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三十年戦争史《der Dreißigjähriger Krieg》  作者: 仁司方
第一幕 ボヘミア・プロテスタント独立戦争(1618〜1621)
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戦争勃発《Krieg bricht aus》


 ボヘミアの護民軍司令トゥルンが、無意識のうちにプロテスタント革命の本道を歩んでいたように、カトリックの側にも、自己の利益と信念に直結する途を往くがゆえに反宗教改革の正鵠を射ようとしている男がいた。


 ボヘミアの新王、フェルディナント大公である。


 一六一八年七月二〇日――


 フェルディナントはついに和平論者の筆頭である枢機卿クレースルを逮捕し、ティロル市の牢獄へ放り込んだ。皇帝マティアスの抗議を慇懃無礼に退けたフェルディナントは、手配自体は既にすんでいた叛徒討伐軍へ早速下知を飛ばした。


 軍資金はハプスブルクの巨大な双柱の一方であるスペインから提供されており、フランドル地方で徴募されて充分な調練を重ね、また装備もよく整った傭兵軍団がボヘミアへ投入された。


 その主将はブクォイ、副将はダンピエールという名の傭兵隊長であった。彼らはクレースル逮捕からわずかひと月足らずで国境を越え、トゥルン率いる護民軍の攻勢を防ぎ切った、ボヘミアで残すところふたつを数えるばかりとなったカトリック都市の片割れ、ブドヴァイスへ入城した。


 対するボヘミア軍といえば、頭数こそ揃っていたが、急ごしらえであり、調練と装備の不足は覆うべくもなかった。ブドヴァイスを下すことができなかったことで、早速その欠点は露呈されていた。


 プロテスタントたちは手をこまねいていたわけではない。フランス、イングランドなどの、遠方の大勢力から協力を取りつけることは叶わなかったものの、帝国内外の諸勢力のいくつかと協約を結ぶことには成功していた。サヴォワ大公とファルツ選帝侯が資金を出し合い、二万もの大兵力を援軍としてボヘミアへ送る算段が整いつつあった。


 その指揮官エルンスト・フォン・マンスフェルトは歴戦の将校であり、カトリックの旗の下でもプロテスタントの旗の下でも軍務の経験があった。彼自身の宗派はカトリックだったが、フランドルの訓練された軍団に対抗するには既存の軍を充てるほかなく、支払いの分の仕事はきちんとする男と評判であり、実績も申し分なかったため、マンスフェルトは適任者と目されたのである。


 八月三〇日――


 討伐軍の第二陣が二日前にウィーンを進発したとの報を受け、ボヘミア・プロテスタント臨時政府は自力のみでの抗戦はかなわずと判断し、援軍の受諾を承知するにいたった。


 二波にわかれていた帝国軍は九月九日に合同を果たし、侵攻を開始した。マンスフェルトが到着するまでプラハを守るべく、プロテスタント軍司令トゥルンは護民軍を率いてブドヴァイスを発した討伐軍との交戦に臨んだ。


 地の利を得ているとはいえ、平地での堂々たる会戦では、寄せ集めにすぎない護民軍に到底勝ち目はない。トゥルンは、森林と沼沢の合間を縫う隘路に兵を伏せ、些細な村落の石垣であっても防塁に利用して、練度に勝る敵を一挙に引き受けてしまうことがないよう、遅滞戦術を採った。オスマン朝トルコとの戦いをいくどか経験しているトゥルンは、意気あがる大軍の勢いを削ぐ手法を心得ていた。


 帝国側の討伐軍は出陣後ひと月半をかけて、なおプラハに迫ることができなかった。その間にマンスフェルトは西からボヘミアへ進入し、帝国軍の側面を脅かす位置を占めた。不利を察した帝国軍はブドヴァイスへ後退したが、マンスフェルトは敵軍のほうへは向かわず、ボヘミア内に残るカトリックのもうひとつの堡塁、ピルゼンを攻囲した。ピルゼンはブドヴァイスの西に位置しており、マンスフェルトは最少限の動きでカトリックへ効率よく打撃を加える好手を示したのである。


 初冬もすぎた一一月二一日に、ピルゼンへの一斉攻撃が決行された。


 火砲が轟音とともに弾丸を吐き、ひび割れを生じた城壁の一角を目指して兵が殺到する。城壁の上から侵入者の頭へ銃火をくれようとする守備隊を、攻城側の援護の斉射がなぎ倒し、あるいは壁の陰へ縮こまらせる。


 ピルゼンはボヘミア全土でも有数の豊かな都市であり、その防備はブドヴァイスに優るが、トゥルン率いる寄せ集めとは練度の違うマンスフェルトの傭兵軍団は、ヘラジカを襲う餓狼の群れのごとく、緻密で執拗な攻撃でもってピルゼンの守備陣を崩壊させた。


 一五時間におよんだ果敢だが無益な抗戦ののち、ピルゼンは陥落した。カトリック教徒たちにとって恐怖の時間の始まりであった。マンスフェルトは麾下に掠奪の許可を出し、自らはカトリック教会と富商の館へ押し入って「軍税」を取り立てた。


 勝利に湧いた兵らは市中へなだれ込み、樽へ手斧を叩き込んで溢れ出す酒の流れに直接口をつけてすすり、価値のありそうなものはり上げ、地味だったり質素なものは打ち壊した。夫や父親を殴り倒して妻や娘をひっ攫い、抵抗を止めない相手は容赦なく斬り殺した。


 マンスフェルトはこの街を宿営地にするつもりであったので、火災の生じぬように厳重な管理が行われたものの、住民たちにとってはさほど慰みにはならなかった。戦闘が収まったと見て荒れ果てた我が家に戻ってみれば、柄の悪い傭兵が居着いており、彼らの寝食の面倒を無償でみなければならなくなっていたので。


 ボヘミアに残るカトリック都市はブドヴァイスひとつとなり、革命の第一年はプロテスタントの勝利で終わった。トゥルンは防衛に飽き足らずオーストリア領内にまで侵入し、国境周辺を劫掠して回った。


 しかしプロテスタントたちは一枚岩ではなかった。カトリックも一致結束した勢力ではなかったが、分母の大きさが問題であった。危機と恐怖が一度は分断された諸派に手を取らせたが、皮肉なことに、鮮やかすぎた勝利が連合に水を差そうとしていたのである。



「まさかこの期におよんで『中立』などという寝言を聞かされるとは……」


 ローテンブルクにおけるプロテスタント同盟ウニオンの会合が実りなきまま終わり、ファルツ選帝侯フリードリヒは失望の声を漏らしていた。マンスフェルトがピルゼンをとし、トゥルンがオーストリア辺境を蹂躙している、正にプロテスタントが勝利の凱歌をあげている中で行われた同盟の会議であったが、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルクを始めととするプロテスタント諸侯は「同盟軍」への出資を否決し、皇帝と叛徒との和平を仲介する旨の覚書を採択して、ボヘミア叛乱への加担を拒絶したのであった。


「ザクセン侯は頑迷なルター主義者です。フリードリヒさまがカルヴァン式の教育を受けられたというだけで、気に入らぬのですよ」


 若き主君へそう説いたのは、教育係兼腹心のアンハルトであった。ボヘミアのトゥルンへプロテスタント革命の絵図を吹き込んだ男でもある。


 選帝侯国の官房長でもあるクリスティアン・フォン・アンハルトは、自らが領有権を持つ小国アンハルト・ベルンブルクを捨ててまでファルツでの官職を選んだほどの意欲的な政治家であった。


 外交に長け、若君フリードリヒのためにイングランド王女エリザベスを妃として獲得――フリードリヒ自身の魅力も大きかったが――しており、プロテスタント同盟もアンハルトの紡ぎ出した構造物のひとつであった。もっとも、侯妃エリーザベト(いまや彼女はドイツ君侯のひとりの妻である)とフリードリヒは仲睦まじかったものの、プロテスタント同盟の関係は蜜月からほど遠かったが。


 フリードリヒはこの年二二歳を迎えていた。貴族らしいおおらかさを持った、陰湿さのない人物であったが、激動の時代を漕ぎ渡るには君主としての経験の浅いこと否めず、また、アンハルトへ全幅の信頼を寄せていた。ファルツ侯は見映えのよい腹話術人形であり、人形遣いはアンハルトだということは、少なからぬ者が知っている。


 良心的ではあったが、それだけに政治的駆け引きに疎いフリードリヒは、腹心へ向けてぼやいた。


「なぜドイツのプロテスタントはだれもボヘミアを救おうとしないのだ。武器を置いての和平ではプロテスタントの権利は守られない。実際に戦うまではいたる必要もないのだ。皇帝に、われわれプロテスタントの覚悟が伝わればそれでいい」


 若さと理想主義に満ちている主上へ、老獪とまでは行かずとも充分に練熟していたアンハルトは、諸侯の腰が重い理由を説明した。


「彼らは、自分たちの支出が、プロテスタント同盟軍にではなく、ボヘミア・カルヴァン主義者のものになってしまうのではないかと警戒しているのです。ボヘミアの叛徒は多くがルター主義者ですから。ザクセン侯あたりは、皇帝とボヘミア叛徒のあいだを取り持つことで帝国内での自分の影響力を高めたいと思っていることでしょう」

「いまボヘミアの王冠を戴いているのは、カトリックのフェルディナント大公ではないか。ザクセン侯はカルヴァン主義者よりイエズス会士(ジェスイット)のほうがましだとでも……いや、なぜそもそもルター主義者たちの叛乱を援護するための軍が、ボヘミア・カルヴァン主義軍となることを警戒するのだ? 私が発起人になるという、それだけで?」

「端的に申しあげれば、それだけです。みな、あなたがファルツ選帝侯とボヘミア王を兼務し、選帝侯会議において二票を行使して帝位へ登ることを警戒している」

「……無茶苦茶だ」

「そうでもありません。いえ、あなたが帝位を望んでいるというのは勘ぐりもいいところでしょうが、ボヘミア王たりうる資格は充分にお持ちなのです」


 なにごとにつけても裏読みをしたがるのが人の性であると説かれ、生臭い野心とは縁遠いフリードリヒは考え深げな表情になった。


「私はボヘミアの王位も、まして帝冠など望んだ憶えはないが、しかし、選帝侯のだれかがボヘミア王となれば、それは帝位にかぎりなく近づいたことと同義なのは確かだろう。根拠のない疑いというわけではなくなる。だれか、プロテスタントのうちで中立的な立場の者をボヘミア王に推戴せねばなるまいな」

「いえ、ボヘミア王にはあなたがなるべきです」

「なにをいう。重要なのはボヘミアに住むプロテスタントの自由だ。諸侯の権勢争いではない」

「ご立派です、フリードリヒさま。ですが、あなたがそう仰られても余人は信じようとしない。ならばせめて、確実にプロテスタントを保護できる手だてを講じなければなりません」


 ようやく、最初に疑問視すべきところにフリードリヒは気づいた。帝国内のプロテスタント諸侯が敬遠するボヘミア情勢への介入に、なぜ、スイスを隔てた遠国サヴォワの大公が乗ってきたのか。対岸からゆっくり見物できるから泰然自若としていられる、というには、観戦料が高すぎる。サヴォワ大公とマンスフェルトは以前からの知己であるといっても、戦費に割引が利くわけではなかった。


 サヴォワ公国はスペイン・オーストリアをつなぐ街道を押さえることのできる位置にあり、サヴォワ大公との連合は反ハプスブルクにとって重大である。だが、それであるがゆえに、大公は同盟に参加するだけで恩を売れる立場にいるのであって、軍資金まで出してくるとは気前がよすぎるというものだ。


「アンハルトよ、サヴォワ大公にはなにを約束したのだ……?」

「わが主君フリードリヒさまが選帝侯会議において二票を行使できる立場となったならば、サヴォワ大公が皇帝選挙ご出馬のおりには二票ことごとくを投じる、と」


 さすがに隠し立てし切れぬと思ったのか、アンハルトはすんなり裏工作の存在を認めた。フリードリヒが呆然としているうちに、さらにたたみかける。


「サヴォワ大公の野心は身にすぎたものです。彼が絵に描いた帝冠を夢見る分には害はありません。実際に分不相応な位を手に入れようとするなら、むしろ好都合です。約定にしたがってファルツ選帝侯とボヘミア王の票がサヴォワ大公に投じられようと、残りの五票は決して彼には流れない。一片の虚偽もなく、大公の野望を叶えぬまま約束を果たせることになる」


 アンハルトはさらに、フリードリヒの叔父にあたるネーデルラントのプロテスタント指導者オラニエン公マウリッツ、侯妃エリーザベトの実家イングランド、北方のデンマーク、スウェーデンにも連合を働きかけているといって、話の壮大さで若き主君を煙に巻いた。


 口に出している当人は、彼の大がかりで壮麗な計画に、一切疑問を持っていなかった。対カトリック・ハプスブルク包囲網が築かれるのは時代の必然であり、雄大な絵図はキャンバスとペンとインクさえ用意すれば、あとは自然に完成されると信じていた。


 ある意味でそれは正しかった。ただしアンハルトが期待する物事が動くのは遅く、望まない出来事は性急に生じた。ボヘミアのトゥルンとは異なり、アンハルトは教義と教義のぶつかり合いではなく、国際政治の力学として時代を読んでいた。


 アンハルトのほうがやや視野が広くはあったが、彼とトゥルンはどちらも正しく、しかし間違っていた。


 そして、アンハルトが想定していたキャンバスは諸侯の勢力図であり、ペンは文字通り外交文書をつづる羽根ペンであり、インクは資金であったが、実際に必要とされたキャンバスは帝国全土であり、ペンは剣であり、インクは膨大な量の流血であった。


 アンハルトの陰謀を半ば見切っていたザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルクは、カトリック側の領袖バイエルン大公マクシミリアンとともに和平のため尽力し、一六一九年四月に開かれることとなった帝国会議にボヘミア叛徒の代表を出席させるようねじ込むことに成功していた。


 和平協議が進めば、アンハルトとサヴォワ大公の野心は空振りに終わり、トゥルンはふて腐れて護民軍を解散し、マンスフェルトは傭兵軍団を抱えたまま新たな戦争を求めてヨーロッパをさまよい、面倒を押しつけられて苦虫を噛み潰した顔になったシュリック伯が、忌々しげな表情のフェルディナント大公と妥協のための会談に臨むことになったかもしれない。


 だが――


 翌一八一九年三月二〇日、皇帝マティアスの崩御によって、最初にして最大の和平の機会は失われた。

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