が自然に揃い、槍列は乱れず、剣と盾は互いの呼吸を探り合う。ガレスは多くを語らず、しかし視線だけで細かな癖を正した。


「形はできてきた。――あとは、実践の空気を覚えろ」

その一言に、誰もが黙って頷いた。


ロランは弓兵との合同に向かい、矢羽の震えで風を読む術をさらに磨く。


エドリック、トマ、オズワルは槍の間合いを指先まで刻み、レナードとダリルは受けの角度を何度も確かめた。


汗の重さは変わらないが、疲労の中に、わずかな手応えが宿り始めている。


一方、ミロもまた確かな成長を見せていた。

斥候として最も重要な走るという行為――距離と速度を測る脚の力は小隊の中で誰よりも早く、誰よりも正確だった。

だが、それ以上に進化していたのは気配を消すという技術だった。


足裏にかかる重みを指先で調整し、呼吸を音として漏らさず、影と一体になる。

森の中を動くとき、風よりも静かに、獣よりも早く。その姿は、同じ斥候たちの間でも一目置かれるほどになっていた。


さらに、己の武器である鎌の扱いにも磨きがかかっていた。

道を切り開く手際は見事で、草を刈るたびに音を立てない角度を身につけていた。刃が動くたびに、風と同化するように草木が静かに折れる。


それはもはや単なる整備ではなく――味方の道をつくるという、もうひとつの戦いだった。


***


数日後、ミロに任務の命が下った。


「ミロ。明日から実地の斥候任務に入れ。山脈南の監視線だ。先任の案内に従え」

「はい」


短い返答に、喉の奥で心音が跳ねた。恐れではない。

戻すべきものを持って帰る役目――それだけが胸に残った。


***


その夜。

部屋には、いつもより静かな空気が流れていた。

灯りの炎が壁を揺らし、鉄と油の匂いが薄く漂っている。


「いよいよだな」

エドリックが寝台の端に腰を下ろしながら言った。

声は落ち着いていたが、その奥にわずかな緊張があった。


ミロは鎧の留め具を外しながら、少しだけ笑った。

「うん。でも、そんな大げさな任務じゃないみたいだよ。先任についていくだけだし」


「初任務ってやつだな」

ダリルが腕を組んで言う。その口調は軽いが、目だけは真剣だった。

「お前、前に比べて動きがぜんぜん違うよな。気配が消えてるっていうかさ。……だからこそ、ちゃんと戻ってこいよ」


ロランが無言でベルトを締め直し、ふと顔を上げた。

「そうだな。だが油断は禁物だ。無事に帰ってこい。見たものを伝えるのは、お前の役目だ」


ミロは一瞬だけ視線を落とし、静かに頷いた。

「……うん、帰るよ。みんなの顔を見ないで終わるのは、嫌だから」


その言葉に、エドリックが小さく笑った。

「お前の報告があるから、俺たちは動けるんだ。頼んだぞミロ」


ミロも照れくさそうに笑い返す。

「エドだって気をつけろよ。槍、前みたいに落とすなよ」


「うるせぇ、それを言うな!あの後俺だけめちゃくちゃ走ったんだぞ!」

エドリックが眉をしかめると、ダリルとロランが笑みを漏らした。


静かな笑いが過ぎ、再び沈黙が戻る。誰も冗談を続けず、誰も声を荒げなかった。

ただ、焚き火のように小さな温かさが部屋の中に残った。


ミロは装備を整えたまま、窓の外を見上げた。夜の空は澄み、月が山脈の稜線を白く照らしている。その光を見つめながら、静かに呟いた。


「――見て、帰る。それだけだ」


エドリックが軽く頷き、ダリルとロランも同じようにうなずいた。

それ以上、誰も何も言わなかった。


灯が静かに揺れ、夜が砦を包み込む。

山の方角から吹く冷たい風が、四人の間を静かに通り抜けていった。


***


翌朝――。


夜明け前の空はまだ青く、砦の壁は薄い朝霧に包まれてぼんやりと光っていた。

吐く息が白く滲み、淡い霧の中に溶けていく。


ミロは胸当ての金具を締め直し、装備の重みを確かめた。

指先がわずかに震えていたが、それは恐怖ではなかった。

長い訓練を経て、ようやく与えられた“自分の役目”が胸にある――その実感が、全てを支えていた。


食堂にはまだ人影が少なく、薪の燃える音だけが静かに響いていた。

ミロは湯気の立つスープを口に運び、少しずつ温もりを取り戻していく。

今日から、自分は砦を離れる。それがどんな任務であっても、仲間の目に恥じぬように。


扉が軋み、足音が近づいてきた。

振り向くと、眠たげな顔のトマが現れた。


「……やっぱり、もう起きてたか」

「うん。早めに食べておこうと思って」

ミロが答えると、トマは隣に腰を下ろし、手のひらで湯気を追った。

「ちゃんと食ってけよ?腹減ったままじゃ足が鈍るぞ」

「大丈夫だよ。お前の牛よりは速いからな」

その返しに、トマはぽかんとしたあと、肩をすくめて笑った。


レナードとオズワルも入ってくる。

「焦らず行け。報告が遅れても構わん。生きて戻ること、それが任務だ」

レナードの落ち着いた声に、オズワルが短く付け加える。

「……風が変わったら戻れ。山の空気は裏切る」

その不器用な言葉に、ミロは自然と笑みを浮かべた。

「ありがとう。ちゃんと覚えておくよ」


そこへ、ダリルがパンを片手に現れた。

「おい、出発前に緊張してんじゃねぇだろうな?」

「してない。……多分」

「多分じゃねぇよ。帰ってきたら報告頼むぞ。俺ら、ここで待ってるからな」

軽口のようでいて、声の奥には確かな信頼があった。


ロランは席に着かず、静かにミロの背を見つめていた。

「音を立てるな。風の流れを読むんだ。……それさえできれば、道は見える」

それは弓兵としてではなく、ひとりの仲間としての助言だった。

ミロはその言葉に小さく頷いた。


最後に、エドリックが近づいてきた。

「ミロ」

「ん?」

「……気をつけろ。何があっても、戻ってこい。約束だぞ」

「わかってるよ、エド」

笑いながらも、声は少し震えた。

「絶対、帰る」


エドリックは何も言わず、ミロの肩を叩いた。

その一瞬に、言葉よりも強い約束があった。

***


門の前では、ガレスが待っていた。

鎧の肩には朝霧の粒が付着し、淡い光を受けて鈍く輝いている。

砦の外へ続く石畳の上には、まだ夜の名残が色濃く残っていた。


「ミロ」

呼ばれ、足を止める。

ガレスは短くうなずき、少しだけ声を落とした。


「いよいよだな。……怖いか?」


「少しだけ。でも、それより――ちゃんと見て、戻りたいと思ってます」


「それでいい」

ガレスの口元がわずかに緩む。


「斥候の仕事は見て戻ることだ。

 戦うのは最後の手段でいい。だが、もし仲間の命がかかっているなら――その時は迷うな。自身の判断を信じろ」


ミロはまっすぐに頷いた。

その瞳には、恐れよりも確かな覚悟が宿っていた。


ガレスは軽く肩を叩き、少しだけ笑みを深めた。

「お前がいない間、残った奴らには地獄を見せておくさ。

 戻る頃には、誰が一番きつい訓練をしたか競えるだろう」


思わずミロが笑った。

「……それは、戻りたくなくなるかも」

「はは、それも困るな」


笑いの余韻が霧の中に溶けていく。


「ミロ」

ガレスの声が、再び静かに響いた。

「この砦はお前の帰りを待つ場所だ。忘れるな」


ミロは一歩下がり、敬礼をした。

「はい。必ず戻ります」


ガレスは軽く右手を上げた。それが出立の合図だった。

霧が風に流れ、門の向こうに続く道がゆっくりと姿を現す。

ミロは深く息を吸い、その一歩を踏み出した。


***


斥候部隊の集合地点には、すでに二人の兵が立っていた。

どちらも見覚えのある顔だった。訓練中、森での隠密行動を教えてくれた先任の斥候たちだ。


年長の男――カイが、軽く顎をしゃくってミロを見た。

「新人はお前か、と思ったら……見た顔じゃねえか」


「はい。ミロです。今日から正式に任務に入ります」


「そうか」

カイは短く笑った。その笑いには厳しさよりも、静かな信頼の色があった。


もう一人の男――リースが、肩をすくめて言う。

「おいおい、訓練の時より顔つきが締まってんじゃねぇか。

 ま、森に入りゃすぐ泥まみれだ。気張っててもどうせ汚れる」


その冗談に、ミロは小さく息を吐いた。緊張が、わずかにほどける。


カイが短く指を鳴らし、手にした地図を広げる。

「今日から三人で行動だ。山脈南の哨戒線をなぞる。

 気配を殺せ。音を立てるな。……森は静かだが、静かすぎる時ほど危ねぇ」


「はい」

ミロは即座に返し、気持ちを切り替えた。

腰の鎌が揺れ、鉄の冷たさが掌に伝わる。


リースが軽く背を叩く。

「ま、肩の力抜け。お前、足は速いんだろ?焦らず行け。俺らが後ろで見てる」

「わかってます」

ミロは頷き、霧の向こうを見つめた。


砦の方を振り返ると、朝霧の中に仲間たちの影が、かすかに見えた気がした。


――見て、帰る。


心の中でそう呟き、ミロは静かに足を踏み出した。

霧を裂く三つの影が、山脈の方角へと溶けていく。



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