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兵の風と鐘の音にさらわれた少年  作者: 炭酸水
第一部 兵の風の中で
14/30

第14話 一つの呼吸

ダリル

年齢: 19歳

職業: 粉屋の息子

性格: 明るい・お調子者

特徴: 軽口で場を和ませる。仲間想いで情に厚い。


夜明けの砦は、冷たい風の中にまだ前日の熱を残していた。

兵舎の屋根から滴る露が石畳に落ち、音もなく砕ける。

七人が中庭に整列し、その前にガレスが立っていた。

彼を含めて八人――この日から正式な小隊として動き出す。


「今日からは役割ごとの訓練も始めていく」

灰色の鎧が光を受けて鈍く輝く。


「前列は槍隊の連携。中列は受けの動き。弓と斥候は専門部隊への合流。その後各部隊の先任者から指導を受けてもらう。学べるものは全て盗め。

各自訓練が終了したら、小隊で合流。その後行進訓練を部隊でおこなう」


その声に、誰も返事をしなかった。

だが、彼らの背筋は自然と伸びた。

昨日までの行軍で芽生えた息の感覚が、すでに体の奥に残っていた。


***


前列の三人――エドリック、オズワル、トマ。

槍隊の訓練は、最初から苛烈だった。

「構え!」

ガレスの号令に合わせ、三人の槍が一斉に地を打つ。

鉄と石のぶつかる音が響き、次の瞬間には突きの練習が始まる。


槍の穂先は寸分違わず前を向いていなければならない。

だが一歩のずれが、すぐに列を乱す。

「足を見ずに、仲間の呼吸を見ろ!」

ガレスの声が飛ぶ。

エドリックが息を吸い、オズワルが吐き、トマが合わせる。

汗が頬を伝い、土に落ちる。

午前が終わるころには三人の手の皮が剥けていた。

だがその痛みの中で、ようやく槍の重さが自分の一部になり始めていた。


***


レナードとダリルの剣が打ち合う音が、砦の壁に反響する。

二人は盾を構え、互いに一歩も引かない。

「支える者が崩れれば、列は死ぬ」

ガレスが低く言う。

「お前たちの役目は、斬ることじゃない。支えろ。仲間の背中を守ることが戦うってことだ」


刃と刃が擦れ、腕が震える。何度も転び、何度も立ち上がる。

太陽が頭上に上りきるころには、二人の息はほとんど合っていた。

レナードが防いだ瞬間、ダリルが押し返す。その無言の連携に、ガレスは小さく頷いた。


***


ロランは弓兵部隊へ向かった。

砦の外、風が抜ける丘。

そこでは十数人の弓兵が、距離と風を読む訓練をしていた。

「弓を引く前に、矢がどこを走るかを見ろ」

年長の兵が淡々と教える。

矢を放つ音が次第に重なり、風に混じって鳴る。


ロランはその列の中に加わる。指先の感覚は、かつて森で獲物を追った頃と同じだった。

風の流れ、土の匂い、矢羽の揺れ――そのすべてが狩りの記憶を呼び起こす。


彼の矢はほとんど外れなかった。

教官が目を細める。「……お前、どこかでやっていたな」

ロランは短く首を振る。「森で、少し」

それだけだった。


そして訓練が進むにつれ、彼の放つ矢は変わっていった。

距離を詰めるだけではなく、味方の動きや風をさらに読むようになった。

弓を引く瞬間、空気のうねりが見える気がした。

放たれた矢はまるで風そのものに導かれるように飛び、標的を正確に貫く。


夕暮れ、教官が小さく息を漏らした。

「……大したものだな。弓兵部隊に合流させたいぐらいだ」

ロランは何も答えず、矢を引き抜きながら小さく頷いた。

その目には、獣を追う者ではなく、敵を射抜く者の静かな覚悟が宿っていた。


***


ミロも砦の外へ出て斥候部隊に同行した。

森の縁を低く走り、音を殺す。

地面の凹み、獣の足跡、折れた枝――すべてが情報だった。

合流した直後、休む間もなく実地訓練が始まった。


「斥候は見たことを正確に伝える。それだけで命が救われる」

先任の斥候が低い声で言う。

「――だが、ひとつ間違えれば全員が死ぬ。お前の足と目は、隊の命を握っている。それを忘れるな」


その言葉に、ミロを含めた新人斥候たちは息を呑んだ。

誰も軽口を叩かない。ただ、風と草のざわめきだけが耳に残る。


森の中を低く進み、足音を殺し、枝の動きで風向きを読む。

「影を踏むな。木々の間を風のように抜けろ」

先任の斥候が前を走りながら指示を飛ばす。

その背中を必死で追う新人たち。

誰かが枝を踏めば全員が止まり、静寂が戻るまで息を殺す。


ミロもその中にいた。

喉が焼けつくように渇いても、声を出さなかった。

前を行く先任の動きを目で盗み、地形の影を記憶に刻む。

「斥候は見るだけじゃない。感じろ。土の湿り、風の音、匂い――全部が敵の足跡になる」

その教えが胸に刺さるように響く。


夕暮れ、砦に戻るころには全員の顔が泥と汗で黒く染まっていた。

それでも、誰も弱音を吐かなかった。

仲間のために、隊のために。

ミロは地図を描く指先を震わせながら報告書を記す。

墨が滲み、紙が湿る。だが、彼の手は止まらなかった。


その夜、彼は初めて気づいた。

斥候は孤独ではない――仲間の命を繋ぐという、確かな絆の中に生きているのだと。


***


砦の中庭では、残る五人が各自の武器を手に取っていた。

エドリック、オズワル、トマは槍を構え、レナードとダリルは剣と盾を握る。

朝の冷たい空気の中で、金属が軋む音が響いた。


「個別訓練とはいえ、ここでも息を揃えろ」

ガレスの声が鋭く飛ぶ。

「戦場では一人の腕前より、呼吸の合った二人の方が生き残る。忘れるな」


五人は一斉に構えを取った。

エドリックが踏み込み、オズワルが支え、トマがその動きに合わせる。

槍先が揃うたび、空気が鋭く裂ける。

一方、レナードとダリルは互いに距離を詰めながら、盾をぶつけ合った。

金属音が石壁に反響し、火花が散る。

彼らの呼吸は荒く、それでも誰一人として動きを止めなかった。


ガレスは黙ってその様子を見ていた。

目は鋭く、誰の息が乱れているか、誰の体の重心が崩れているかを見逃さない。

そして時折、短く指摘を飛ばす。

「構えが高い、オズワル」

「踏み込みが浅い、トマ」

そのたびに五人の動きが引き締まり、音の間隔が整っていった。


夕方ころには、五人の呼吸は一つになりつつあった。

互いの動きが空気で伝わり、次の一歩が自然と揃う。

それは昨日の行軍で掴んだ呼吸の記憶が、再び形を取り戻した瞬間だった。


***


夜の帳が下り始めたころ、砦の門が静かに開いた。

ロランとミロが戻ってきたのは、夕暮れをとうに過ぎた頃だった。

鎧には土埃がこびりつき、靴の泥は乾いてひび割れていた。

だが二人の表情には疲労よりも、どこか確かな充足があった。


広場では、すでに五人が待っていた。

行進訓練の準備を整え、槍や盾を静かに握りしめている。

ガレスが二人の姿を確認すると、短く顎を引いた。


「……全員、揃ったな」

その声に七人の視線が向く。

月明かりの下で、鎧がかすかに光を返した。


「行進訓練、開始」


その号令とともに、七人の足が石畳を叩いた。

誰も言葉を発さない。ただ、歩幅だけが揃っていた。

足を上げ、下ろすたびに、砦の広場に乾いた音が響く。

疲労はすでに極限に近かった。

だが、誰一人として歩みを乱さなかった。


ロランの呼吸に合わせてエドリックが足を上げ、ミロの歩調にレナードが追い、ガレスがその全てを見守る。

その列はまるで一つの生命のように動き、長い訓練の果てにようやく「隊」としての形を完成させていた。


やがて、行進は一周を終えた。ガレスが短く声をかける。


「止まれ」


七人の足音が同時に止まる。夜風が通り抜け、鎧の間を撫でていった。

誰も声を出さなかったが、その沈黙の中には確かな誇りがあった。息を合わせ、限界を越え、歩みきったその一瞬に、彼らはようやく理解した――


呼吸を揃えるということが、生きることと同じ意味を持つのだと。


ガレスは静かに言った。

「……よくやった。休め」


その声が夜に溶け、八人はそれぞれの持ち場へと散っていった。

砦の上には、満ちかけた月が静かに浮かんでいた。


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