勇者征伐 2
銃撃と雷撃、全くの同時に放たれた。
機工と魔法、相反する出自の弾丸が空中で交差し、夜を切り裂いて互いに狙う標的へと飛翔する。
会話の最中に突然後ろに飛び退った木村祐司――たった今"勇者ロミオ"と呼ばれた者の指先から迸る紫電は、手元から離れた直後に薄紫色の槍状に形を変じ、正面に立つ山西の左わき腹を貫いていた。
よって山西はスーツの内側に携帯していたホルスターから銃器を取り出すこと叶わず、加えられた魔法の一撃によって後方、雑木林の奥へと吹き飛ばされる。
しかし、その時点で既に、彼の隣に立っていた女――片瀬は両手に引き抜いた拳銃を構え、腕を振り回すようにして瞬く間に都合4発の射撃を繰り出していた。
「白告:清浄なる不可侵障壁」
詠唱は現象に遅れて響き渡った。
木村の左手は山西の吹き飛んだ方向に突き出されたまま、代わりに腰だめに構えた右手が発光し、前方に半透明の障壁を作り出している。
盾のように展開した壁面に、喰い込んだ片瀬の銃弾が落下せず、徐々に侵食し罅を入れる様子を見たとき、彼は初めて危機感を覚えた。
白魔法『清浄なる不可侵障壁』。
木村が最も信頼する守護術であるそれはかつて、鋼鉄の王城を一瞬にして灰と化さしめる『竜の焔息』すら防ぎきった、正しく絶対の防壁だった。
それを、たかが直径9ミリの鉛玉が傷を付け、あまつさえ現在進行形で喰い破ろうと突き進んでくる。
つまり、これはただの弾丸ではない。ならば、撃ち出す本体はただの銃器ではなく。即ち、今対峙している三者は等しく、只者ではない。
片瀬の銃撃に一切の躊躇は無かった。
砲火は二丁拳銃の弾倉を空にするまで継続し、殺到する鉛の嵐が清らかなる魔法の盾を殴打する。
突き刺さる銃弾が及ぼす衝撃は透明な壁に蜘蛛の巣のような罅を無数に刻み、聖なる守りは今や事故車のフロントガラスと大差ない惨状に陥った。
銃撃は障壁を抉り続け、目標の肉体に鋼の牙を届かせんと迫る。しかし突破の直前、木村は右手で払いのけるように、己が防壁を自ら投げ捨てていた。
一瞬、木村を除く全員が、四散しながら舞い上がる壁を目で追う。
射線上の守りは除かれ、だがそれは同時に、片瀬が撃ち切った拳銃に弾倉を装填するタイミングでもあった。
「青告:轟烈にして刹那の雷槍」
反撃。伸ばされたままの木村の左手に再び紫電が迸る。
今度の狙いも過たず、リロードの間際で無防備な片瀬の胸部に吸い込まれるように撃ち込まれる、その寸前。
「あのッ、すいません! まだ事情聴取が終わってないんですけど!」
木村が左右の腕を同時に使ったその隙を、男は見逃さず斬り込んだ。
「――――!」
掬うように弧を描いた白刃。軍用ナイフの切っ先は木村の左手首を切り落とし、片瀬に向かっていた雷槍の軌道が下方に逸れる。
結果、片瀬の足元の地面が爆散し、衝撃に吹き飛んだ彼女は公園のジャングルジムに激突したものの、すんでのところで紫電の直撃からは逃れていた。
砂場に転がった片瀬を、既に木村は見ていなかった。
先程、朝倉と名乗った男。たった今、己の懐にスライディングで飛び込んできた者こそ、この場で最も警戒しなければならない相手であると、瞬時に理解していたのだ。
彼が握る得物は、木村の左手首を両断したナイフ一本。勿論、片瀬の銃と同じく、通常の武器ではあり得ないだろう。
そうでなければ何重もの魔法補助を付与された勇者の肉体を、こんなにも容易く切り裂くことなど不可能だ。
さらに翻る刃。
深く沈んだ体制から地を蹴り、飛び上がるようにして今度は首を刺しにきた朝倉と、木村の視線がかち合う。
木村は上体を反らすように身を捻って刺突を回避し、交差際に反撃の回し蹴りを撃ち込んだ。
同時、朝倉も木村の軸足側に飛び込むように身を投げ出し、足刀の攻撃軌道から逃れ出る。
外した蹴りは砂を巻き上げながら朝倉が背にしていた大木に命中し、正しく木端微塵に吹き飛ばした。
目論見通りに当たっていれば、人体の腰から上が血煙と化していた程の、それは尋常ではない威力だった。
「……マジっ……かよ!」
ナイフを逆手に持ち替えながら、再度斬りかかろうと腰を沈めていた朝倉の体制が不自然に崩れる。それは極大の隙だった。
要因は風圧。先程の攻撃自体は回避したものの、蹴り動作に付随する衝撃が一拍遅れ、風の槌と化して襲い来る。
組み立てていた攻め手の全てを投げ捨て、回避に転じた彼の判断は正しかった。しかしそれでも足りない。この至近距離で晒した隙きを、解消するには不足していた。
既に、打ち下ろされる拳が眼前にあった。
飛びかかってくる木村のスピードは猛禽の如く敏捷であり、体勢を整える間も与えず繰り出された鉄槌打ちの軌道は、今度こそ朝倉の頭蓋を捉えている。
筋力倍化。皮質硬質化。骨子鋼鉄化。攻撃速度倍化。付与衝撃倍化。
幾重にも魔法補助を集中させた拳は誇張なく怪力。大型トラックの衝突に伍する速度と質量を握り込む。
故に、その衝突から救出する手段が在るとすれば、同じく超常の要素を込めた射撃による援護しかあり得なかった。
「――!?」
遠方の雑木林の暗闇から突如、飛来していた銃弾が木村の拳に命中し、僅かに速度を鈍らせる。
戦闘開始時に山西を吹き飛ばした方角から発射されたその弾丸は、片瀬が放ったものと同じく不可解な魔法貫通性を内包しており、超強化された肉体を抉り押し留め、結果、勇者はコンマの差で対敵の頭蓋を捉え損ねた。
転がるように飛び退いた朝倉の身体に、大量の土が浴びせられた。
つい先程まで立っていた地面が、木村の拳打によって深く抉れた事によって、飛び散った土砂だった。
さらに迫る追撃の右拳が隣に設置されていた遊具を粉砕した時、既に朝倉は脱兎の如き勢いで後方に飛び退っていた。
退かざるを得ない。接近戦の趨勢は余りにも瞭然であった。
戦闘開始直後とは逆に、今度は"異対"の側が、距離を稼いだ。
「で、繰り返すんだけど……まだ聴取は終わってないんだよな……」
"異対"第一支部、三班『カザキリ』班長、朝倉零次。
ぼやきながら、砂場、片瀬の隣まで戻った彼は、素早く腰のホルスターから抜き放った拳銃を、前方に立つ勇者へと突き付ける。
接近を封じるためだ。
そして耳にかけた通信機に触れ、油断なく周囲と同僚の状況を確認し、一息吐き出してから、呆れるように言った。
「まずアレだ、片瀬は先走りすぎ」
「……うっさいわよ」
"異対"第一支部、第三班『カザキリ』副班長、片瀬燐。
彼女は朝倉の後ろで息を整えていた。
ジャングルジムに叩きつけられた際に弾き落とされたのか、その顔にもうサングラスは無い。
真っ黒いスーツと長い黒髪も相まって大人びて見えていたが、街灯の下に晒された素顔は、まだあどけない十代の少女だった。
「ほんで山西ー、生きてるかー? さっきは助かったぜ」
「ま……なんとか……っすけどね……もう動き回るのは……無理……」
"異対"第一支部、第三班『カザキリ』支援担当、山西光太郎。
後方の雑木林から戦況を窺う彼の応答には、激痛に咽ぶような苦悶の呻きが混じっていた。
「オーケイ、以後、死なない程度にサポートに徹してくれ」
「もう……リーダーはいつも……人使い荒いんすよ」
彼は片瀬と違い、間違いなく雷槍の直撃を受けていた。
にも拘わらず未だに息があり、朝倉の援護までしてみせたという事実は即ち、彼らの装備の異常性が銃やナイフのみにあらず、その衣服の防護力にも及んでいることを意味している。
朝倉は言葉に加え、背中に隠したハンドサインで次の一手に繋がる布石を打つ。
「粋人の陣は起動しているな」
「つつがなく。地形隠形も甲殻結界も展開されてるっすよ。誰も来ませんし誰も出れません」
「了解だ。甲殻結界はこっちの合図で即時解除できるように調整しておけ、赤色だ」
「……? 分かりましたけど、どういう意図っすか?」
「作戦だよ。あと全員、改竄の使用申請を済ませておけよ」
「そりゃ当然、もうやってます」
対して、木村――"勇者ロミオ"は敵対する三者の動きを探りながら、最初と同じように右手を腰だめに、いつでも防壁を展開できるように構えていた。
戦況は動きを止め、僅かの間、膠着状態に陥る。
この時、開戦から約3分が経過したところだった。