WEB小説の使命について、独断と偏見を語ってやる!
かつて日本に32校のみ、存在した旧制高校。
そこの卒業生だけが、4年制の国公立大学へ入れる特権を有していた。
彼等は卒業までの3年間は、古典を嗜むのがモットーであった。
哲学ならデカルト、カント、ショーペンハウアー。
文学ならゲーテ、トルストイ、ドストエフスキー。
無論、日本文学も嗜んだ。
しかし、現在は嗜まれてはいない。
何故、そうなった?
この問いに応えるだけ、答えてみよう。
WEB小説の使命!
それは〘教養主義〙の復活!
以上!
これで納得したら。
この先、読む必要は無い。
なぜなら、教養の大切さが分かっている人は、すでに行動を起こしている。
教養を蔑ろにする事は皆無。
『教養……意味あるんですか?』
意味あるんですか?
この言葉が大嫌いな人は、教養人の可能性が高い。
意味の無い行動に意味を見出す力。
それが教養でもある。
『WEB小説を読むことに意味なんてあるんですか?』
『お金にならない小説書いて、意味あるんですか?』
『何が楽しいんですか?』
無意味に意味を見出す力。
いや、意味を発見する力。
それが教養でもある。
利益と云う目先の意味に捕らわれた人間は、簡単に心が折れてしまう。
生きる意味を失ってしまう。
心の糧はお金では得られない。
知恵もお金では買えない。
かつて、明治〜大正〜昭和半ばまであった教養主義。学生のみならず、古典を嗜むのがステータスだった。
しかも、古典をただ読むのではなく議論もした。
考える力をつけた事で、深い知恵が生み出された(※広義の意味で将棋やチェス、カードゲームも教養である)
その成果が存分に発揮されたのが、高度経済成長期(1955~1973年)である。
教養主義の恩恵を受けた世代が社会の中核を担っていた。
導いたのは官僚達。
例にもれず、教養主義の中枢を担う者達だ。
彼等は仕掛け、誘導し、経済成長を促した。
石炭から石油への産業転換。
マイカーブームを興す国民車構想。
地方の工場移転に伴う、道路網や鉄道網の整備。
しかも、ただ経済成長を促したのではなく。
貧富の格差が拡がらないように注意していた。
もし、放ったらかしにしていたら、貧富の格差は拡がり、社会は崩壊していたかもしれない。
城山三郎・著【官僚達の夏】に詳しい。
そんな教養主義の申し子達が、一斉に社会の第一線から退いたのが1990年代。
図らずもバブル経済の崩壊と重なったのは、偶然とは思えない。
その後の日本は、それまでの経済成長を支えたシステムの維持に努めた。
【新卒一括採用】【年功序列】【終身雇用】
それらを維持するためだけに、汲々とした。
その為のコストカットを続けて、未来の産業の芽を育てるどころか潰してしまった。
かつて将来の石油産業の発展のために、石炭産業を潰した気概は何処へ行った?
結局、それまでのシステムの恩恵を受けた世代(バブル経済時、30代・40代・50代)が引退するまで、何もできなかった。
彼等が教養を嗜んだ世代なら……。
偏見かもしれないが…。
WEB小説は【広くて浅い】
手軽にすぐに読めるのが魅力だ。
さらにそこに【濃さ】が加わり。
さらに【深さ】を加えて読者を導ければ!?
ライトノベルから【※ヘビーノベル(古典文学)】へ(※勝手に考えました)
WEB小説は教養主義の登竜門たれ!
結局、教養主義が、なぜ衰退したのかと云うと。
戦後、GHQが旧制高校を潰してしまったため、見本が無くなってしまったからだ。
結果、エリートのステータスで無くなってしまって、教養ヘの憧れは消えて行った。
しかし、知への欲求は社会に燻っている。
それに応えているのが、現在のWEB小説なのだろう。