第14話 一つの呼吸
ダリル
年齢: 19歳
職業: 粉屋の息子
性格: 明るい・お調子者
特徴: 軽口で場を和ませる。仲間想いで情に厚い。
夜明けの砦は、冷たい風の中にまだ前日の熱を残していた。
兵舎の屋根から滴る露が石畳に落ち、音もなく砕ける。
七人が中庭に整列し、その前にガレスが立っていた。
彼を含めて八人――この日から正式な小隊として動き出す。
「今日からは役割ごとの訓練も始めていく」
灰色の鎧が光を受けて鈍く輝く。
「前列は槍隊の連携。中列は受けの動き。弓と斥候は専門部隊への合流。その後各部隊の先任者から指導を受けてもらう。学べるものは全て盗め。
各自訓練が終了したら、小隊で合流。その後行進訓練を部隊でおこなう」
その声に、誰も返事をしなかった。
だが、彼らの背筋は自然と伸びた。
昨日までの行軍で芽生えた息の感覚が、すでに体の奥に残っていた。
***
前列の三人――エドリック、オズワル、トマ。
槍隊の訓練は、最初から苛烈だった。
「構え!」
ガレスの号令に合わせ、三人の槍が一斉に地を打つ。
鉄と石のぶつかる音が響き、次の瞬間には突きの練習が始まる。
槍の穂先は寸分違わず前を向いていなければならない。
だが一歩のずれが、すぐに列を乱す。
「足を見ずに、仲間の呼吸を見ろ!」
ガレスの声が飛ぶ。
エドリックが息を吸い、オズワルが吐き、トマが合わせる。
汗が頬を伝い、土に落ちる。
午前が終わるころには三人の手の皮が剥けていた。
だがその痛みの中で、ようやく槍の重さが自分の一部になり始めていた。
***
レナードとダリルの剣が打ち合う音が、砦の壁に反響する。
二人は盾を構え、互いに一歩も引かない。
「支える者が崩れれば、列は死ぬ」
ガレスが低く言う。
「お前たちの役目は、斬ることじゃない。支えろ。仲間の背中を守ることが戦うってことだ」
刃と刃が擦れ、腕が震える。何度も転び、何度も立ち上がる。
太陽が頭上に上りきるころには、二人の息はほとんど合っていた。
レナードが防いだ瞬間、ダリルが押し返す。その無言の連携に、ガレスは小さく頷いた。
***
ロランは弓兵部隊へ向かった。
砦の外、風が抜ける丘。
そこでは十数人の弓兵が、距離と風を読む訓練をしていた。
「弓を引く前に、矢がどこを走るかを見ろ」
年長の兵が淡々と教える。
矢を放つ音が次第に重なり、風に混じって鳴る。
ロランはその列の中に加わる。指先の感覚は、かつて森で獲物を追った頃と同じだった。
風の流れ、土の匂い、矢羽の揺れ――そのすべてが狩りの記憶を呼び起こす。
彼の矢はほとんど外れなかった。
教官が目を細める。「……お前、どこかでやっていたな」
ロランは短く首を振る。「森で、少し」
それだけだった。
そして訓練が進むにつれ、彼の放つ矢は変わっていった。
距離を詰めるだけではなく、味方の動きや風をさらに読むようになった。
弓を引く瞬間、空気のうねりが見える気がした。
放たれた矢はまるで風そのものに導かれるように飛び、標的を正確に貫く。
夕暮れ、教官が小さく息を漏らした。
「……大したものだな。弓兵部隊に合流させたいぐらいだ」
ロランは何も答えず、矢を引き抜きながら小さく頷いた。
その目には、獣を追う者ではなく、敵を射抜く者の静かな覚悟が宿っていた。
***
ミロも砦の外へ出て斥候部隊に同行した。
森の縁を低く走り、音を殺す。
地面の凹み、獣の足跡、折れた枝――すべてが情報だった。
合流した直後、休む間もなく実地訓練が始まった。
「斥候は見たことを正確に伝える。それだけで命が救われる」
先任の斥候が低い声で言う。
「――だが、ひとつ間違えれば全員が死ぬ。お前の足と目は、隊の命を握っている。それを忘れるな」
その言葉に、ミロを含めた新人斥候たちは息を呑んだ。
誰も軽口を叩かない。ただ、風と草のざわめきだけが耳に残る。
森の中を低く進み、足音を殺し、枝の動きで風向きを読む。
「影を踏むな。木々の間を風のように抜けろ」
先任の斥候が前を走りながら指示を飛ばす。
その背中を必死で追う新人たち。
誰かが枝を踏めば全員が止まり、静寂が戻るまで息を殺す。
ミロもその中にいた。
喉が焼けつくように渇いても、声を出さなかった。
前を行く先任の動きを目で盗み、地形の影を記憶に刻む。
「斥候は見るだけじゃない。感じろ。土の湿り、風の音、匂い――全部が敵の足跡になる」
その教えが胸に刺さるように響く。
夕暮れ、砦に戻るころには全員の顔が泥と汗で黒く染まっていた。
それでも、誰も弱音を吐かなかった。
仲間のために、隊のために。
ミロは地図を描く指先を震わせながら報告書を記す。
墨が滲み、紙が湿る。だが、彼の手は止まらなかった。
その夜、彼は初めて気づいた。
斥候は孤独ではない――仲間の命を繋ぐという、確かな絆の中に生きているのだと。
***
砦の中庭では、残る五人が各自の武器を手に取っていた。
エドリック、オズワル、トマは槍を構え、レナードとダリルは剣と盾を握る。
朝の冷たい空気の中で、金属が軋む音が響いた。
「個別訓練とはいえ、ここでも息を揃えろ」
ガレスの声が鋭く飛ぶ。
「戦場では一人の腕前より、呼吸の合った二人の方が生き残る。忘れるな」
五人は一斉に構えを取った。
エドリックが踏み込み、オズワルが支え、トマがその動きに合わせる。
槍先が揃うたび、空気が鋭く裂ける。
一方、レナードとダリルは互いに距離を詰めながら、盾をぶつけ合った。
金属音が石壁に反響し、火花が散る。
彼らの呼吸は荒く、それでも誰一人として動きを止めなかった。
ガレスは黙ってその様子を見ていた。
目は鋭く、誰の息が乱れているか、誰の体の重心が崩れているかを見逃さない。
そして時折、短く指摘を飛ばす。
「構えが高い、オズワル」
「踏み込みが浅い、トマ」
そのたびに五人の動きが引き締まり、音の間隔が整っていった。
夕方ころには、五人の呼吸は一つになりつつあった。
互いの動きが空気で伝わり、次の一歩が自然と揃う。
それは昨日の行軍で掴んだ呼吸の記憶が、再び形を取り戻した瞬間だった。
***
夜の帳が下り始めたころ、砦の門が静かに開いた。
ロランとミロが戻ってきたのは、夕暮れをとうに過ぎた頃だった。
鎧には土埃がこびりつき、靴の泥は乾いてひび割れていた。
だが二人の表情には疲労よりも、どこか確かな充足があった。
広場では、すでに五人が待っていた。
行進訓練の準備を整え、槍や盾を静かに握りしめている。
ガレスが二人の姿を確認すると、短く顎を引いた。
「……全員、揃ったな」
その声に七人の視線が向く。
月明かりの下で、鎧がかすかに光を返した。
「行進訓練、開始」
その号令とともに、七人の足が石畳を叩いた。
誰も言葉を発さない。ただ、歩幅だけが揃っていた。
足を上げ、下ろすたびに、砦の広場に乾いた音が響く。
疲労はすでに極限に近かった。
だが、誰一人として歩みを乱さなかった。
ロランの呼吸に合わせてエドリックが足を上げ、ミロの歩調にレナードが追い、ガレスがその全てを見守る。
その列はまるで一つの生命のように動き、長い訓練の果てにようやく「隊」としての形を完成させていた。
やがて、行進は一周を終えた。ガレスが短く声をかける。
「止まれ」
七人の足音が同時に止まる。夜風が通り抜け、鎧の間を撫でていった。
誰も声を出さなかったが、その沈黙の中には確かな誇りがあった。息を合わせ、限界を越え、歩みきったその一瞬に、彼らはようやく理解した――
呼吸を揃えるということが、生きることと同じ意味を持つのだと。
ガレスは静かに言った。
「……よくやった。休め」
その声が夜に溶け、八人はそれぞれの持ち場へと散っていった。
砦の上には、満ちかけた月が静かに浮かんでいた。




