勇者征伐 4
『3つ、転生者は原典を有した異世界から来訪する』
転生者における最も重要な法則だ。
"原典"とは何か。
それは彼らの、あるいは彼らの生まれた異世界の、"物語の名前"を指す。
異世界には必ず物語があり、同時にその物語は必ず現世界にも存在している。
小説、漫画、映画、ゲーム、媒体は一切問わず。
必ず対応する異世界の原典になる物語が現世界のどこかに在るのだ。
ただし転生者を輩出する異世界の物語には、ある1つの奇妙な共通点があった。
それは、『作者死亡により絶筆の物語』であること。
転生者を生み出す異世界の全ては、物語の行き先なき、滅びに至る世界である。
作者の死と異世界の成り立ちの関係については、未だに解明されていない。
物語の作者が死亡したことで、異世界が滅ぶのか。
それとも、異世界が滅んだことで、作者が死に至ったのか。
そもそも作者が異世界を作ったのか、異世界が作者に物語を書かせたのか。
研究者の間でも意見が分かれる議論だ。
何れにせよ、現世界を犠牲に、異世界に戻ること。
絶筆の物語、その続きを始めることが、転移を目論む転生者の理由だと考えられている。
異世界転生者の存在が確認されてから十余年。
以上が、異世界に関する研究が進み、近年になって漸く判明した事柄だった。
無論、全ての転生者の出典が判明しているわけではない。
未だそれと知られぬまま、現世界に眠る異世界の物語もあるだろう。
だが少なくとも、今ここで"異対"の相対する転生者の出典は判明していた。
オーストラリアで40年ほど前に児童図書賞を受賞したファンタジー小説だ。著者はヘンリー・ウィルソン。
後にそれを元にしたゲームが日本で発売され大ヒットを記録するも、全10巻を予定していた原作は8巻を最後に作者病死により絶筆と記録されている。
観測異界 04号:『ワールド・クエスト』
それが、勇者ロミオを生み出した異世界の物語だった。
「ところで、こちらからも聞きたいんだが」
勇者の右手が輝きに包まれた時、"異対"の三者に、極大の緊張が迸る。
ロミオの外見は、今も四十代後半の中年サラリーマンにしか見えない。
動き回って少しヨレたスーツと曲がったネクタイ、白髪交じりの頭髪は乱れている。しかしその青い瞳だけは潤沢なる魔力を湛え、全身に漲るエネルギーが周囲の空間を軋ませていた。
「僕が転生者であると、どうして分かった?」
先程までは小手調べに過ぎない。
本番は、真に死線を潜るのはこれからだ。
朝倉は全身の強張りを抑えながら、端的に呟いた。
「転移装置」
傍目には意味不明の一言だったが、勇者には十分伝わったのか。
彼は輝く右手を、絶たれた左手首に当てながら、忌々しげに吐き捨てる。
「情報トラップか。やってくれるな、現生者」
切断されていた左手が再生していく。
筋繊維から神経に至るまで、右手の光に照らされた箇所から輝きが広がり、完璧に復元されていく。
手だけではない、時間にして数秒も経たずに、勇者の全身の傷と汚れが消え、スーツのシワまで伸びていた。
聖告:光浄治癒。本来彼が居た世界においては僧兵、或いはそれに準ずる職のみに習得を許された回復の魔法だ。
それも、切断された手足をその場で完治させるほど上位術。
原典、ワールド・クエストにおける勇者という存在。その特徴とは、凄まじいまでの万能性と限界練度の高さにあるだろう。
剣士、魔法使い、僧兵、それらに特権的に許されている筈の技能を一通り習得し、突出して極める事は出来なくとも、十分修めたと言っていい域まで昇華することが可能。
近距離白兵戦、遠距離魔法戦、そして損傷治癒に至るまで全て一人でこなしきる。
現実世界においては単体で一個大隊に等しい戦力と見積もられる、一分の隙きも無い完成された戦士。それが勇者の称号を冠する者だ。
そして彼を勇者足らしめる、もう一つの、欠かせない特徴がある。
「これほど騒いでも誰一人やってこない。事前に人払いの仕掛けをしていたな?」
「なんだ? 警察が助けてくれるのを待っていたのか? 悪いが俺たちに求められても困る」
質問に、朝倉はぶっきら棒に、皮肉たっぷりに答えた。
もはや気の抜けた調子は鳴りを潜め、目前の対象を完全に敵と見なして接している。
勇者の指摘通り、銃声、雷鳴、夜を劈く轟音が市内の中心で響き渡ったにも関わらず、公園内に未だ彼ら以外の気配はない。
そのくせ公園の外周を走る車の音は何事もなく遠くに聞こえてくる。
この場所だけ切り離されたように、干渉されないように、不可解な力が働いているとしか思えなかった。
加えて、公園の外周を取り囲む圧迫感、檻のような気配が、逃げ道は無いと告げている。
「僕の世界にはない魔法だけど、地面から少し、魔力に近い波濤を感じる。どこかの転生者の協力か?」
「かもな。お前も投降するなら、同じ扱いにしてやってもいい」
「首に縄をつけて、他の転生者を捕まえる手伝いをしろと?」
「そうしてもらえると助かるが」
「ふざけるなよ、死んだ方がマシだ」
「だから殺してやると言ってんだよ」
侮蔑すら滲む朝倉の返しに、中年の勇者は顔色ひとつ変えず、再生したばかりの左手で白髪交じりの頭を掻き上げた。
右腕はおもむろに防御態勢を解き、真横へと伸ばされて――――
「最後に一つ」
「質問が多いな」
とぷん、と手が空間に潜るように沈んだ。
補助魔法――保全亜空間。
空の狭間に収納スペースを作り出す便利な術式であるが、彼は転生してから今まで一度も使用してこなかった。魔法の行使が正体の暴露に繋がることを警戒し、取り出すことはおろか、最初から在った一つしか入れてもいなかった。
その一つとは、彼が転生時に唯一、元の世界から持ち込んだ代物である。
「僕が逃げられないように、付近一帯には人払いと同時に、魔力障壁に近い物も展開しているんだろう? それも、非常に堅牢な」
「だったらどうした?」
「いや、なに、ちょっと嬉しいだけさ。なんせ――」
空間を割り裂くように現れたそれは、夜を撃ち破る極光であった。
勇者の右手の握り込む、その輝きの中心。
赤い柄、銀の鍔、そして白の剣身。煌めく先鋭が現の世界を眩く照らす。
「久々に、少しくらい、本気でやっても良いってことだろ?」
光り輝く白刃の聖剣。
これぞ、彼を勇者足らしめる象徴。
幻想の世界より来攻した異能の殲滅兵器だった。
「――天清剣オルドリアス。冰火の光にて摂理を断つ」
万魔を滅する白の切先を突き付けながら、勇者ロミオはブルーのネクタイを軽く緩めた。