第13話 大行軍訓練
ロラン
年齢: 22歳
職業: 狩人
性格: 寡黙・冷静・慎重
特徴: 狩人の経験で培った洞察力を活かす。弓兵として小隊一。
何度も何度も同じ訓練をくり返し続けて、行軍に慣れだしてきた。
全員がいつものように鐘が鳴る前に指定された場所へ移動する。
夜明けの砦は、白い霧に包まれていた。鐘の音が三度鳴り、静けさの中に金属の響きが溶けていく。中庭には七人の徴募兵が並び、湿った空気の中で息を整えていた。
彼らの前に、上官ガレスが立っている。灰色の鎧の肩が冷たい朝の光を受け、淡く光った。その表情はいつも通り硬く、感情を見せない。
「今朝の会議で決まった。お前たちは今日から一つの部隊として扱う。俺が指揮をとる。――俺を含めて八人だ。」
短く、それだけだった。だが、その言葉には明確な重みがあった。
七人の視線が自然と揃う。もう徴募兵ではなく、ひとつの部隊になったのだ。
ガレスは羊皮紙を手にし、続けた。
「役割も決まった。隊長ルガンの指示だ。全員が同じ槍を振るう必要はない。お前たちの動きを見て、割り振られた結果だ。」
彼は名前を呼び、淡々と告げていく。
「エドリック、オズワル、トマ――前列槍隊。盾の代わりに命を張る。距離を測れ、仲間の背を守れ。」
「レナード、ダリル――中列。剣を使え。列を支え、形を崩すな。」
「ロラン――弓兵。後方に立て。」
「ミロ――斥候。列を離れても構わん。だが見たものを必ず戻せ。」
一瞬、ミロが息をのんだ。だがガレスは淡々と続ける。
「作戦によっては他の部隊との連携もあり得る。前を探り、道をつくるのがお前の役目だ。斥候は孤立する。だが、失敗すれば全員が死ぬ。だからこそ、その目と足が最も重要になる。」
ミロは小さく頷いた。その表情には恐れと決意が入り混じっていた。
オズワルが横目で彼を見る。ロランは矢筒の革を確かめ、無言で息を吐いた。エドリックは槍を握り直し、前を見据えた。
ガレスは全員を見渡し、低く言った。
「これがお前たちの場所だ。誰がどこに立つか、誰が何を守るか――戦ではそれだけで命が分かれる。」
少し間を置き、短く命じた。
「今日は大行軍訓練に合流する。各隊との動きを合わせろ。止まれば、置いていく。」
その言葉とともに七人が動き出す。鎧がぶつかる音、槍が石畳を打つ音。霧の向こうでは、他の徴募兵たちがすでに整列を始めていた。
「出るぞ。」
ガレスの短い命令とともに、八人の部隊が朝の砦を後にした。彼らの影が石壁を横切り、霧の中へと吸い込まれていく。
***
訓練の集合地点には三百の兵。鎧の列が幾重にも並び、槍の穂先が朝の光を受けて一斉に閃いた。槍の海。鉄と革の群れ。音はすでに風を超え、地そのものを震わせていた。
徴募兵だけではない。砦にすでにいる兵士も緊張した様子で命令を待っている。
「これが……全部、兵か」
トマが呟いた。だがその声は鎧の響きに飲まれて消えた。
ほんの一瞬の静寂。
次の瞬間、「静粛に」と副官の声が響き渡る。空気が凍り、誰も瞬きをしない。
広場の中央に、隊長ルガンの姿が現れた。灰色の外套が風をはらみ、頬の傷が光を裂いた。その一歩ごとに、三百の兵が息を止める。
ルガンの声が、砦の壁を震わせた。
「お前たちはこの砦の兵として、同じ地を踏む者たちだ。
名も、村も、昨日の生き方も、ここでは何の価値もない。
一人が乱れれば、全員が死ぬ。
この行軍で学べ。歩くことが、戦いの始まりだ」
「お前たちに求められるのは勇気でもない。力でもない。
ただ命令通りに動くということだけだ」
「――訓練を開始せよ」
号令が落ちる。
次の瞬間、大地が鳴った。
石畳を打つ音が一斉に重なり、砦が呼吸を始める。
三百の足が一歩を刻むたび、空気が低く唸り、地面が震えた。
鎧が擦れる音が波のように押し寄せ、槍の列が光を裂いて進む。それは生きた鉄の大河だった。
「第一列、前進!」
「第二列、続け!」
号令が次々と伝わる。
兵たちの動きはまるで一つの心臓だった。
誰かが息を吸えば、別の誰かが吐く。
その規則の中に、もはや個は存在しない。
足を上げ、下ろす。
ただそれだけの動作が、次第に変わっていく。
歩くことは、服従であり、生存だった。
止まることは、死を意味した。
「前進――十歩!」
ルガンの声が鋭く響く。空気が張り詰め、三百の足音が再び揃う。金属が鳴り、土が跳ね、汗と泥の匂いが混じる。
鎧は重く、息は焼けつくようだった。だが、誰もそれを苦とは思わない。苦痛はすでに、生きている証だった。
上空では雲が低く垂れ込み、灰色の光が兵たちの列を包む。陽は昇りきらず、砦の影はいつまでも消えない。それでも列は進む。
歩くたび、地面が鳴る。鉄の音、命の音、そして死の音。それらが一つに混ざり、砦の外へと響き渡った。
遠くで鐘が鳴った。ルガンが声を張る。
「列を崩すな!目線は前だ!」
その瞬間、三百の兵が同時に呼吸した。霧が揺れ、鉄の匂いが空を覆う。そして七人の影もまた、その列の一部となった。
彼らの歩みはもう、徴募兵の歩みではなかった。
それは兵の歩み――
戦へと向かう者たちの歩幅だった。
「前進、二十歩!」
「止まれ!」
「右へ寄れ!」
号令が絶え間なく飛び、声を張り上げる上官たちの怒号が重なった。土を踏むたびに膝が軋み、肩にかけた槍がずっしりと食い込む。汗が首を伝い、鎧の内側で冷えていく。
***
列はいつの間にか砦を出て、遠くの道へと進んでいた。
太陽は高く昇り、鎧の表面を焼くように照りつけている。
行軍はすでに何刻も続いていた。誰も数を数えなくなって久しい。
汗は鎧の内側で冷え、再び体温で温められ、皮膚に張り付く。
喉の渇きは言葉を奪い、息の音だけが隣との距離を測る目印になっていた。
最初のうちは足音がずれていた。
前の列と後ろの列で歩幅が噛み合わず、鎧が擦れ、槍の穂が微かに揺れた。
だが時間が経つにつれ、誰からともなく呼吸が揃い始めた。
列全体が、ひとつの巨大な肺のように息をしている。
吸う音と吐く音の間に、金属の軋みが混じり、それが永遠のように続いていく。
泥の斜面を越え、石の道を進む。風向きが変わるたび、砂埃が顔を叩く。
腕の筋肉は痛みを通り越して、もはや自分の感覚ではない。
それでも足は止まらなかった。止まれば列が崩れ、崩れれば後方が飲み込む。
誰も指示を出さない。命令の代わりに、音がすべてを支配していた。
足音、息、金属、泥の音。
それらが混ざり合い、まるで脈を打つように一つの音を刻み始めた。
まるで見えない手が群れを掴み、形を整えていくようだった。
最初はただ命令で動いていた兵たちが、いつの間にか互いの呼吸で歩調を合わせ、一人ひとりの足音が大河のうねりに溶けていく。
個の意識は薄れ、しかし不思議と恐怖はなかった。ばらばらだった隊列が、ゆっくりとひとつの軍に変わっていく。
誰もその変化を口にはしない。だが、全員がそれを感じていた。歩くたび、地面が鳴り、空が応える。三百の兵が動くたび、空気がわずかに震える。もはや訓練ではなく、これはひとつの生き物の動きだった。
***
やがて、砦の輪郭が遠くに見え始めた。
長い訓練を終えた列は、外の丘陵地を回り込み、再び砦の門へと近づいていく。
石壁の上では見張りの兵が槍を構え、帰還する行軍の列を静かに見下ろしていた。
太陽はすでに傾き、壁の影が地面に長く伸びている。
その影の中を、三百の兵が途切れることなく進んでいった。
門をくぐる瞬間、空気の匂いが変わった。外の土と草の匂いから、砦の中の石と鉄の匂いへ。
その変化を感じ取った者は多かったが、誰も言葉にしなかった。ただ、足音だけが静かに鳴り続ける。
広場に戻ると、列は自然に形を整えた。もはや命令はいらなかった。
午前中のような乱れはなく、兵たちは互いの呼吸で間を測り、ひとつの軍としての歩幅を保ったまま進む。
鉄と革の音がゆっくりと重なり、三百人がひとつの生き物のように動く。
訓練のはじまりには存在しなかった一体感が、いま確かにそこにあった。
ルガンが声を張る。
「停止――整列!」
三百の足音が一斉に止まり、音が空に吸い込まれる。次の瞬間、完全な静寂が広がった。
鎧の鳴る音すら止み、誰も動かない。
ルガンはしばらく沈黙したまま、列の端から端までをゆっくりと見渡した。
目の前にいるのは、これまでは命令に従うことも満足にできなかった徴募兵。
しかし今、彼の目に映っているのは、確かに兵士として形を成した者たちだった。
ルガンは剣の柄に手をかけ、低く言葉を続ける。
「今日の行軍で、お前たちは一つの軍になった。
だがこれで終わりではない。明日からは再び各小隊に分かれ、役割ごとに鍛え直す。
動き、呼吸、足並み――一つでも乱れれば、全てが崩れる。
この一体感を、もう一度、自分の中に刻み込め。」
誰も答えない。だがその沈黙こそが、確かな返答だった。
「――解散!」
その号令とともに、列がゆっくりと動き始める。兵たちはそれぞれの持ち場へと戻りながらも、足音だけはなお、同じ拍で地を打ち続けていた。
列がほどけ始める。兵たちは整然と持ち場へ戻り、鎧の擦れる音が夕暮れの広場に薄く残った。
その中で、ガレスは七人の部隊に歩み寄った。
灰色の鎧の肩に積もった砂を指で払いながら、静かに言う。
「明日からは役割ごとに訓練を分ける。前列は槍隊の連携、中列は受けの動き、弓と斥候は報告と距離感を重点にやる。もちろん行進訓練は続けるがな。
だが――今日のように、呼吸を揃えることを忘れるな。俺たちはすでにひとつの隊だ。」
ガレスは視線をゆっくりと移した。
エドリック、オズワル、ロラン、ミロ……その顔をひとりずつ見ていく。
その目には冷たさよりも、わずかな温もりが宿っていた。
「よくやった。……初めての大部隊行軍で、これだけ形を保てた隊はそう多くない。」
小さく息を吐き、肩の力を抜く。
「隊長たち幹部の命令に迷いがなかったのは、お前たちがついてきたからだ。誇っていい。」
誰も返事をしなかったが、その沈黙は確かな敬意に満ちていた。
ガレスは短く頷くと、背を向けたまま、静かに言った。
「休め。明日は今日よりもきつい。」
七人の兵は、静かに敬礼した。
夕暮れの光が砦の壁を染め、鉄の匂いと共に一日の終わりを告げる。
その中で、彼らの影はゆっくりと長く伸び、ひとつに重なっていった。




