勇者征伐 6
「やめろ」
膝を付き、全身から力が抜け、動きが止まる。
既に蘇生魔法を唱える気配がなくなっても、飛来する銃弾は勇者ロミオの肉体を喰らい続けていた。
「もういいやめろ、終わりだ」
朝倉が通信機にむかって静かに告げ、ようやく銃声が止む。
すると、未だ生きている地形隠形の効果によって、あっという間に周囲に静寂が戻って来た。
風よって砂埃がはれ、ロミオの姿が見えた。
全身の銃創からおびただしい出血が地面に流れ、胸の傷口を抑える左手に魔力の輝きはもう無い。
銃弾によって引き裂かれ、ボロ布のようになったスーツの隙間から無数の傷が覗いている。
青い目からは光が消え、指先を動かす程の力も感じられない。生命活動が停止していることは明らかだった。
「…………ト……サイト」
それでも彼は動いていた。
死後の自身に蘇生をかける荒業を可能としていた、死の先に行動を予約する技能。
"彼岸の向日"が小さく、彼の唇を動かしている。
「……………ガレフ……」
既に魔力は底をつき、意味のある詠唱行為ではありえない。
「………ラスト……みんな……僕は……」
それはただの名前だった。
「……マリー……僕は君が……」
勇者一行。
彼がかつて、彼のいた世界で共に旅し、共に戦い、共に生きた者達の。
「君たちが……」
何度も何度も、反芻するように名を呼び続け。
やがて"彼岸の向日"の効果時間が尽きた時、彼は完全に動きを止めた。
朝倉は、霜の降りた地面を踏み砕きながら、勇者の屍へと近づいていった。
今度こそ動き出す気配はない、ただの死体だ。
しかし死体の前に突き刺さっていた筈の聖剣は、持ち主のあとを追うように姿を消していた。
「回収、出来なかったっすね」
同じように近づいてきた山西が隣でぼやく。
口調は手痛い失敗をした時のそれだった。
朝倉も理解していた。
本部が、勇者の撃破以上の重要性を聖剣確保に見出していたことを。
手筈の全てが上手く言ったとは言えないだろう。
「じゃあ何? 任務失敗ってわけ? ここまでボロボロになって……お笑い草ね、私たち」
片瀬は立ち上がる体力も残っていないのか、少し離れた場所で座り込みながら天を仰いでいる。
「そうでもない。本部も聖剣の特性と威力を把握しきれていなかったんだ。俺たちだけの責任にはならないよ」
山西の肩に手を置きながら、朝倉も片瀬の視線を追うように空を見上げた。
吐く息は白く、ふわりと浮かび上がって消えていく。
聖剣の光によって冷やされた空気は肌寒く、ひとつ先の季節を呼び込んでいた。
天清剣オルドリアス。
氷に閉ざされた世界で生まれたそれは、正に天を清める光の剣であったという。
全力での起動は原典にも記されていない。
勇者が剣を手に入れるまでのストーリーが、現世界に発行された最後の巻の内容だった。
だが物語の続きは確かにあった。
勇者が聖剣を振り下ろしていれば、どうなったのだろう。
誰も見たことのない、聖剣の真の威力を知ることが出来たはずだ。命と引換えに、ではあるが。
「卑怯者、か」
朝倉はふと、勇者の言葉を思い出す。
「……なんすか? それ」
訝しむ山西に苦笑いながら、朝倉は信号弾を空に打ち上げた。
青色、その意味は作戦の終了。
「いや、なに。返す言葉もないなと思ってね」
異能の力を持つ転生者に対抗するための3つの手段。
『数の優位』『設定改竄』『原典の情報』。
どれ一つとってもまともではない。
結局のところ力のない現生者にできることは、数で囲み、摂理を捻じ曲げ、覗き見た知識でもって行う理不尽な暗殺という汚い手段。
特に最後のは酷いものだったと、朝倉は自嘲する。
決着の直前、甲殻結界が解除されたとき。
勇者が構わず聖剣を振り下ろしていれば、結末は違っていた筈だ。
聖剣の全力起動により朝倉達3名は勿論、周囲のビルで狙撃を行った隊員を含め"異対"は全滅、渡橋市は壊滅し多くの市民が犠牲になっただろう。
それほどの威力があの聖剣からは計測されており、そして本来なら、殺し切ることなどできなかった。狙撃は、間に合わなかった筈なのだ。
勇者を殺したのは、他ならぬ勇者自身の躊躇い。
結界が解除された一瞬、彼は動きを鈍らせた。
気づいたのは近くにいた朝倉だけで、狙ったのもまた彼だった。
『魔力障壁に近い物も展開しているんだろう? それも、非常に堅牢な』
戦闘前、周囲を巻き込まない為の障壁を確認した言葉に、朝倉は疵瑕を見た。
原典の情報は確かに、能力面では勇者の弱点を示さなかった。
だが同時に、原典にはメンタリティーや生い立ちの情報すら記載されている。
氷の季節に閉ざされた世界を救うため、人々に日の暖かさを取り戻すため、過酷な旅に出た青年。心優しき勇者。
世界を守るため、正義のために手にとった聖剣。
それを別世界とはいえ、何も知らぬ罪なき人々に振り下ろす行為。
無辜の民を巻き込む一撃を、ためらいなく放つことは出来ない、と。
たとえ自分の世界の為に、現世界を犠牲にすると決意していたとしても。
前もって殺戮を覚悟していたわけでなく、全力の一撃を放つ、その直前に結界が解除されたとあっては。
ためらうと信じた。
結界の解除によって、それが起こると。
失敗すれば己を含む全隊員の死滅と、渡橋市の破滅があると知っていて、朝倉はその一点に賭けるしかなかった。
そして事実、一瞬の迷いが勝敗を分けた。
勇者は己の、勇者足り得る優しさと、正義感によって滅んだ。
そして、その清廉を利用してまで勝利にしがみつく行いを、卑怯と呼ばずしてなんと呼ぶ。
「くだらないわ。私はそんなふうに思わない」
片瀬は座り込んだまま、吐き捨てるように言い切った。
「なにが卑怯よ。一度死んでおきながら浅ましく生き返って、あまつさえ他人の世界に土足で上がりこんで、迷惑かける輩に言われたくないのよ」
言葉には静かな怒りと、憎悪が込められていた。
「私、転生者なんて大嫌い」
ふんと、鼻をならしてそっぽを向く彼女に苦笑しながら、朝倉もまた地面に腰を下ろした。
とっくに体力も精神力も使い果たし、立っているのも限界だった。
地面は冷たく、救護班の到着が待ちきれない。
二人の同僚と共に、遠くの夜空、浮かぶ月を見上げながら、朝倉は思った。
今の片瀬の言葉を聞かせてやりたい。
もしもそこに、転生者を連れてくる神様が、隠れているというのなら。