窓外投擲《Fenstersturz》
一六一八年五月二三日——
下卑た面が並んでいた。ある者は激昂していたが、ある者はことの顛末を予感しているらしく、嘲弄を浮かべていた。品のない顔ばかりとはいえ、彼らは貴族であった。だが貴族とは名ばかりで、その地位の裏づけは、土地を保有していること、にすぎない。黴のはえた封建制度だ!
にもかかわらず彼らは議会を開き、物事を投票で決するのだった。まったく、正教徒にとって古来ボヘミアは難治の邑であり続けている。
フラドシン宮殿はすっかりプロテスタントに包囲されており、彼らは中庭にも充満していた。皇帝が臨御していれば事態は収拾できたかもしれない。もはや死を待たれるばかりの、存在感の薄れ切った老帝とはいえ、一度はプロテスタント派に望まれて担ぎ出されたのだから。
しかし、皇帝マティアスは既に帝都ウィーンへ去っていた。当事者となるべき国王フェルディナントすらウィーンに腰を据え、このプラハへやってくる気配はなかった。そして、よしんばこの場を治めたとて、やはり一時しのぎにしかならぬのだろう。沸き立った鍋は、火を止めぬままに蓋だけを外して熱気を逃がしても、いずれは噴きこぼれる。
即席の議場に仕立てられた、謁見の間と隣接する小房をぶち抜いた大部屋で、トゥルン伯ハインリヒが声高らかにプロテスタント臨時政府の樹立を唱えて、無責任な喝采の嵐をさらっていた。トゥルン伯はさらに、〈国王勅書〉に反した廉で、五名の統治委員のうち二名、大審院長ヴィルヘルム・スラヴァータと、カールシュタイン城代ヤロスラフ・マルティニッツの死刑を要求していた。
さすがに、政府要人の処刑という蛮行には、当のプロテスタント側からも反対の声があがっていた。ルター派の重鎮と目されるシュリック伯アンドレアスがその筆頭であったが、その穏やかな物いいは、プロテスタント各派代表たちの囂々たる叫びにほとんどかき消されていた。
死刑を上程されている統治委員のふたりは、部屋の隅、会議用の方卓と壁のあいだに挟まれ、身動きの取れない状態に追い込まれていた。スラヴァータとマルティニッツは、眼前の茶番劇が文字通りのものであり、既に決定ずみの台本が読み上げられているだけのことであるのを承知していた。議場にカトリックは彼らしかいない。
宮殿に居合わせていたあとふたりの統治委員、シュテルンベルクとロープコヴィッツは議場から逃れ出ていた。ウィーンの帝国政府へ急を知らせる早馬が出立したのは前夜のことだ。カトリック側の動きはやや遅かった。いや、プロテスタントたちが激発するのが早かったというべきか。
統治委員を総員カトリックで固めたのは、皇帝マティアスと、皇帝からボヘミア王位を受け継いだフェルディナント大公の犯したあきらかな失策だった。トゥルンのような過激派は問題外だが、シュリックあたりの穏健派を混ぜて、プロテスタントへの目くらましとしておくべきだったのだ。現に、シュリックは過日行われたボヘミア王の選挙で、フェルディナントへ率先して投票していたのだから。
トゥルンが金科玉条として掲げている〈国王勅書〉は、元々は虚弱な先帝ルドルフが、ボヘミア王としてプロテスタントへ与えた特許状であった。そのあとを襲ったマティアスは、ボヘミア王位へはプロテスタントの背に担われて登ったこともあり、〈国王勅書〉を破棄することはできなかった。
新王フェルディナントは、些細な叛乱を起こさせ、それを口実として一気にプロテスタントから特権を剥ぎ取る心づもりであり、それまでの時間稼ぎとして〈国王勅書〉を引き続き認可していた。国王の考えを、統治委員であるふたりは承知している。
だが、正教徒が圧倒的な勝利をつかむ機会を招くための生贄に、自分たちが捧げられるとなれば話はべつだ!
「さて、統治委員のおふた方に、なにか申し開きがあるならうかがっておこうかな?」
それまでは会衆のほうを向いていたトゥルンが、スラヴァータとマルティニッツのほうへと振り返った。安っぽい煽動演説を終え、紅潮した顔に満足げな表情を浮かべている。
「われわれ統治委員には、諸君ら等族会議の採決に対する拒否権があ——」
スラヴァータの反論は、たちまち怒号によって押し潰された。背後にひかえる会衆の威力を充分に楽しんでから、トゥルンは満面の笑みとともにこういった。
「勘違いは困る。この決定は等族会議のものではない。ボヘミア・プロテスタント臨時政府のものだ。あなたがたの拒否権はおよばない」
「ボヘミア国王フェルディナント大公、および神聖ローマ帝国皇帝マティアス陛下より、この地の統治を委任されているわれわれには、臨時政府とやらの成立そのものを無効とする権限がある!」
残された誇りを燃え上がらせ、スラヴァータは方卓に拳を叩きつけて叫んだ。とても敗北の運命を定められた者とは思えない落ち着きと勢いに満ちた一喝であり、議場を埋めつくしていた叛徒たちを半瞬黙り込ませるだけの威厳と迫力があったが、
「違う!」
これを期していたとしか思えぬ、芝居ががった大仰な動作とともに、トゥルンは再び会衆のほうへ向き直りながら高らかに吼えた。
「このプロテスタント臨時政府は等族会議によって成立したのではない。見よ!」
弁舌を振るいつつ窓際へ進んでいき、トゥルンがそれを開け放つや、自由を叫ぶ群衆の声が議場へ流れ込んできた。
「プラハ全市、いや、ボヘミア全土の、全プロテスタントが要求することによって、新政府は誕生したのだ! まさか、この声が聴こえないとはいわせないぞ?」
スラヴァータは唇を噛んだ。トゥルンが、統治委員の―ひいては国王と皇帝の権威を踏みにじる準備だけは、周到にしていたと認めざるをえなかった。叛乱そのものは完全に違法だが、そこにいたるまでの道は〈国王勅書〉によって確かに根拠を与えられているものなのだ。つまり、皇帝と国王の代理人である統治委員が殺されるまで、強行な「請願運動」が実際の「叛乱」となるまで、プロテスタント側は大義を持ったままでいられる。
死ななければならない——
スラヴァータの表情を観念とみて、トゥルンは会衆の最前列へ目配せした。屈強な男たちが重厚な方卓を脇へどかし、統治委員のふたりを両脇から羽交い締めにして、窓際のほうへと引きずっていく。
「おふた方もご存知のことと思うが、この邑では高貴な囚人に対して、斬首や磔刑などという野蛮な方策は取らない。その窓からなら、民衆らもよく見えるだろう」
窓から地上までは、二八エルレ(一六メートル)ほどの高さがある。群衆の歓声と怒号の飛び交う中、蝶番をはずされて窓枠ごと取り払われ、単なる四角い孔となった空間から、プロテスタントの渦中に残されたカトリックの代表者二名は宙へと吊るされた。
突然、ここまで顔を強張らせるばかりで、従容として運命を受け入れるのかと思われていたマルティニッツが、大声でわめき始めた。
「いやだ、いやだ! 主イエスよ、聖母マリアよ、お助けを!」
叫びとも祈りともつかないその悲鳴は、主のほかに救い手の存在を認めない厳格なプロテスタントたちからすればお笑いであり、
「おまえのマリアが助けてくれるのを、見たいものだな」
そのあざけりとともに、マルティニッツの襟首をつかんでいた男は手を放した。
さらにスラヴァータも放り出されたが、そのときには議場でつぎなる騒動が持ち上がっていた。統治委員付の書記が、シュリック伯の足元に慈悲を求めてひざまずいていたのだが、狂躁状態の議員たちは、ひかえめに抗議する伯を無視して書記にも手をかけていた。
スラヴァータとマルティニッツに比べれば取るに足りない、ただ職務としてカトリック政府に仕えていただけの哀れな男は、断末魔の叫びをあげることもできないまま宙を泳いだ。
「奇跡だ! マリアさまが助けてくれた!」
けしからぬ大声に叛徒たちが窓から身を乗り出すと、階下の張り出した廂の上に、既に起き上がっているマルティニッツと書記の姿が見えた。スラヴァータは幸運な二名の遥か下、宮殿の壕まで転落していたが、息があるらしく、身動きしていた。
新たに窓が開かれ、梯子が下ろされた。ひそかに小部屋のひとつに身を寄せ合っていた少数派のカトリックたちが、マルティニッツを救わんと危険を押して行動を起こしたのだ。
宮殿の外側、地上からことの成り行きを見守っていた群衆がマスケット銃を撃ち放ったが、狙いを定めたものではなく、威嚇以上ではなかった。角度をつけて撃とうものなら、先込めの滑空銃身という精度の望めない弾丸は、議場の窓から身を乗り出しているプロテスタントの議員たちのほうにあたりかねない。
マルティニッツと書記が梯子を伝わって避難したあとに、スラヴァータの召使いが主人を助けようと地上へ降りてきた。
おりしも、マスケットの弾幕は尽きていたが、装填をすませた銃があったとしても、壕に堆積した汚物によって衝撃を吸収され、なんとか一命を取り留めたスラヴァータへ進んでとどめを刺そうという者がいたかは分不明なところであった。糞まみれの主人を助け起こそうとする忠実な従僕の姿を、民衆は壕を隔ててただ見るだけだ。
結果はどうあれ、刑は執行されたのであり、絞首刑の縄が切れたり、処刑人が刎首をし損ねて剣を折ってしまった場合と同じく、生命長らえた罪人たちへそれ以上の追求を望むのは、神の意思に沿わぬことと思われたのだ。
死は下されなかったにしても、カトリック政府は倒された。それは同時に神聖ローマ帝国への謀叛であり、ハプスブルク家支配への挑戦であった。
だが、帝国の一地方の叛乱が、キリスト教世界全土を巻き込んで三〇年も続く戦争の引き金となろうとは、この時点で予期している者は地上のどこにもいなかった。