第一話
俺は死んだはずだ。
確実に死んだはずだ。
クソッタレな屑どものお陰で死んだはずだ。
ぼやけてよく見えない。
何故生きている?
見知らぬ女性に抱かれている。
この人は誰だ?
周囲に人がいる。
ここはどこだ?
赤ちゃんの鳴き声がする。
この鳴き声は誰のだ?
何故、俺が泣いているんだ?
俺は死んだ。まずそれは間違いないらしい。
なにせ身体が縮むどころか、赤ん坊になってるんだからな。
話している言葉は幸い日本語みたいで聞き取れるが、生まれたばかりなのが原因なのかは分からないが、全ては聞き取れていない。すっごく疲れるし。
あとは、目が光に慣れてないのかすごく見えにくい。ぼやけて見えてるので輪郭と色ぐらいしかまだ分からない。
それでもなんとなく集めた情報によるとだ。
《帝国》《陛下》《皇后》《男子》
と言う言葉が多く聞き取れた。
つまりは、『帝国の皇后陛下が男子を産んだ』となる。今のところはだが。
現実世界に帝国なんてもう無いはずだ。皇后と言うことは皇帝もいるので帝政の国ではある。これが皇帝じゃ無くて天皇だったら日本って確定するんだけどな……
いや、確定しても困るんだけどね?
もと平民の一般人に皇族どころか、皇太子なんて無理だからね?どーしろっていうんですか?絶対ぼろが出ますって!
まあ、赤ん坊の身だから今嘆いても仕方が無い。泣くことしか出来ないし。
そして目で見た情報は、《黒髪の女性》《金髪で性別不明》《赤い何か》《黒い何か》《白い塊多数》
……何にも分からん!
《黒髪の女性》は俺を抱いてた人だ。状況的に恐らくこの人が《皇后陛下》だと思う。
次に《金髪の性別不明》。頭の色しか分からなかった。性別も身体の輪郭だけでは分からなかった。
次、《赤い何か》。全部赤く見えた。マジで分からん!やばい物では無いと思いたい!信じたい!
次は、《黒い何か》。黒と何かがくっついてるように見えた。これも何にも分からん……。
最後、《白い塊多数》。全身白い塊みたいなのがいっぱい居た。多分状況的に医師や看護師だと思う。
まあ全部推測で間違ってる可能性の方が高いんだけどね……。
異世界に転生したのか、はたまた別の日本に転生したのかは分からないが、前世よりは遙かに面倒くさくて自由が無い立場なんだろうなぁ……
いやだなぁ…………
なんか……眠くなってきた……………
だめだ…………寝よ………………
「皇后陛下!元気な男の子です!おめでとうございます!」
老齢な金髪の医師が分娩台で横になっている女性にうれしそうに語りかける。
「ああ……よかった……」
皇后と呼ばれた女性もうれしそうに笑い、ひと安心したのか息が漏れる。しかし出産したばかりのせいか、少々顔色が悪かった。
「おめでとう、待望の第一子だな」
「見守ってるこっちがヒヤヒヤしたわ。次からは部屋の外で待たせてもらうわよ」
長い黒髪を頭の右側にまとめて結んでいる女性と赤く艶やかなロングヘアーの女性が、優しい笑みをしながら皇后に語りかける。
「二人とも……見守りありがとう……二人がいたから、安心してこの子を産めたわ……」
「うむ、産後は体力が落ちている。お前はゆっくり休め」
「あなた、もともと身体がそこまで頑丈じゃないんだから無理するんじゃないわよ?」
「わかったわ……ゆっくり休むね……」
皇后はそう言うと目を閉じ、そのまま眠りについてしまった。
それを女性二人は優しく見守る。医師も皇后が寝たことを確認すると動き出す。
「皇后陛下と殿下をお連れしろ。ゆっくりとだぞ」
周りの皇室御付きの助産師と看護師たちがゆっくりと、だが素早く、そして音を立てずにテキパキと作業を開始する。
皇后を起こさぬように、そーっと分娩室から寝室へ分娩台ごと移動し、生まれた赤子もそれに続く。
黒髪の女性と赤髪の女性もそれについて行く。
寝室に移されると、皇后を起こさぬようにベッドへ移すし、赤子は保育器のような物の中に移される。
その他諸々の作業が完了すると、老齢の医師は、黒髪の女性と赤髪の女性に近づく。そして頭を垂れる。
「では私は陛下へ報告をして参ります。お二方は如何なされますか?」
「私はここで見守っているわ」
「我も見守るとしよう。陛下への報告、貴様に任せる」
「ハッ!」
二人にそう言われた医師は、皇后御付きの侍女たちに引き継ぎを行い、もう一度頭を深く下げてから看護婦と助産師たちを引き連れて寝室から去って行く。
大分人数が減った寝室では、皇后が穏やかに寝息を立てる音が聞こえる。
「赤子の名は何になるだろうか」
「苗字は《アイガー》で確定してるし、すんなり決まると思うわよ」
「しかし陛下の時は色々揉めたではないか。存外決まらんかもしれんぞ?」
「その時は、産んだ母親が決めればいいのよ。それくらい産んだ母親に権利があるわ」
堂々とそういう赤髪の女性に、少し挑発的に笑う黒髪の女性。
「ではそれに反対する者がいたとしたら?」
「その時は私が、燃やすわ。骨の欠片も残さずにね」
笑いながら質問に答える赤髪の女性。絶世の美女であるはずなのに、猛禽類や猛獣のような獰猛な笑みであった。
しかしそれを当たり前のごとく黒髪の女性もまた笑い返す。
「それでは我の出番が無くなるではないか。少しは獲物を残して欲しいものだな」
「あら、怖い」
クスクスと小さく上品に笑う赤髪の女性。
「さてまだ名無しの殿下の顔を近くで見るとしようか」
「ああ、良いわねぇ」
保育器のような物に音を立てずに近づき、保育器の側に控えていた侍女は、スッと横に捌ける。
二人は中をのぞき込む。赤ん坊がスヤスヤと寝ている。
「赤子はいつ見ても愛らしいな」
「そうねぇ……食べちゃいたいぐらい可愛らしいわね」
「貴様の食べるは、ちと刺激が強すぎる。せめて十五を迎えてからにしろ」
「ちょっとぐらい味見しても良いじゃない?どうせあなたも食べる気なんでしょ?」
「それはもちろんだとも」
不穏な会話を余所に名もなき赤ん坊は穏やかに寝るづけている。
「この子は、黒髪かしらね?まだ薄くてはっきりしないわね」
「恐らく黒だろうな、母親から受け継いだのだろう」
「魔力はあるかしらねぇ?あれば私が直々に教えるのだけど……無くても教えるけどね」
「男に生まれたのだから、この子も軍人になるだろうな。まあ、最近の戦はあまり得意ではないが、我も剣術ぐらいは教えてやろう」
生まれたての赤ん坊には通じなくとも二人は楽しそうに語りかける。
まるで初めて出来た孫に話しかけるように。
「おっと……ついつい話をしすぎた。年を取るとどうも話しが長くなってしまうな」
「あら?もうこんな時間なのね。また来るわね、坊や」
赤髪の女性は、優しき赤ん坊の頬にキスをする。黒髪の女性はそれを見て眉間にしわが寄る。明らかに不機嫌な表情だ。
「おい……抜け駆けはだめだろ」
「ふふっ、早い者勝ちよ」
「あと加齢臭が赤子に移る」
「私は加齢臭なんて出てないわよ。だいたい私が出てるなら、大して年齢が変わらないあなただって出てることになるわよ?」
「我はちゃんと毎日風呂には入っているから大丈夫だ」
「私だって入ってるわよ」
歩きながら売り言葉に買い言葉の言い合いになっているが、彼女たちの見た目は若く美しいため、加齢臭が出始める年を取った女性にはとても見えない。
寝室を出る前に赤髪の女性がふと立ち止まる。
「私たち、あの子に自己紹介してなかったわね」
「名が与えられてからこちらも名乗るとしよう」
「それもそうね。ちゃんと名前がついてから教えてあげましょうか」
そう言うと寝室を出て行く。部屋の中に居た侍女たちは二人が出て行くまで頭を下げ続けていた。
長い廊下を歩く二人。
「これから面白くなりそうね」
「面白くなるかは、あの子しだいだ」
「そうねぇ、まあ一番年上の綺麗で優しいお姉さんが手取り足取り導いてあげるわ」
「そのお姉さんは、貴様ではないな。お姉さんと名乗れる年ではないし、優しくない」
「優しいわよ?とっても優しい上に優秀で美人よ?」
「自分で言うのはどうかと思うぞ?まあ見た目だけは美人だな。我と比べれば数段劣るが」
いまだに言い合いをしているが、言葉とは違い口調は穏やかであった。
しかし、黒髪の女性の口調が変わった。しかし歩みは止めない。
「あまりよい時代に生まれたとは言えんな」
「それでも昔よりは大分マシでしょ?まだお互いに理性があるんだから」
「貴様の昔はいつなのかは知らんが、その通りだ。しかし、良いとも言えんだろう?」
「まあ……面倒よね」
歩きながら赤髪の女性は目線を自分の隣にいる女を見据える。その視線に気づいているが黒髪の女性は前を真っ直ぐ見続ける。
「皇后陛下にもしも何かあれば、あの子を守らねばならん」
「後ろ盾にでもなるつもり?」
「そう捉えてくれて構わん。貴様はどうする?」
「もちろん私も後ろ盾になるわよ」
即答だった。それを聞いて、うなずき黒髪の女性。
顔を赤髪の女性に向け、真剣な表情のまま口を開く。
「あの子の初めては、我が貰う」
それに呆れたのか、ため息を吐く赤髪の女性。
「私が貰うに決まってるでしょ」
それを皮切りに二人の言い合いが再開される。
傍から見れば仲が良い友人たちが痴話喧嘩をしているように見えるが、内容がひどかった。少なくとも皇后がいる建物の中でして良い内容ではない。
しかし二人はそんなことを気にも留めずに歩きながら真剣に話している。
二人が言ったように、この世界はあまり良い時代とは言えない。
生まれたての赤ん坊には分からないことだ。
どういう運命が待ち受けているのか?
それを受け入れるのか?
それとも否定するのか?
それは彼にしかわからない。
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