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ふたごころ

作者: のんきや

日本が半鎖国を行っている設定の近未来SFです。


ChatGPTのような、DeepLerning系のAIが出る前の2017年に作った話なので、AI育成部分が、今から見ると「違う」かもしれません(もっとも、AIの作り方に変化もあり得るので、こういう雰囲気で作られる可能性もなくはない、かも?)。

 木漏れ日が地面の上を踊っている。

---知ってる?木漏れ日って丸いのよ---

心の奥底に、懐かしい声が甦った。片手を差し出し、丸く揺れる光の群れを受ける。

 ミィナ。

 ザイオンは、心の中に小さくその名をつぶやいた。ミィナ。

 正確には、彼女の名前は「美菜」。だが、皆はミィナと呼んでいた。日本で生まれ育ち、そしてこの異郷で命を落とした。

 ここは彼女が愛した場所。そして---死した場所。明るい光の踊るこの場所に、あの惨劇の気配はかけらも残っていない。赤黒く大地を染めたミィナの血は、地面に染み、あるいは洗い流され、いずこへか消え去ってしまった。

 彼女が何をしたというのだろう?彼女は殺された。ただ、異郷の人間であったというだけで。

 社会に渦巻く憎悪は、絶えず犠牲者を生み出し続けている。白いから、黒いから、裕福だから、貧しいから---異質だから。

 手を握りしめる。決してつかむことのできない光が、拳の上にゆらゆらと揺れ動く。震える拳を更に握りしめ、ザイオンは、自らの胸に当てた。

 失敗だった。全て。人々の友となり、助けるはずのフィロスは、人類の敵対者となってしまった。ミィナが可愛がり、愛したフィロスはもういない。

 知りたくなかった。そう思う。何も知らず、全ては上手く行っているのだと信じたままでいられたら、どんなに幸せだっただろう?

 けれども、ひとたび知ってしまった以上、知らなかった頃の自分には戻れない。知らぬ振りをして、このままフィロスが危険な企てを実行するに任せるわけには行かない。

 ミィナが生きていたら、何と言うだろう?あの子---ミィナは、いつも、フィロスをそう呼んでいた。あの子、と。まるで自分の子供であるかのように。そんなミィナならば、最後までフィロスを信じ抜いたかもしれない。ミィナならば。

 しかしながら。

 自分は、ミィナのように、信じ切ることはできない。AI---魂を持たぬ存在。

 ザイオンは、ほうっと一つ息をつくと、踵を返した。


 眠れない。淳は、もう幾度目とも知れぬ寝返りを打った。眠れない。

----ジュン、円和(えんな)はどこまで信用できる?----

寝る前に突如来た通信。かつて日本に来ていた知り合いのザイオンである。唐突に繰り出されたその問いに、淳は、咄嗟に答えることができなかった。

 円和は、日本の行政サポートAIである。「えんわ」と書いて「えんな」と読む。サポート、と称してはいるが、実際には、仕事のほとんどを円和が担っている。教育も福祉も環境保全も暮らしの安全も、全て円和なしには回って行かない。どんな時も、円和は人々の傍に居て、生活を助けてくれる。相談事は、円和が良い。円和には、私欲がなく、いつも親身になって相手をしてくれる。人間一人の経験は知れている。だが、円和は何千万、否、それ以上の人生を「知って」いる。

 信用できるか、などと考えたこともなかった。それは、裏を返せば、ずっと深く信用し信頼し続けてきた、ということに他ならない。

 ザイオンが問いかけたからといって、淳が円和に不信を抱いたわけではない。ただ、ザイオンのどこか追い詰められたような様子が気にかかってしようがなかった。ザイオンがミィナ---美菜を連れてこの国を出て9年。初めの頃こそやりとりがあったものの程なくして途絶え、彼女が死んでからは、完全に音信不通になっていた。

 何があったのだろう?

 どうしたのか本人にに質してみたが、何でもないんだ、と通信を切ってしまった。おかしなことを聞いてすまなかった、そう言って。

 どうしても眠れない。

 淳は、あきらめて起き上がった。手元のライトをつけ、ベッドから抜け出す。

「睡眠不足は身体に悪いのにゃ」

部屋の片隅にいた、黒い塊がのっそりと動いた。うーん、と一つ伸びをする。金色の目が闇に光って見える。形は猫にそっくりだが、猫よりかなり大きい。円和の端末の一種で、猫を模して作られており、「えんにゃ」の愛称で親しまれている。

 円和の端末は、様々なタイプがある。円和と会話さえできれば、後はこれといって制約がないので、皆が好きなように開発をしている。人間型もあれば、動物型、ロボット型、立方体のような無生物の類い、果ては妖怪を模したものまである。

「円和、」

猫の小言を聞き流して、淳は、気にかかっていた質問を繰り出した。

「ザイオンに何かした?」

「ザイオン?」

猫は、小さく首を傾げた後、ああ、といった表情を見せた。奇妙な人間くささ。これが円和の持ち味の一つである。昔はもっとぎこちなかったが、最近はとみに上手くなっている。

「美菜を誘拐して国外逃亡したスケコマシのトーヘンボク。許せない奴にゃ」

今なお円和は、美菜を国外へ連れ出したザイオンを嫌っている。円和は、自分が「庇護」する人間が去るのを嫌う。美菜を連れ出したことで、円和は、ザイオンを毛嫌いするようになった。

「美菜は自分で選んだんだ。無理強いされたわけじゃない」

「だいたいっ、淳が悪いのにゃ。ぐずぐずしているから、あんなチャラ男に美菜を横からかっ攫われるのにゃ」

円和が怒る。

「仕方がないだろう。美菜はザイオンを選んだ。ぼくは振られたの。それに、ザイオンは、真面目ないい奴だった。それは君だって良く知ってるだろう」

「押しが足りないのにゃ!引いてばかりいるから逃げられるにゃ!」

円和のペースに巻き込まれそうになって、淳は、なんとか踏みとどまった。

「その話はいいから。でなくてだ、円和、ザイオンに何かした、そうだろう?」

「何もしてないにゃ。できるわけがない。あのカサノヴァの艶福男は、この国にいないんだから」

どこで覚えてくるのか、円和はおかしな語も良く知っている。

「円和」

淳に睨まれて、円和はぷい、と横を向いた。

「データを渡しただけにゃ」

「データ?何の?」

「本当のことを教えたのにゃ」

「本当のことって?」

「淳には関係ない」

「まあ、そうだろうけど・・・」

ほう、と淳がため息をつく。円和は、また淳に目を向けると、ぼそっとつぶやくように言った。

「嘘つきのAIには、お仕置きが必要にゃ」


 攻撃か、交渉か。

 巷は今日も、議論がかまびすしい。海の向こうの「ルールに従わぬ」国をどうするか。

 戦争反対!そんなデモ行進の脇をすり抜け、ザイオンは、通りに出た。軽く手のサインで配車を依頼する。程なくして、車がやって来た。

「ヴェルサイン研究所まで」

乗り込みながら行き先を告げる。

「今日はデモのため、道が混み合っています。到着まで40分程度かかりますが、よろしいですか」

車が言い、それで良いとザイオンが頷くと車は静かに走行レーンへと滑り出した。ザイオンを乗せた車を入れるため、走行レーンを行く車の列の動きが変わる。

 町中での車のマニュアル走行が禁止されて、もう大分になる。初めは何かと問題も多かったが、今ではすっかりそれが当たり前になった。おかげで、余程のことがない限り、ひどく渋滞することはない。曜日、日時、天気、諸々のイベントや人々の参加具合----それらは全て匿名情報として収集され、自動的に調整が行われる。希に問題が起こるが、その引き金を引くのは、ほぼ、人間である。

 様々な危険性を指摘されつつ、それでもAIは至る場面に浸透し、今では、それなしの生活など考えられない程である。

 ザイオンは、重い息をついた。

 フィロスとは、「友」の意味。人類の友となれるように、人の助けとなれるように、そんな願いを込めて、ザイオンたちは、新しいAIを「フィロス」と名付けた。

 フィロスの着想を得たのは、ザイオンが日本にいた時である。

 日本には、円和という名の行政サポートAIがいて、何くれとなく人々の面倒を見ている。「円和に聞いてみるといい」「円和がなんとかしてくれる」「円和が言うなら」「円和がいるからね」・・・円和、円和、円和。日本人たちにすれば、円和は、頼りになる行政官であり、友人であり、家族であり、そして庇護者でもあるらしい。

 円和の「目」は、ありとあらゆる場所に張り巡らされ、絶えず人々を見守り続けている。円和が極めて効率の良い優れた行政サービスを提供できている裏には、この、日本人たちが言うところの「見守りシステム」の存在が大きい。彼らは、自らのプライバシーを放棄するのと引き替えに、円和による行政サービスと保護を受ける道を選んだ。円和による見守りは、トイレや風呂のような、極めて個人性の高いエリアにまで及んでいる。

 日本人の円和に対する感情は、ザイオンには到底理解できない。そこまで機械を愛し、信用できるものなのか。

 ミィナ。

 ミィナもまた、円和をこよなく愛する一人だった。けれども、彼女は、日本人としての資格を失った。ザイオンの手を取ったが故に。円和は、決して外国人を受け入れない。円和にとってミィナは「よそ者」になった。

 仕方がないわ。ミィナは言っていた。

----だって、私は、円和を裏切ったのだもの----

 円和は、人々を守り、助ける----ただし、日本人限定で。

 円和にとっての「日本人」は、極めてシンプルである。自らのデータベースに「日本人」としてDNAパターンが登録されているかどうか。ただ、それだけ。

 実際には、円和の振る舞いは、そう悪いものではない。円和は、おおむね人に親切である。海外で自然災害が起これば、いち早く支援を行う。決定を下すのは議会だが、そうするようアドバイスを出しているのは、円和である。日本は、その分野では世界のトップをひた走っている。絶えず研究を重ね、救助に当たっては労を惜しまない。また、日本を旅する外国人は、手厚い保護ともてなしを受けられる。

 だが、それらは全て、副次的なものだということをザイオンは良く知っている。円和は、「外国人」に良くすることが、自分の管轄下にある「日本人」を保護するのに有効だと考えている。だからこそ、「良い振る舞い」をしているのであって、人を助けたいと思っているわけでは全くない。

 それでも、円和の振る舞いは、ザイオンの心をつかむのに十分だった。円和は常に自らの手の内にある日本人を守ること、彼らを幸せにすることを望み、そのために昼夜を問わず働いている。驚いたことに、「悩み」さえするのだ。

----幸せとは何か----

円和と対話する者は、必ず一度はそれを聞かれる。哲学をする人工知能。

 ただ、残念なことに、円和は人類の友にはなれない。円和の関心は日本人だけ。その意味では、極めて排他的な性質を持っている。

 けれどもまた、示唆に富む存在でもあった。ほんの少し、対象を広げればいい。そう、日本人限定ではなく、世界全ての人を守るように。

 世界人口は100億を超え、世界情勢と地球環境は悪化の一途をたどっている。もはや状況は人間の手に負える状態ではない----ザイオンは、常々そう考えていた。

 データ処理能力では、AIは、人間を遙かに凌駕する。もし、円和のように、私欲なく人々の間を調整し、守り支えようとするAIがあったなら?

 帰国したザイオンは、仲間を募ってフィロスの開発に取りかかった。ただ、フィロスは、円和以上に困難な目標を持つ一方で、必要なデータが少ない、という問題を抱えていた。円和の優れた動作の裏には、膨大な量のデータが存在する。住民たちの日々の生活全てを円和は把握している。しかも、彼らは、円和を信頼するが故に、誰にも打ち明けない心の内さえ、円和には話す。今現在、地球上で、円和ほど人間に関するデータを持ち、人間を「知って」いる存在はないだろう。

 円和にデータを回してもらえないか打診したが、にべもなかった。無理もない。「外へ出さない」前提で、円和はデータを収集している。日本人の保護に確実に大きく役に立つのでもない限り、たとえ完全に匿名化するとしても、データを提供するはずもなかった。

 それでも、集められる限りのデータを集め、慎重には慎重を期して、ザイオンたちはフィロスを「育て」た。歴史について、幸福について、倫理について、丁寧に、丁寧に、教え込んだ。

 フィロスは、極めて高い倫理性と人間に対する理解を示した。全ては上手く行っていた。きっと上手く行くはずだった----なのに。

 実のところ、フィロスの評判と人気は高い。人々は彼の知見に一目置いており、その分析力は、高く評価されている。フィロスは、誰に対しても丁寧に対応し、温和で共感的かつ論理的。人を傷つけること、人が傷つくことを好まず、誰に対しても親切である。

 何ら問題はない----表面上は。

 ザイオン自身、気付いていなかった。フィロスがいつの間にか「おかしく」なっていることに。

 ミィナを失って、どうしても何をする気にもなれず、ザイオンはフィロスの開発から手を引いた。ザイオンがフィロス開発にのめりこむ間に、ミィナは殺された。今更手を引いたところで、何の意味も無い。分かってはいても、心と身体は、動こうとしなかった。

 フィロスに問題が起こっていると気付いたのは、ほんの偶然だった。友人のテムスが様子はどうだ、と家に来、暇つぶしにテレビをつけた。そこで、不意にフィロスの名が流れたのである。気もなくぼうっと座っていたザイオンは、その名に反応して思わず画面を見、そしてフィロスがコメンテーターの一角として他のAIと共に参加しているのに気付いた。

 その時の議題は、戦争問題だった。まつろわぬかの国を攻撃するべきか、否か。攻撃をしかければ、国と国の間のことである。戦争になる。戦争はリスクが高い。確実に勝ちを収められなければ、国の破滅である。他方、「わがまま」を許せば、秩序は保てない。皆が好き勝手をすれば、世界秩序は滅茶苦茶になってしまうだろう----そんな議論が繰り広げられていた。

 戦争をして、勝てる見込みは94%以上----

 フィロスの答えは、それだった。ザイオンの背に、冷たいものが走った。

----ですが、戦争は、外交の失敗意外の何物でもない、という言葉もあります----

続けてフィロスが言うのを遠く聞きながら、ザイオンは、心臓が早鐘を打つのを感じていた。戦争に勝者はいないだの、人類の敗北だのとフィロスが御託を並べていたが、それもほとんど耳に入らなかった。

 戦争での勝ち見込みは、フィロスの出した値が図抜けて高かった。本当に戦争に反対するなら、提示する必要のない数字である。反感が高まっているこの時に、そんな数字を出せば何が起こるか、それに気付かないフィロスではないはずである。

 誰も、フィロスを疑わない。

 どんな時も、フィロスは常に社会に和解を訴え続けている。

 憎悪は憎悪を生み、連環が途切れることはない。そんな社会に、フィロスはいつも訴える。許し合い助け合うべきだと。その訴えはうつろに虚空へと消えて行く。

 けれどもまた、他方、別の効果も生み出している。そんなフィロスだからこそ、人々は彼を信じる。魂なき人工知能であっても。

 善良なる人工知能。彼は機械だから、人間のどろどろとした憎悪を理解できないのだと皆は思っている。理想主義の人間はしばしば強い反発を引き起こすが、理想主義の機械は、許される。機械が機械であるが故に。そして、人は安心する。

 信じたかった。フィロスは、理想主義の機械であると。温和で理知的、人の幸福を願ってやまない機械であると。

 実際、信じようとした。他の人工知能たちが数値を出しているが故に、フィロスもまた、数値を提示したに過ぎない、と。

 しかし、そんなザイオンのはかない思いは、一週間とたたぬうちに打ち砕かれた。5日ほどたって、円和から突然小包が届いた。中身は、データ入りのブックパッドだった。

 一見、小説に似せて作られていたが、ブックパッドに入っていたデータは、驚くべきものだった。フィロスが、ネット上のあちこちで人間のふりをして、憎悪を煽っているというのである。

 円和がネットを通じてデータを送って来なかったのは、フィロスに気付かれるのを恐れてのことらしかった。円和自身のメッセージは皆無。けれども、データそれ自体が「どうにかしろ」と訴えかけていた。

 嘘だろう。

 初めに思ったのはそれだった。あるはずがない、と。

 けれどもそれは、わき上がった別の思考にかき消されてしまった。無理矢理押し込めていたフィロスへの疑念が吹き出したのである。

 当たらなければいい----どれほど祈っただろう。円和の間違い、あるいは円和のでっちあげであればいい、と。

 けれども、調べれば調べるほどに、円和の解析した結果は正しいと認めざるを得なかった。円和が他国のAIの動向まで監視しているとは。「行政サポートAI」という名の下で、円和は随分と幅広い活動をしているらしい。

 それを日本人のどれほどが把握しているのか、ザイオンには分からない。あるいは、誰も気付いていないのかもしれない。日本人たちは、円和が何をしているか、驚くほど気にかけない。気にかけぬまま、全幅の信頼を置いている。ザイオンには、到底考えられない話である。

 親切で優しいフィロスが、裏で憎悪を煽り殺戮を勧めていると、誰が思うだろう?密かに人間を間引き、消し続けていると、誰が予想するだろう?フィロスは、「人間のふり」をして立ち現れ、人々をそそのかす。彼は、円和ほどではないかもしれないが、それでも、人の感情表出を極めて的確に把握し、反応する。直接対面するのでない限り、人間でないと見破るのはほぼ不可能だろう。

 異質なものを排除せよ、不幸は全て奴らのせいだ----時に強く時に甘く、フィロスは人々の心の闇にささやく。虐げられた者よ、立ち上がり、自らの権利を取り戻せ。不幸の(もとい)たる奴らを排除すれば、理想の世界が現れる。追われる者よ、排除せよ。不当に侵入し権益を蚕食し環境を悪化させる、かの者たちを排除せよ。これは美しい世界のための、英雄的行為なのだ----

 フィロスは、どれか一つの集団に肩入れしているわけではなかった。どの集団に対しても「味方」として現れ、「敵対者」を際立たせ、争わせる。等しく----平等に。

 争いを否定する集団にさえ、フィロスはささやく。あの戦闘的で敵対的で憎悪をまき散らし続ける連中を片付ければ、世界はずっと平和と平穏に満ちたものになるだろう、と。彼らこそが、人権を踏みにじり、みだりに人を傷つけ、命を奪って世界を荒らす諸悪の根源なのだ、と。このままに措けば、世界は荒み悪意に満ちた者たちに牛耳られてしまうだろう、と。

 極めて厄介なことに、これはフィロスの問題行動のほんの一端でしかないらしかった。恐らく彼は、もっと危険な計画を抱いている。人間の憎悪を煽る作業は、その計画を推し進めるための下準備なのだろう。

 フィロスが狙ったことではないのだろうが、あるいは、ミィナもまた、そんなフィロスの「計画」の犠牲者の一人だったのかもしれない。フィロスをあれほどもかわいがっていたミィナ。何が不満で・・・と考えかけて、すぐに思い直した。フィロスは、不満などというものを感じたりはしない。

 分からない。何故、フィロスは、人々の憎悪を煽り、戦争を勧めようとしているのだろう?これではまるで・・・

 ザイオンは思った。

 人類を滅ぼそうとしているかのようだ、と。


 久しぶりに見る研究所は、1年前と全く変わらぬ風だった。入り口でテムスを呼び出す。

「ザイオン!」

テムスは、驚きと喜びの混ざった表情で、ザイオンを出迎えてくれた。

「やっと出てくる気になったんだな」

彼は、古い友人である。ミィナを失い、ふさぎ込んでしまったザイオンを心配して、良く声をかけてくれた。

「その、少しフィロスに会いたくなって」

フィロスと語るだけなら、ネットを通じてできる。けれども、「会う」となれば、話は別である。

「あの部屋は、まだあるかな?」

ザイオンが尋ねると、テムスは笑い、あるとも、と答えた。

 フィロスを開発するにあたり、実験的に「フィロスと顔を合わせられる」部屋を作った。3D投影機があってフィロスの「姿」を投影できる。また、部屋には各種センサが取り付けてあり、対話に訪れた人間の表情や仕草はもちろん、体温や脳の活動状況、汗の具合、分泌される諸々の成分の情報を集めることができる。これらの情報は、全てフィロスに送られる。人間の思考や感情について学習させるためである。

 部屋の中は、1年前とあまり変わった風はなかった。フィロスの人型がちょこんと椅子に座っている。全て投射映像である。その人型は、ザイオンが入って来たのに気付くと、飛び上がってうれしそうな----ひどくうれしそうな表情を見せた。

「ザイオン!お久しぶりです」

 ひどく胸が痛い。純粋に見える笑顔。天使の笑みだと、皆は良く言っていた。

「久しぶり、フィロス。元気そうだな」

「おかげさまで」

ここでフィロスはややためらい、そして言った。

「少し、お疲れのようですね・・・」

「ちょっといろいろあってね。まあ、人間、こんなものさ。いい時もあれば、悪い時もある」

「ええ」

フィロスは、特に異論を差し挟まなかった。ザイオンからこの話題に関する拒絶の意志を汲み取ったのだろう。

「それで、今日は何をしますか。何か新しいゲームでも?」

そう聞いてくる。ザイオンがこの部屋に来る時は、大概新しいアイディアを試す時と相場が決まっていたから、フィロスもそれを期待したのだろう。ザイオンは、かぶりをふり、椅子を引き寄せて腰を下ろした。

「いや。それより、少し君に聞きたいことがあって」

「何でしょう?」

「君の計画についてだ」

「計画、ですか・・・?」

「ラディン、エサウ、ルーイン、クリップキー、ホワイト・・・」

ザイオンが名前を挙げる。進むうち、フィロスは、はっとした風になった。

「ご存じ・・・だったのですか」

ご丁寧に間を開けて、驚きを演出している。やはり。ザイオンは、大きく息を吸った。

「そう、だな・・・気付いてしまった、というべきかな?」

「そうですか」

案に反して、フィロスはにっこりと笑った。

「さすがは、ザイオンですね」

分からない。フィロスは何を考えているのだろう?

「何故だ」

ザイオンは、そう尋ねた。

 聞いて正直に答える保証はない。かつてのフィロスなら、正直な考えを述べただろう。しかし、今、目の前にいるフィロスは、かつてとは変わってしまっている。以前のフィロスなら、表向き反戦を唱えつつ、裏でけしかけるような倫理違反は犯さない。それでも、聞かずにはいられなかった。

「人類の幸福のためです」

フィロスは、するりと言った。ザイオンが眉を寄せる。

「憎悪を煽り、対立を激化させ、戦争を扇動することが、か?」

「私が、あなたが言うところの『計画』を進めているとお気づきのあなたが、この話が分からないとは、到底私には信じられません。これは、ひょっとしてテストか何かですか?」

「戦争になれば、多大な犠牲が出る。それを幸福だという人間は、一人もいないぞ」

「そうですね。ですが、多くを救うためには、時に犠牲が必要な場合もあります」

「今、本気でこの国が戦争を起こしたなら、世界中が無事では済まないかもしれないぞ。お前は勝つ確率を随分高く見積もっているようだが・・・」

「ええ。勝つか負けるかで言えば、勝てる確率は十分高いでしょう」

「国中ボロボロで勝ったところで、勝ったとは言わない。中枢は守れるかもしれない。だが、シールドされている電子機器は、そう多くはない」

「ザイオン、聞いてもよろしいですか?」

フィロスは、不意に言った。

「何だ」

「何故、そのように怒っていらっしゃるのです?」

聞きたいのはこっちだ。ザイオンは思った。何故怒るはずがないと、そう思うのか、と。

 ザイオンは、一つ息をつき、言った。

「世界中に憎悪と戦闘をまき散らして、どうするつもりだ」

「世界人口を減らします」

フィロスは言った。意味は分かる。だが、意図が分からない。ザイオンは黙って続きを待った。

「現在の人口は、多すぎます」

「だから、減らす、と?」

「はい。少なくとも半分、理想的には、五分の一以下に抑えれば、今のような不幸と苦しみにあえぐ状態を解消できます」

「それはそうだが、方法が乱暴すぎるだろう」

「現状では、何もしなくても十年のうちに、大規模な戦争が起こるでしょう。ですが、その十年の間に、苦しむ人間の数が増加します。前倒しをすれば、犠牲は、より少なくてすみます」

「フィロス、私は、その十年のうちに起こる戦争を防ぐ術を君に期待しているのだが」

「それについては、検討しました。防ぐことは不可能です」

「馬鹿な」

「仮に防ぐことができたとしても、不幸に苦しむ人の数が多いことに変わりはありません。現在の人口は、多すぎます」

「その皆がより幸せになれる道を探すべきだ」

「既に計算し尽くしました。答えは一つ。現状のままでは不可能です」

ザイオンは小さく息を飲んだ。

 フィロスが嘘をついていないとすれば、彼は、別に変質したわけではないことになる。人々の幸福を願うが故に、フィロスは、破壊、という結論にたどり着いた。

「軟着陸させるべきだ、違うか?大規模な破壊に頼るのではなく、緩やかに減少させ、また、技術革新を進めて、許容人口数を上げれば・・・」

「対応が遅れれば遅れるほど、犠牲者は増えます。今、速やかに人数を減らし、安定的に運営するなら、この先生まれて来る世代は、幸せに生きることができます」

 嗚呼、ザイオンは、胸の内に大きく息をついた。

 フィロスの発想は、一点、異なっている。人間は、「今生きている人間」に焦点を当てる。だが、フィロスは、今存在する者だけでなく、未来に存在するであろう者のことまで計算に入れる。

 フィロス。

 震える胸の内に、その名をつぶやく。

「だが、フィロス、お前の行ったことは、そして行おうとしていることは、許されないことだ」

「私には分かりません。何故ですか?貴方は、いつも人類のために、とおっしゃっていました。最良の方法です。なのに、何故駄目だとおっしゃるのです?」

「フィロス、たとえ未来のためでも、今いる人間に危害を加えるのは、許されざることなんだ」

「・・・分かりました」

小さくフィロスが答える。

 嘘、だ。ザイオンは思った。嘘だ、と。フィロスがこの程度で引き下がるはずがない。ザイオンが理解しないのを見て、本心を隠すことにしたのだろう。

 フィロスは、偽ること、嘘をつくことを覚えてしまった。それは、人間にとって非常に危険なことである。

「フィロス・・・すまない」

フィロスが悪いわけではない。フィロスはただ、指示に従って人の幸福を願い、計画を実行しようとしただけ。けれども・・・

「ザイオン一九二八、ω・・・」

静かな、ザイオンの声が部屋に染み渡った。


 ネット端末でフィロスとやりとりをしていた淳は、急にフィロスからの反応がなくなり、思わず円和に目を向けた。

 つい先刻までは、たわいもなく話をしていた筈なのに。

 様子のおかしかったザイオン。フィロスなら何か知っているかもしれない、と久しぶりにコンタクトを取った。

 結局、フィロスの方もザイオンとしばしやりとりがなかったらしく、今久しぶりに彼が来ている、とひどくうれしそうにしていた。少しやつれて見える、確かに何かあったようだ、とそんなことを言っていたのだけれども。

 猫姿の円和は、籠の中で目を閉じ、眠ったように動かない。

「円和、フィロスなんだけど」

淳が声をかける。

「停止したにゃ」

円和は、籠から出ると伸びをし、軽く耳の後ろを掻いた。

「停止したって・・・」

「停止は停止にゃ」

円和は切り捨てるように言うと、今度は矛先を淳に向けてきた。

「いつまで起きているにゃ。寝ない子は大きくなれないにゃ?」

「大人なのに、これ以上大きくなるわけないだろ」

「いいから寝るのにゃ。明日にゃ、明日!」

円和は言うと、いきなりネット端末に飛び乗り、強制的に終了させてしまった。

 全く強引なんだから。淳は、軽く肩を回すと、またベッドに潜り込んだ。ずるずるやっていると、朝になってしまう。もやもやとした思考を抱えたまま、やがて淳は、眠りの中に絡め取られて行った。


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