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髪をゆすいでもらう

 髪をゆすいでもらう。ここちよい湯が頭を包み、その中を両手の柔らかな指が孵ったばかりの魚のようにぎこちなく泳ぐ。

 他人の髪を洗うのは初めてにちがいない。


 甲浦(かんのうら)の海を左手に見ながら、八月の午後、強い日射しを遮るものがない国道沿いを若い男は歩く。

 海からの風は、暑さにのぼせる上半身をなだめるが、道路の輻射熱に焼かれる足には無力だ。数十メートル先にはうつくしい砂浜が続き海水浴客でにぎわっている。が、歓声は若い男には聞こえない。

 海が深い藍色に、穏やかに広がっている。


 黒いフェアレディZが若い男を少しやり過ごして止まった。車から若い女が下りた。素顔のままで長い髪を後ろで簡単に一つにまとめ、白いブラウスに黒いスカートを身につけている。


「お遍路で歩いているのですね。

「お接待をさせてくれませんか。こういう言い方がいいのかどうかも分からないのですが……

「しばらく前からここに来ていて、ここからもう少し先に行ったところにいるのです。

「……兄も歩いているお遍路さんを見かけたら、お接待をした、と聞いています」。


 若い男は汗が乾かないままの乗車をためらった。が、若い女は少しも気にしていない。車に乗ると、若い女は、実家は東京で、大学の3年生だと言った。若い女が通う大学は若い男が卒業した大学だった。A**先生のゼミにいると若い女が言う。A**先生の妹、女優のA**M**の姪が高校の同級生だったと若い男が言う。


「不思議なご縁、ね」。若い女は驚く。若い女の顔に初めて灯った感情だ。


 海沿いに四階建ての白い建物がある。各階が三室に分かれ、三階の中央の室に案内された。玄関を入り、中に進む。正面の広い窓が空と遠く水平線まで見える海を枠いっぱいに限っている。


「いい眺めですね」とすすめられた椅子に座らず、広い窓に向かって立ったまま若い男は言う。


「兄も高知のこの海が気に入って、ここを購入しました。

「ここは、兄のもので、部屋の片付け、……遺品の整理に来ています。

「髪をお洗いします。兄もお遍路さんにそうしていたと言っていましたから」。


 冷たい麦茶を飲み終え、若い男は形のよいボウルの洗髪器の前に座る。


 髪を洗い終わると若い女はこどもを撫でるように若い男の髪をタオルで拭い、ドライアーでかわかす。


「お昼を作りますね。

「精進料理がいいのですよね」と若い女が言う。


 クーラーは音もなく夏の部屋を冷やし、リビングの正面の窓には海が鷹揚に揺らいでいる。


 天ぷらを揚げる音が響く。


 大きなテーブルの隅に太い万年筆とW. Somerset Maughamの‘Plays’があり、フローリングの奥に大きなスピーカーが据えられていて、若い男の目を引く。


 野菜の天ぷらと冷や奴、椎茸の出汁の味噌汁で若い男はひとり昼食をとる。


 若い女は、テーブルの向い側に座る。一緒に食事はせず、若い男を見つめることもない。

 ことばが透明な声でつながれていく。


「兄はモンブラン149の太字が気に入っていて、手紙も論文もそれで書いていました。

「タンノイのスピーカーもお気に入りで、モーツァルトのオペラやイギリス中世の教会音楽のコラールを聴いていました。

「私には三人の兄がいるけれども、亡くなった兄は一番上の兄で、私だけひとり遅く生まれた子だったから、亡くなった兄とは十七、歳が違う。

「兄は私には特別な存在でした。何でも知っていて、優しくくるんでくれるようで。それでいて一度も私をこども扱いしたことがなかった。

「本をよく読む人だった。兄は中学生の時に家にあった坪内逍遥訳のシェイクスピアの全集を読んだと母が言っていた。兄は英語が得意で、他の兄たちも私もよく教えてもらった。知識を頭に入りやすく、引き出しやすく整理して教えてくれた。そういう教え方だった、と今なら分かる。

「でも、『本当には英語はできないんだ』と、それも兄の特徴で目元と口元で小さな笑顔を作りながら話したことがあった。

「スタンフォード大学に留学していた時、兄にはとても気のあう女の子がいた。その白人の女の子も兄が好きだった。お互いにこんなに分かりあえる他人がいるとは思ってみなかったという出会いだった。

「兄はこの人と結婚するのだろうなと予感がした。女の子もそう思っていたはずだった。

「ある日、女の子と彼女の家族と一緒に湖に行った。湖も空も祝福されているようにとても新鮮でうつくしかった。みんな心から打ち解け、湖をめぐる観光船に乗った。

「船上で二人きりになった時、何も言わないでも分かりあえていることがお互いに分かっているといったとてもよい雰囲気だった。

「だから、でも、女の子は、そのことを確かめたかったのね、きっと。安心しきった、ちょっといたずらっぽい笑顔で女の子は、兄に"I give a penny for your thoughts."と言った。兄は咄嗟には女の子の言いたいことがのみ込めなかった。

「ほんの一瞬のことだった。けれども、それが女の子に伝わった。笑顔の裏側の女の子の感情がほんの一瞬止まった。女の子自身それに気づかなかったかも知れない。でも、兄には分かった。

「女の子はすぐに言い直したのだけれども、兄にとっては取り返しのつかないほど遅かった。

「沈黙の中に二人にとって必要だったことばはすべて溶解し、ことばに出さずとも了解しあえていると思っていたけれども、ことばをかけたとたんに二人の間に深い溝があるのが露わになった。ことばが無邪気な思い込み、思いあいを断絶することを経験してしまった。

「母語を話す者たちの間になら存在しない、母語を異にする者の間にある断絶を兄は感じた。

「今後、いつまで経っても、彼女といるかぎりは、ことばによって感情の自然な流れに空白が生じてしまうことがある。母語が違う以上、そういう空白がついてまわる。

「ことばが誘発する底なしの虚無を兄は感じたの。その時からしだいに、兄と女の子は疎遠になっていった」。


 若い男の昼食を片付け、熱いお茶を淹れた。


「こんな話を続けてもいい?」。


「兄の幸福は、兄の奥さん、義姉がもたらしてくれた。

「兄が大学院生の頃、義姉は同じ学部の学生で、偶然知り合った。

「義姉は、立教女学院を卒業した人で そう聞くと、なるほどと思える清楚な人だった。

「これほどお似合いの夫婦はいないと兄の家に行くたびに思った。

「その頃、兄は東京に住んでいた。

「義姉の妊娠が分かった時、兄があれほど喜んだことはなかった。

「もう父親になったつもりでいて、いろんな話を聞かされた。

「ある時、まだこどもが生まれていないのに、『こどもが少し大きくなって、一緒に風呂に入れるようになったら、風呂場でちんちんをふってやるんだ。

「『きっと小さな顔をまるごと笑顔にして声を上げて笑うよ。

「『こどもも真似をしていっそう大きな声で笑うかも知れない。こどもにはそういう経験が大事だよ』と言った。

「兄が本気でそういうことを言っているのかどうかも分からず、中学生だった私はどんな顔をして話を聞いたらいいのか困った。

「『兄さんの話は、生まれてくる子が男の子だったら、の話ではないの? 生まれてきた子が女の子だったらどうするの?』と訊いた。

「すると、兄は『こどもが女の子でも同じさ。きっと大喜びして笑うよ。そうやってその子が男性器やセックスを怖がりすぎないようにしてやらなくては、ね。それも父親の役割だ』と言った。

「私は、ますます顔が赤くなった。

「結局、こどもは生まれなかった。

「義姉は心臓に持病があった。お姉さんも亡くなった。

「『相手が心臓病かどうか調べた上で、恋をしたり、しなかったり、愛したり、愛さなかったりするわけではないものね』と兄は、言った。私が義姉と生まれてくるはずだった子の死に衝撃を受け、残された兄のことを思って悲しくて堪らなくて泣いてばかりいた時に、そう言ったのを覚えている。

「それから三年経って、兄は東京を離れ、ここが気に入って、ここの大学で職を得た。

「兄には指揮者が自分の中に独自の時間の流れを維持できるように自分の時間を生きていると見えるところがあった。

「それが宿命を寡黙に引き受けているように母と私には思われた。

「けれども、父と二人の兄は、その兄を自分勝手だと思った。亡くなった今も。

「……兄は、ふた月前に亡くなった。

「私は、今になっても何もかも落ち着かない。何かを落ち着かせるためにここに来たけれども、兄が愛用していたものに囲まれて何も手がつかないでいる。

「何もかも身体から抜けていく。手を伸ばしても手の先には何も触れない。そんな感じがする」。

「………

「ローザ・ルクセンブルクが獄中生活の中で鳥の声や夕方の光景の変化にとても注意深く敏感で、それによって心が開かれ自由になっていることを、今年五月に大学の書籍部の新刊コーナーでたまたま手に取った彼女の『獄中からの手紙』を読んで知った。

「とても印象的だった。

「それ以来、鳥の声に耳を傾け、夕方の風景をじっと見た。すると、本当にこの世界は複雑で繊細でうつくしく豊かだったことが分かった。それまで楽しいとかおもしろいとか思っていたこととは全く別のものが存在することを知った。これまで聞くべきことや見るべきものをやり過ごしてきてしまったと思った。そして、暫くの間は、心を満たす術が分かった気がしていた。

「ここへ来てからも、鳥の声、風や波の音、夕暮れの海や空の変わりゆく景色が虚脱した私を少しは慰めてくれる。でも、朝目が覚めるとまた抜け殻の自分がいる。

「ローザ・ルクセンブルクは、『すべては、苦悩、別離、そして渇望、この三つに帰着するのです。ひとは、いついかなるときでも、このすべてを甘受せねばなりません。そして、すべては美わしく立派なものです。少なくともわたしはそうした心構えで生きています』、『これこそが生を享ける上に、唯一無二の正しいあり方であると直感をもって感じます』と書いている」。


「でも、そのことばは、今の私の心には少しも響かない。

「ローザ・ルクセンブルクは、強い人だな」。


「あなたは、モームを読みますか?」。若い女が突然言う。

「兄が最後にどんなものを読んでいたか、分からないけれども、テーブルにはモームの演劇集が置いてあった。私はモームを読んだことがない」。


「少し読んだ、と、言うか、読まされた、と言った方がよいかもしれません。

「フランス文学専攻だけれどもモームのファンで、人間関係の距離の置き方が心理的にも身体的にも随分近い女の子がいて、その子にすすめられた。

「『英語の受験参考書でモームの文章を読んで、落ち着き払って皮肉を言う人だという印象しか持たなかった』と女の子に言ったら、プリプリ怒り出し、無知な人間はこれだから困るという顔で『入試英語の知識でモームを論じるなんて言語道断。きっとモームを単なる小説家だと思っているでしょ。劇作家でもあったの。知らなかったでしょ。最後に書いた四つの戯曲は社会的な問題に触れるシリアスで優れた作品だよ。けれど、君のレベルを考えると、きっと理解は無理ね。

「『君にも無理なくおもしろさが分かるものと言うと、モームの喜劇ね。モームは喜劇を書いていて、中でも風習喜劇として書いた最後の劇と言っていい‘The Constant Wife’、これなら君にもおもしろさが分かると思う。それがいい。それを読みなさいよ。モームを正しく評価できないなんて、みじめだわ。

「最近いいテキストが出たの』と言って、そのまま神保町まで一緒に行って、本を探してくれ、買わざるを得なかった。その女の子は、親切でもある人なんだ」と若い男が言う。


「あぁ、……そういう距離感の友だちが私にもいたらいいのに、な」と若い女は言った。


「‘The Constant Wife’は、仏文専攻のモームのファンの女の子の言ったとおりおもしろかった。

「浮気した夫とその妻コンスタンスの話で、夫の浮気よりもコンスタンスの振る舞いと考え方が波乱を起こす。「穏やかで正直そうに聞こえるけれども、旧弊で俗物的な価値観そのものといった台詞、常識にとらわれず素直な故に鋭い針を含んだ台詞、そういう台詞のやりとりで笑わせる。

「台詞が主体だから、劇を見ていなくても読むだけでもおもしろい。

「ふと納得させられそうになる台詞もある。

「コンスタンスが‘How does one know if one's in love?’と言うと、その母親が‘I only know one test. Could you use his tooth-brush?’と答えるところがあった。

「以前同棲が発覚した女優が記者に同棲相手とどういう仲なのかと聞かれて、彼の歯ブラシを使えると答えていたのは、これが原典だったのかと思った。

「それから、コンスタンスが自分自身も含めて妻というものの立場を‘a parasite’と言ったり、‘I am economically independent and therefore I claim my sexual independence.’と言ったりする。1926年の戯曲だから今から56年前の台詞だけれど、現在もまだ問題になっているフェミニズムや問題の渦中のジェンダー論に通じるものがある。その発見もおもしろかった。

「モームは喜劇を書いたのであって、そういう問題を扱おうとしたのではないそうだけれども。題の‘constant’も最後まで読むとその意味がよく分かる。ものを一面的に捉える態度を揶揄するモームらしい。それもおもしろかった。

「そんなことを仏文の女の子に話したら、ほら言ったとおりでしょという顔をしていた。

「でも、歯ブラシのところは、『そんなことおもしろがるの?』と憐れみの表情だった」。


「歯ブラシの台詞は、私はおもしろかった。

「私は、いかなる場合も‘No’」。若い女は、少し笑った。


「それ以来、仏文の女の子はしきりにモームの作品を薦めるので、おかげでいくつかを読んだ。

「傑作だから是非読むべきだと彼女が主張したのが『人間の絆』だった。

「おもしろい小説だった。モーム自身を反映させたと言われるフィリップ・ケアリという主人公の9歳から30歳までの物語。

「生い立ちがフィリップを無神論に導き、それで神学校を中退して、18歳からハイデルベルクで1年、パリで2年を過ごすことになる。無神論は彼を信仰の呪縛から解放したけれども、人生の意味とは何かという問いを突きつけることにもなった。

「小説は一人の少年の成長を描いたもので彼のさまざまな出会いが語られる。

「人生の意味とは何かという問いは、始終問われるわけではないけれども、物語の通底音になっていて、彼を時々深刻に襲う。

「人生の意味とは何か、フィリップは自問自答し、書物に答えを求め、パリでは知り合った詩人のクロンショーに尋ねた。

「クロンショーは、フィリップにこれに答えが秘められているとペルシャ絨毯を贈る。しかし、その答えは自分で考えるしかない、と言った。

「クロンショーが亡くなり、ハイデルベルクの頃からの知り合いのヘイウォードが突然亡くなり、『人生の意味とは何か』、この問いがフィリップを追いつめた。その時、クロンショーのペルシャ絨毯のことを思い出し、たちまちに答えをはっきりと知った。

「そして、東方の王様の話を思い起こすことで、その答えを確信し、彼は、『人生の意味とは何か』という問いの迷妄から解放された。

「ペルシャ絨毯に秘められた答えは、織子が絨毯を織るのはその審美感を満たすことだけにあるのならば、人間も自分の人生をそのように生きてよい、ということだった。

「人間は生きることで自分の『絨毯』を織る、その意匠は、他人にとってはともかく、その人にとっては独自でうつくしい。

「フィリップは幸福をはかる価値基準を放棄したことで幸福になった」。


「あなたのお兄さんについて僕が何かを言うのは傲慢にすぎますが……

「……フィリップの考えからすると、あなたのお兄さんは、希望も幻滅も幸福も不幸も織り込んだ、お兄さんしかその存在を知らない『絨毯』を織られました。それは、その人なりのこの世での、かけがえのないし合わせであったと思います」。


「人は、望んだわけでもないのに、気がついたら、いつの間にか生をうけていて、しかも、生には剥がしようがなく死が張りつている。

「そういう生をひとり一人、独りで生きている。

「しかし、人は、人と人が絡みあい、思いもかけないところでつながりあい、束縛しあい、関係の結び目としても存在している。人と人がそれぞれに生きて、し合わすことによって、よくも悪くもさまざまな感情が生まれる。それらがその人の人生の綾になる。

「お兄さんの『絨毯』にはあなたとの日々も織り込まれてうつくしい綾をなしていたと思います」。


「あなたの『絨毯』にもお兄さんのことが、死のかなしみも含めて、彩りとなっている。そう思います」。


「きょうのあなたと、あなたを通じてあなたのお兄さんとも、向き合えたことが自分の望む意匠とは別の、思いもかけない、うつくしい模様を僕の『絨毯』にもうかび上がらせる。

「そういうことがこの世での人と人のし合わせというものだと思えます。

「……そうではないと、誰にも言わせない」。


 若い男は、モームの『人間の絆』について漠然とした読後の印象しかもっていなかったので、若い女にその話をしたことが自分でも意外だった。若い女を慰めたり、元気づけようとしたわけでもない。何かに誘われてことばが勝手に出てきた。自分がかけてほしかったことば、かもしれない。


 若い女は、黙って、続くことばを待っている。


 ことばが途切れる。


 大きな窓ガラスの向こうには、かわり続けて止まない、ますます色を深めていく海と夕映えの混じり始めた空が、ある。

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