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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
15/24

第15話 一枚の地図

オズワル

年齢: 21歳

職業: 漁師

性格: 無骨・現実的

特徴: 言葉少なだが判断が的確。近接能力は小隊で一番高い。


小隊での訓練が始まってから、二週間が過ぎた。

砦の空気にも、かすかに春の匂いが混じり始めている。

朝と夜の気温差で、鎧の金具が軋む音がいつもより高く響いた。


七人はそれぞれの訓練に慣れ始めていた。

エドリックたちは槍の隊列を整え、レナードとダリルは盾の受けを合わせ、ときおり、他の部隊の兵士たちと一緒に訓練を続けている。

ロランは弓兵部隊との合同訓練で訓練を続け、ミロは斥候部隊の一員として森を駆ける日々。

体は痛みと疲労に慣れ、次第にそれを日常として受け入れ始めていた。


***


その夜、訓練を終えた四人――エドリック、ミロ、ロラン、ダリルは、同じ部屋で鎧を外しながら息を整えていた。灯りの揺れる寝台の間に、鉄と汗の匂いが充満している。


「なあ、明日座学って言ってたよな?」

ダリルが肩紐を緩めながら笑う。

「ようやく走らずに済む日が来たな!」


「どうせ話を聞くだけでも疲れるさ。それに、ガレスが横で見てるかもしれないぞ」

エドリックが苦笑しながら答える。


「それでも武器を振って行軍するよりかは楽だろ」

ダリルが言い返すと、部屋の隅からロランが短く笑った。

「その言葉、訓練中にも言ってみろ」


「いや、やめとく。まためちゃくちゃ走らさせるからな」

ダリルが両手を上げると、ミロが吹き出した。

「明日はダリルは居眠りしそうだね」


「しねえよ!……たぶん」

ダリルの声に笑いが広がる。


灯りの炎がゆらめき、壁に映る影が揺れた。

数日前までは他人同士だった四人の間に、今は自然なぬくもりがあった。

笑いながら鎧を磨く者、寝台に体を倒す者、その空間には戦友と呼ぶにはまだ早い、だが確かな信頼の気配が漂っていた。


外では風が砦の壁を撫で、夜の鐘が遠くで響いている。

笑いが静まり、やがてそれぞれが寝台に身を横たえた。その夜の空気は少しだけ柔らかかった。


***


翌朝。

鐘の音が三度鳴り、砦の空気が静まり返った。冷たい朝の光が石壁を照らし、霧が薄くなりつつある。

エドリック、ミロ、ロラン、ダリルの四人は服装を簡単に整え、指定された集合場所――中庭へと向かった。


すでに広場には多くの兵が集まり始めていた。トマやレナード、オズワルなど見知った顔もあれば、他の小隊の者たちも混ざっている。彼らの姿は、数週間前の徴募兵とはまるで違っていた。

体は引き締まり、目つきは鋭く、立っているだけで空気が変わる。鎧を着ていなくても、彼らの輪郭はすでに兵士のそれだった。


「……変わったな」

エドリックがぽつりと呟く。

隣のダリルがうなずく。

「全員、顔が違う。前より戦う顔してる」


ミロが周囲を見渡した。

整列する兵たちの間には、もはや初日のような緊張はなかった。かわりに静かな覚悟のようなものが漂っている。


ロランは無言で頷き、背に感じる何も背負っていない軽さに一瞬違和感を覚えた。

訓練でいつも身に着けていた弓も矢も、今日は置いてある。


それでも彼の指先は、知らず腰のあたりを探っていた。その仕草に、戦の気配が確かに身に染みていることを誰もが感じた。


少しして中庭にガレスや他の上官が姿を現した。

「全員、講堂へ入れ!」

その声が響くと、兵たちは一斉に動き出した。


重い扉が開き、石造りの講堂の中には粗末な木の机と椅子が並んでいた。

前方の壁には大きな地図が掛けられており、赤と青の線が入り組んで国境を描いている。

いくつもの印が記され、それぞれに番号と地名が添えられていた。


ざわめく音が少しずつ静まる。ガレスが前に出て短く言った。

「これより座学を始める。講師は参謀――カディンだ」


奥の扉が再び開き、白い外套を纏った男が姿を現す。

淡い光の中で眼鏡の縁が光り、彼は羊皮紙の束を手にしたまま前へと進んだ。


「諸君。」

声は落ち着いていたが、教室全体に響く不思議な張りを持っていた。

「これから語るのは、地図の上の線ではなく――我々が生きる現実だ」


カディンは壁の地図に指を滑らせた。

「ここに描かれているのが我らの国――アルドレア王国。

 そして北方に位置するのが敵国――ヴァイス連合国だ」


兵たちの間に、静かな息の音が走る。カディンは指先で国境線をなぞりながら続けた。

「両国を分けるこの地帯――グレイウォール山脈。

 天然の防壁であり、だが一本の交易路が通る場所であり、我々の砦、バルデ砦はその唯一の門に建てられている」


彼の声に合わせて、部屋の空気が少しずつ引き締まっていく。

ロランは壁の地図を見つめながら、小さく息を吐いた。

「……門の兵ってわけか」

そのつぶやきに、隣のミロが短く笑う。

「通すのは物か、敵か……どっちになるか、だね」


「いい表現だ、そこのお前」

カディンはミロに一瞥をくれ、地図の北端を指で示した。


「ヴァイス連合は資源を求め、北の鉱山地帯から圧を強めている。

 この砦の周辺では現在戦闘行為は落ち着いているが――」

指先が地図を横に滑る。いくつかの印の上に淡い影が落ちた。


「東部の交易路や西境の集落では、すでに小競り合いが続いている。

村が焼かれ、補給隊が襲われ、そして……君たちには申し訳ないが徴募が始まった理由もそこにある」


一瞬だけカディンが目を伏せる。

兵たちの間に、静かな息の音が走った。


しかし、すぐに前を向き、カディンは淡々とした口調のまま言葉を続けた。

「今はまだ全面戦争とは呼べん。だが、剣を抜く音はもう各地で響いている。それが現実だ」


カディンは地図の中央――グレイウォール山脈のあたりに手を置いた。

「まず、ここだ。グレイウォール山脈周辺」


指先が山脈の稜線をなぞる。

「十数年前から、アルドレア王国とヴァイス連合との間で断続的な戦闘が続いている場所だ。――ここが、我々の立っている場所だ。この砦――バルデ砦も、もともとはその戦のために築かれた要塞だった」


自分たちのいる場所を地図の上で指し示す。兵たちが息を呑んだ。


カディンは続けた。

「現在グレイウォール山脈周辺は小康状態が保たれているが、平和というわけではない。小競り合いは今もあちこちで起きている」


「今回、君たちが徴募されたのは偶然ではない。

 他の戦線では兵が足りず、そして新たな戦地が――ここだ」


壁にかけられた地図の赤い線が、朝の光に照らされて揺らめく。

その指先がゆっくりと西側へ移動する。


「現在の前線は、ここ――アーレン峡谷。


ヴァイス連合がこの周辺の村や街に奇襲を仕掛け、それを迎え撃った味方が敗れてしまい、我が国の前線が押されている。戦は大規模になりつつあり、周辺の基地が落ちてしまえば、国境が変更する可能性もありえる。そのため、各地の基地から援軍が送られている。この砦からも兵がアーレン峡谷周辺の基地へ向かっている」


その言葉に、エドリックの心が一瞬だけ波立った。

――援軍。


胸の奥で、遠い記憶が蘇る。

自分が幼いころ徴募の知らせを受け、荷をまとめる父の背中。

無言で見送ったあの日の朝。


父はその援軍の列の中にいるのではないのだろうか。

今戦っているのだろうか。それとも、もう――。


エドリックは無意識に拳を握った。

指先に力がこもり、関節が軋む音がした。講堂の冷たい空気が肌を刺すように感じる。

だが同時に、胸の奥で小さな火が灯った。


カディンの声が再び響いた。

「諸君。ヴァイスの動きは鈍くない。今は落ち着いているこの場所にも進軍を開始する可能性がある。この砦が落ちれば、この周辺の村や街を含め、君たちの故郷さえも蹂躙される可能性もありえる。――ゆえに、この場所が壁となるのだ」


エドリックは視線を上げた。

地図の上に描かれた赤い線の向こうに、まだ見ぬ父の姿を見た気がした。

そしてその向こうに、自分たちの故郷がある――そう、ようやく気づいた。



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