第二章 『選ばれた血』④
面接から一週間後の六月二十六日。俺は、駅近くの公共施設を再び訪れた。もちろん、新薬被験者募集の結果を聞くためだ。
前回同様、受付の女に事情を説明すると、俺はすぐに一階の奥にある来客室へと案内された。「場所さえ教えてもらえば分かる」そう伝えたのだが、何故だか女も一緒についてきた。
来客室は、税金で運営している公共施設だとは思えない豪華さだった。大理石のテーブルに革張りのソファーが置いてある。
女に促され、俺はソファーに座った。普段アスファルトの地面が椅子代わりの俺にとっては、尻の位置を決めるのにすら困るほどの上等なソファーだ。
そわそわとして落ち着かない俺に、女は、
「こちらで少々お待ちくださいませ。間もなく担当の者が参ります」
と告げると、不必要なまでに丁寧に頭を下げてから部屋を出て行った。
「何なんだ、いったい……」
「誰か要人と間違えられたのではないか?」そう思い周囲にきょろきょろ目をやっていると、一分も経たずしてスーツにネクタイ姿の五十代だと思われる男が室内に入ってきた。
「ようこそ。お待ちしておりました」
この男も、受付の女と同じく俺に向かって丁寧に頭を下げた。まったく、これではどちらがアルバイト希望者なのか分からない。
下にも置かない応対をされ、戸惑いを隠せずにいる俺に、男は続けて口を開いた。
「おめでとうございます。この度の募集において、貴方様の採用が正式に決定しました」
「採用? ということは……」
「そうです。新薬被験者として選ばれたということです。これから貴方様には、東京へと向かっていただきます」
「……東京、ですか?」
「はい。そちらに私どもの新薬研究施設があるのです。そのため、本日より五日間は、施設で生活していただくことになります」
「それは、つまり、今すぐ東京に行け、ということですか?」
「できればそうしていただきたいのですが、何分急な話ですので、準備に一時間程度ならば取ることができます。どうなさいますか?」
俺の問いに、男はそう尋ね返してきた。少なくとも一時間後には東京に向けて出発。そうなることは、どうやら決定事項らしい。
僅か一時間で準備をして、ここから遠く離れた東京へ行く。常識で考えれば、こんな無茶な話はない。
だが、五日間で百万円の仕事なのだから、多少の理不尽さは止むを得ないだろう。それに、素より俺は宿無しの身なのだから、準備するものなどないのも事実だ。ゆえに、このまま東京へと出発しても何ら困らない。
返答は決まっていた。
「いえ、構いません。今からすぐに行きます」
「そうですか、ありがとうございます。……それでは」
ここで男は、懐から封筒を取り出すと、それをそっとテーブルの上に置いた。
「これは?」
「こちらには、東京までの旅券、それと、道中で軽食などを取っていただくための現金が入っております。お使いになった際の領収書は特に必要ありませんので、もし余剰金が発生した場合には、そのままお納めください」
「それは、どうも」
平静を装い、俺は封筒を受け取った。
しかし、これは明らかにおかしかった。もし、俺が東京には行かずに、これを握ったままとんずらしたらどうするのだろうか? 「五日後には百万が手に入るのだから、逃げるわけがなかろう」と、高を括っているのだろうか?
そこで、
「何だか、申し訳ないです。何から何まで準備してもらって」
そう俺が礼という名の探りを入れてみると、男は、
「何を仰っているのですか。貴方様は世界を救う可能性を持った人物なのですから、これくらいは当然の権利ですよ」
と、別段裏がありそうな様子もなく笑って答えた。
「俺が、世界を救う?」
「はい。貴方様が被験者となっていただくことで、全世界、約七十億人の命が救われるかも知れないのです」
俺の問いに男は、自分の言葉を噛みしめるように大きく頷いて見せた。
確かに、治験がそういった目的のために行われていることは理解できる。だが、そこまで言ってしまうのは、いささか誇張しすぎではないだろうか?
まぁ、とはいえ、そう考えはしながらも、今さら引き返すことなどできようはずもない。
俺は、
「頑張ります」
とだけ答えておいた。
今にして思えば、この時の俺は、期待されている自分の姿を“ヤジカマン”と重ね合わせ、そんな安易な返答をしていたのかも知れない。
男の言っていることは、“誇張でも何でもないのだ”ということに気づきもせずに……。
電車と地下鉄を乗り継ぎ、最寄りの空港から一路羽田空港へ。
羽田で俺を出迎えたのは、高そうなスーツに身を包んだ二人の男たちだった。
男たちの態度も公共施設にいた受付の女や担当の男と同様、とても丁寧だった。
その後、俺は、空港玄関前に停められていた高級車に乗せられ、新薬研究施設へと運ばれたのだった。
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次回更新は、7月4日(水)を予定しています。




