chapter2 戦闘開始2秒で絶望
猛烈な咆哮と地鳴りのような足音を響かせながら、通路の遥か彼方から、ほとんど通路の天井スレスレの位置に頭……というか短い角が付きそうな、身の丈3メートル近い牛の怪物が、バカでかい斧を持って直立二本足で向かってきた。
「手足は人間というか毛むくじゃらなゴリラみたいな感じだな。とりあえず謎の『牛ウーマン』とでも呼ぶべきかね?」
「謎でも何でもなくて、私でも知ってるわよ。あれってミノタウロスでしょう!?」
巨大かつ怪異なその姿――あ、巨大ってほどでもないか。仮に牛が後ろ足で立ち上がったら、あのくらいのスケールになる――を目撃した瞬間、踵を返してスタコラサッサと逃げ出した瀬尾さん。
それと並走して走りながら俺が提案したネーミングに、瀬尾さんから即座に反論がくる。
だが――
「ミノタウロスかぁ、あれ? 白黒斑模様で、俺には二足歩行のホルスタインに見えるんだけど???」
そうなのだ。創作や漫画の中で描かれる半人半牛って、大抵は茶色い毛の、野生牛をモチーフにした外見が常なんだけど、いま俺たちを追いかけてくるのは、どう見ても品種改良された乳牛の毛並みなのである。
俺としては、お前のようなミノタウロスがいるか!? と、ツッコミ満載な怪物で、アレをミノタウロス扱いするのは抵抗があった。
「おまけにでっかいオッパイぶら下げて、走るたびに乳が揺れまくって大迫力だわ」
もしかして、アレが俺たちを血眼で追って来るのって、さっき瀬尾さんが巨乳の怨みつらみを言いまくったため、それを耳にして頭に来てるんじゃないのか?
「あたしに対する当てつけかーーっ! この世界って、本当に、とことん気に食わないわーーっ!!」
途端、怒りの咆哮とともにギアを入れ替えたらしい瀬尾さんが、あっという間に俺を追い抜いて、どんどんと距離を離していく。
うおっ、さすがは陸上部のアイドルにしてホープ。俺だって100メートル13秒台で走れるっていうのに、まったく追い付けない……代わりに、追いかけてくる牛の荒い鼻息の方が、どんどんと近づいてくるのを感じる。
なお、最初に視界に入った瞬間にこの牛を『鑑定』をしてみたのだが、結果は惨憺たるものだった。
・NAME:斬首牛
・JOB:《穢穴》中層のボス
・Lv35
・HP:????
・MP:???
・筋力:???
・知力:10
・敏捷:22
・スキル:『痛覚無効』『猪突猛進』『威圧の咆哮』『常時空腹』
どうもある程度レベル差があると鑑定できないようだ。
それでもHPが四桁という、圧倒的な差があるのは理解した。おまけに『痛覚無効』とか、最悪じゃん。ちびちび削ることすら困難だ。なにしろ相手は死ぬまで元気一杯なんだから。
あとついでに牛が持っている大斧も鑑定してみたんだけど――
・銘:《穢穴》の戦斧
・属性:無
・物理攻撃力:55
・物理防御力:50
・魔法攻撃力:0
・魔法防御力:0
・スキル:『防錆』『自動修復(小)』
理不尽な結果に終わった。
ちなみに俺がいま手に持っている錆びた剣は、
・銘:無
・属性:無
・物理攻撃力:16(4)
・物理防御力:18(6)+2
・魔法攻撃力:0
・魔法防御力:0
・スキル:『硬化(微増)』
スキルがあるだけまだマシかな~~? というナマクラだった。
ともかくも、こんなんで牛の斧の一撃を受け止められるわけはない。そうなれば三十六計逃げるにしかずだ。
「つーか、牛歩って言うんじゃなかったのか?! だんだん追い付かれてきているぞ、おい!」
牛って足が遅い代名詞なのに、早くないですか、微妙に?
いや、野生のヌーとかライオンと追いかけっこしている段階で早いのは知ってるけど、ホルスタインって無茶苦茶足遅かったよな。おまけに四つ足ではなくて、二本足なんだから体重が重い(推定1トン)分、なおさら遅くなると思うんだけど、ここらへんがレベルの違いなんですかねぇ!?
マズいな。どっかに牛が入れないような横穴でもないか? と思いながら、とっくに影も形もなくなった瀬尾さんの行った先に目を凝らしてたところへ――。
「ひゃあああああああああああああああああああああああああ!?!」
なぜか後方――牛のさらに後ろから、俺を見捨てて逃げたはずの瀬尾さんの悲鳴が木霊してきた。
「――ぶも?」
牛も怪訝に思ったのか、歩みを緩めて顔だけ後ろを振り返れば、
「なんでええええええええ!? なんでこっちにも牛がいるわけ?!」
疾風のような勢いで走ってきた瀬尾さんが目を白黒させて、慌ててブレーキをかけるも、後方から追いかけられていたのを逃げてきた……という先入観から、非常に中途半端な位置に立ち止まる羽目になってしまった。
「ぶもおおおおおおおおおおおっ!!」
ちょうどいい! とばかり完全に振り返った牛が、振り返った勢いを利用して、大斧を瀬尾さん目掛けて袈裟懸けに振り下ろす。
――あ、死んだ。
姿勢を崩しかけた瀬尾さんの位置では避けようがない。万一避けたとしても、掠っただけでもいまの俺たちでは致命傷である。
次の瞬間起きるであろう惨劇を予想して、俺が覚悟を決めた――その瞬間、
「こんなこれ見よがしに、乳をほっぽり出した化け物に殺されてたまるもんかーーーーっ!!!」
魂の慟哭とともに瀬尾さんの体が一瞬ブレたかと思うと、まるでコマ送りのように牛の大斧と巨体を、走り高跳びの要領で跳び越えて着地していた。
「はああああああああああ?!」
「ぶもおおおおおおおおお??」
まるで途中経過をパスしたかのようなその動きに、目が追い付けずに驚愕の声を張り上げる俺と牛。
瀬尾さんは跳び越えてその勢いのまま、俺のいる位置まで退避してきた。
「び、びっくりした~~~っ! って、なんで上北君が先にいるのよ!?」
荒い息を吐く瀬尾さんのステータスを鑑定すると、MPが14から8へと、半分近くがごっそりと消費されている。
もしかしていまのが『速度増幅』『空間把握』『危機察知』スキルの恩恵か? とはいえ検証している暇はなさそうだ。
「逆だよ逆。そっちがぐるりと一回りして追い付いてきたんだと思う」
直線に思えたけれど、ぐるっと一周できる回廊だったらしい。瀬尾さんのタイムを100メートル13秒ジャストとして、だいたい五分くらいで戻ってきたので、単純計算で4~5kmの袋小路ということだ。
俺の推測にショックを受けた様子の瀬尾さん。
「ええええええっ!? 横道とか階段とかぜんぜんない一本道だったわよ!」
「つまり逃げ場がない、と」
まあこの薄暗さなので、見落とした可能性もあるけれど、処刑用に送られたのを考えると逃げ場がないとしたほうが自然だろうな。
「どうあってもアレを倒さないと駄目か……」
困惑から立ち直り、のっしのっしと近づいてくる牛を見据えながら、俺は戦う覚悟を決めるのだった。
・斬首牛…‥巨乳を神格化しているこの世界の古代、胸が残念なとある国の王女が、禁断の魔術を使って巨乳になろうとしたが、不完全な術で人とも牛ともつかく怪物になった。そのため、父である王がとある迷宮に閉じ込めたという逸話がある魔物。迷宮での中ボスでは割とポピュラー。
ドロップ品『魔牛の皮』(ノーマル)『魔牛の角』(ノーマル)『魔牛の乳』(ノーマル)『魔牛の斧』(レア)