さまよう胃袋《Magen Wandern》
マクデブルクを契機に、プロテスタントはグスターヴを核としてまとまり始めていた。その一方で、カトリックはいまだ大団結にいたっていなかった。マクシミリアン筆頭に、ドイツのカトリック諸侯は、スペインに隷属する結果が生み出される可能性のある、いかなる条約にも警戒感を示した。ヴァレンシュタインを帝国軍総司令から解職できたばかりなのだから、フェルディナントのために新たな武器を作ってやるのは時期尚早だろうと。
それならばティリーに充分な支援をすべきだったのだが、フランスと秘密協約を締結していたマクシミリアンは、スウェーデン軍に対するあきらかな敵対行動を採ることができなかった。
フランスとの同盟を公表しているグスターヴと、公然の秘密ではあるがあからさまにはできていないマクシミリアンとの、政治的な力量、器の差であった。
補給基地にするつもりだったマクデブルクが焼けてしまい、籠城のために備蓄されていた食料も灰になっていたため、ティリー軍は飢餓に見舞われていた。ヴァレンシュタインに補給の申請をしてみたが、もちろん、その返事はすげないものだった。
個別の兵士たちは、そもそも腹が減っていたのでマクデブルク突入の最初に押し入った先で飲み食いをし、全市が炎上する前に強奪しておいた財宝で食料を買っていたが、組織的な軍需物資の調達はまったくできていなかった。要領のよかった兵士と、間抜けだった、あるいは軍規を律儀に守って虐殺や略奪に手を染めなかった兵士とのあいだで、格差が生じていた。
目端の利く連中というのは、いざ勝ち目のない強敵が現れたらすばやく逃げ出すものだ。きちんと規律を守れる兵士、魯鈍で自分からはなにもせず命令に唯々諾々としたがう兵士というのが、将軍には必要である。しかし、間抜けを食わせるだけの手持ちがティリーにはなかった。マクシミリアンもフェルディナントも軍に資金や物資を送ることができず、ヴァレンシュタインは意図的にサボタージュしていた。ティリーが敗れれば、再び自分が帝国総司令に任命される――ヴァレンシュタインはそう確信していた。
ゲオルク・ヴィルヘルムを同盟者に引きずり込んだグスターヴはブランデンブルク選帝侯領を完全に掌握し、メックレンブルクへ攻撃の手を移した。各地の駐留帝国軍はスウェーデン軍によって追い払われ、あるいは降伏してそのままスウェーデン兵に早変わりした。メックレンブルクは、皇帝フェルディナント二世からヴァレンシュタインに与えられた新領地である。ティリーはいま一度大公ヴァレンシュタインにおうかがいを立てることにした。
「閣下のご所領を不埒な賊徒が荒らし回っております。このティリーに対処をお預けくだされば、閣下のご不興の源を絶ってご覧に入れますが」
しかし、ヴァレンシュタインはあっさりと答えた。
「大儀。だがそれにはおよばず」
――と。
ヴァレンシュタインは、自らの所領が失われようとも、そのさまを神聖ローマ帝国全体に見せつけることで、グスターヴが恐るべき侵略者であることを理解させようとした。「北方の獅子」に対抗ができるのは、ヴァレンシュタインただひとりなのだと。
ティリーは行き場を失いつつあった。北ではヴァレンシュタインに拒絶され、東のスウェーデン軍は盤石である。西方面にはさほど強力な敵はいなかったが、ヘッセン・カッセル地方伯ヴィルヘルムは、ティリーが攻めてきたらグスターヴと挟み撃ちをしてやろうと、スウェーデンとの連絡を密にしていた。なにもないマクデブルクから西へ進み、ティリーの軍は当座の糧秣をどうにかかき集めたが、ヘッセン・カッセル軍と接敵する前に引き返さざるをえなかった。
残っているのは、南である。ただしそこはザクセン選帝侯国であり、アルニム率いるライプツィヒ会議軍がいた。そして、ブランデンブルク選帝侯と違って、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルクは、まだグスターヴを盟主とする同盟には調印していなかった。帝国軍が攻め込んでいけば、態度を明確にしていないザクセンをむざむざ敵方へと追いやることになる。
マクデブルクが五月の末に陥落してから、グスターヴは六月いっぱいをかけてブランデンブルク選帝侯領を、七月、八月でメックレンブルク大公国を掌握し、広大な後背地とスウェーデン方面への退路を確立していた。スウェーデン軍が充実していくあいだ、ティリーの軍はその日暮らしで、敵軍のいない場所でこそこそと糧秣を集めるばかりだった。
八月三一日――
プロテスタント二万人以上を葬った「マクデブルクの屠殺屋」――ティリーからすれば不本意なふたつ名だが、このさい利用するしかない――の元に、ドイツ南西のカトリック地方から援軍一万四〇〇〇がやってきた。
彼らは〈回復勅令〉執行のニュースを真に受けて、ティリーを助けるために、支払いが空手形であったにもかかわらずフェルディナントの要請を受諾していた。敬虔なカトリック教徒が中心であり、宗教戦争色は否が応でも鮮明となった。
兵の数が増えれば、食料問題は深刻化する。もはや選択の余地がなくなったティリーは、ザクセン選帝侯国への進攻を決定した。兵力は三万六〇〇〇。スウェーデン軍に確実に勝てるかは分不明ながら、アルニムのライプツィヒ会議軍を破ってザクセンの西半分を奪るには充分な軍勢だった。
戦争開始以来、どっちつかずの態度を取り続けていたヨハン・ゲオルクに、とうとう決断のときがやってきた。ドイツの統一を取ってプロテスタントの合同を捨てるか、プロテスタントの合同を取ってドイツの統一を捨てるか――
ティリーからザクセン選帝侯への要求は、軍を解散するか、皇帝の権威を無視すると宣言するか、どちらかを選択せよというものだった。ヨハン・ゲオルクが軍を解散するなら、アルニムの手を離れたライプツィヒ会議軍を吸収し、グスターヴと戦う。ヨハン・ゲオルクが皇帝に対して公然と叛意を示すなら、叛逆者として討伐する。それがティリーの指し示したふたつの未来図だった。
ティリーは強気一辺倒だったが、これまで日和見を繰り返し、勝ち馬が走り出してから曲芸的に飛び乗ってくる、ヨハン・ゲオルクの外交を目のあたりにしていたため、生半な態度でこの古狐を屈服させることはできないと思ったのだろう。
案の定、ヨハン・ゲオルクは二択にしたがわなかった。帝国軍総司令のティリーにとって、敵はスウェーデン軍であると指摘し、自分は、本心では閣下と轡を並べてグスターヴと戦いたいと思っているのに、軍を解散せよという要求は、真意を計りかねる――と、人を食った返答で選択を保留した。
ヨハン・ゲオルクが回答を引き伸ばし、ティリーとグスターヴ、より好条件をつけたほうと同盟するつもりであるのは明白だったが、空きっ腹を抱えた帝国軍に待っている余裕はなかった。
九月四日――
ティリー率いる帝国軍はザクセン選帝侯国に侵入し、メルゼブルクを陥とした。略奪は必要なぶんだけで切り上げ、すぐにアルニムがいるライプツィヒへと向けて進撃を再開した。
両天秤を続けるつもりだったヨハン・ゲオルクはアルニムへ時間稼ぎを命じたが、ライプツィヒ会議軍の司令は出撃を拒否した。スウェーデンとの同盟がなければ、単独でティリーと戦うことはできないと答えたのだ。
ヨハン・ゲオルクはグスターヴの元へ使者を出し、ティリーと戦うならザクセン選帝侯国の通行権を与えると示唆してみたが、こちらの答えはより峻烈であった。グスターヴが最高指揮権を持つ同盟を締結しないのなら、ザクセンを助けはしない、自力救済されたし、というのであった。
グスターヴとしては当然の返事であった。数に差がない帝国軍とスウェーデン軍、しかも名将であるティリーとグスターヴがぶつかれば、勝ったほうもただではすまない。ヨハン・ゲオルクが、生き残ったほうへアルニム軍をけしかけることは目に見えている。
同月一一日――
ヨハン・ゲオルクは、とうとう折れてスウェーデンとの同盟に調印した。
選帝侯自ら出陣し、スウェーデン軍と合流すること。
選帝侯国内においてのスウェーデン軍の糧秣、宿営地は、ザクセンが負担すること。
個別の和平は結ばないこと。
ザクセン軍は「緊急事態」の続くかぎり、スウェーデン側の指揮にしたがうこと。
スウェーデン軍は規律を守り、ザクセン侯国内には最低限度しか滞在しないこと。
スウェーデン王は今後の作戦行動に関して、いずれを「敵」とするのか事前にザクセン側に明示すること。
――これらが主な条件であった。
先だってに結ばれた、無条件でブランデンブルク選帝侯国の掌握を認めた、ゲオルク・ヴィルヘルムとの条約と比べ、ザクセンとの条約にはスウェーデン側に制約が多い。お人好しのゲオルク・ヴィルヘルムと老獪なヨハン・ゲオルクの差であり、なによりも各都市に若干の守備隊を持っていただけのゲオルク・ヴィルヘルムと、充分な独自兵力を備えておいたヨハン・ゲオルクの差であった。
最大の点は、なにをもって「緊急事態」が終了し、ザクセン軍が独立行動をするようになるのか、条文には規定がないことであった。これによって、ヨハン・ゲオルクは自分の任意のタイミングで、グスターヴの命令を無視する権利を確保した。グスターヴは当面の補給と練度はともかく数は充分な援軍を得ることはできたが、その引き換えに、いつまであてにできるのかわからない上に、敵に回ったならば即座に致命的となる同盟者を抱えることになってしまった。
九月一四日――
ティリーはライプツィヒを守っていた要塞プライセンブルクを陥落させた。アルニム率いるライプツィヒ会議軍はティリー軍を避け、主君ヨハン・ゲオルクと合流してから、さらにグスターヴ率いるスウェーデン軍を迎えるために、北方へ迂回していた。
同月一五日――
ライプツィヒは開門し、さしあたって虐殺や放火は行われることなく、おおむね平穏に帝国軍は入城を果たした。合流したスウェーデン軍とザクセン軍は、ライプツィヒを奪い返すために南下を始めていた。
同月一六日――
ティリーはプライセンブルクとライプツィヒという二重の堅固な防備を頼りに籠城するつもりでいたが、副将のパッペンハイムは防御的な戦闘をすることに魅力を感じなかった。
ティリーとパッペンハイムの仲は、決して浅いものではない。戦争の初期、白山の戦いのとき、バイエルン軍の指揮官がティリーであり、パッペンハイムは帝国軍騎兵隊の中尉だった。そのさい、パッペンハイムは二〇ヶ所もの創傷を受けながら生き延び、全身を斬り刻まれし男、不死身の闘士として勇名を轟かせた。
その後も、ともすれば無謀な突撃で勝利をつかみ、昇進を重ねてきたパッペンハイムからすれば、もはやティリーは追い越すべき対象、隠居すべき老兵であった。
パッペンハイムは偵察に出かけ、午後遅くに敵軍を発見した。ライプツィヒには帰還せず、ティリーへこう伝令を出した。
「我敵と遭遇せり。後退は適わず。持ち場を死守する、援護請う」
――と。
ティリーは軽率な同僚の行動に頭を抱えたが、パッペンハイムを失えば騎兵隊が使えなくなる。そうなれば、仮に籠城戦でスウェーデン・ザクセン連合軍を退けても、追撃が不可能になってしまう。それは、戦う前から敗北しているに等しかった。
「この戦友は、私から名声と兵士を、陛下からは国土と人民を奪おうとしている」
パッペンハイムの無謀を罵りながらも、ティリーは全軍に出戦を命じた。




