3.結婚
三日後の式まで、オパールは公爵と顔を合せることさえなかった。
この縁組は社交界に大激震を巻き起こしたが、噂ではオパールが年若い公爵を誑かし、すでに妊娠しているとか、公爵は広大な領地を維持するために苦労しているらしく、やはり資産が必要なのだろうなどと、様々な憶測を呼んだ。
年若い公爵といっても、オパールよりヒューバートは七歳も年上なのだ。
オパールがもうすぐ十九歳になるとはいえ、二十六歳の男性をどうやって誑かすというのだろうと、オパールは侍女から聞かされた噂にくすくす笑った。
しかし、広大な領地を維持するためというのは、あながち間違いではない。
どうやら公爵は借金のことは上手く隠しているらしい。
やはりどんな理由で決められた結婚でも、式に臨むオパールは緊張に震えていた。
ヒューバートはいったいどのような気持ちでこの結婚を受け入れたのだろう。
オパールの持参金で借金は全て返済できるらしく、また父から結婚祝いとして多額の現金を贈られたので、自分が――公爵家が救われたことに感謝しているのだろうか。
オパールの評判のせいで気乗りはしていないようだ。
実際、花も何も結婚前の贈り物としてなかったのだから、おそらく間違いない。
それでも初夜を迎えればオパールの汚名は雪がれると侍女の一人が言っていたのだから、大丈夫かもしれない。
きっと優しい人のはずだ。
ただ気になるのは、昨日父親から告げられた言葉。
『マクラウドは愛人を囲っているらしいが、妻たるもの、愛人の一人や二人は大目にみることだ』
最初はショックを受けたオパールだったが、この三年間で色々と知りたくもないことを不埒な男たちから聞かされていたために、どうにか冷静に考えることができた。
独身男性なら仕方ないことなのだろう。
だが彼は、結婚しても愛人を囲うのだろうか。
それは妻として自分が劣っていると判断された時かもしれない。
考えれば考えるほど、オパールはこの結婚が怖くなったが、教会の音楽は鳴り始め、花嫁の入場を促したことによって、もう逃げられないと覚悟を決めた。
隣を歩く父親の顔は楽しげだ。
オパールは隣の父親から正面へと視線を移した。
祭壇の前で待つ新郎は背を向けたまま、振り返ろうともしない。
その姿がこれから始まる結婚生活を不安にさせたが、オパールは気力を振り絞り、足を前へと進めた。
ようやく新郎の隣に立った時には軽く息が切れ、指先はすっかり冷たくなっていた。
そんなオパールに新郎は視線を向けようともしない。
その異様な光景に、参列席がかすかにざわつく。
新郎であるヒューバートたっての希望でかなり質素な式であり、列席者はお互いの親戚が数名だけ。
オパールもヒューバートも友人は一人として招待していなかった。
そのまま二人で誓いの言葉を述べ、宣誓書にサインをして式は終了した。
本来ならその後は祝いの席――披露宴が設けられるものだが、それさえもなく参列者たちは不満を漏らしながら帰っていく。
いくら親戚とはいえ、この奇妙な結婚式はまた噂になるのだろう。
「あの――」
「祝う気分ではないのだから、祝いの席など必要ないだろう?」
この後どうするのかと訊きたかったオパールの言葉は、冷たい声に遮られてしまった。
しかも今日初めて――正確には三年ぶりに聞いたヒューバートの声が今の言葉なのだ。
がっかりしたオパールは何も言わずに引き下がった。
それから公爵家の馬車に乗せられる。
祖母が遺してくれた家へと運ばれるはずだった荷物は、もうすでに王都の公爵家に運ばれていた。
どうやらシーズン以外も公爵は領地へ戻ることなく、ここ何年も王都で過ごしているらしい。
馬車に乗ったオパールは最近張り替えたばかりらしい座席のビロード地をそっと撫でた。
すると、向かいに座ったヒューバートが馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「自分の金がどのように使われたか知って、満足したか?」
「私の、お金?」
「あなたの持参金でその座面は張り替えた。他にも屋敷のいくつかを修繕したし、あなたの部屋も満足いくように整えた」
「……ありがとうございます」
ぶっきらぼうではあるが、自分を迎えるために部屋や馬車を整えてくれたのだと知って、オパールはお礼を口にした。
しかし、その気持ちは伝わらなかったようだ。
ヒューバートは顔をしかめただけ。
「礼など必要ない。私はあなたたち親子に金で買われた男なのだから、あなたのためにできることをするのは当然だ。だが、できないこともある。それを今から知っておいてほしい」
「――はい」
本当は違うと言いたかったが、今の彼には通じないだろうと、オパールは口を閉ざした。
どうやらヒューバートは自分の境遇にかなり反感を抱いているらしい。
オパールの父親は三年待ったと言っていたが、その間にヒューバートなりにどうにかしようと努力したのだろう。
それが実ることなく、不本意な結婚をすることになった苛立ちをオパールにぶつけているのだ。
しばらくして冷静になれば、オパールが噂のような女ではないとわかれば、きっとヒューバートの態度も変わるはずだと思うことにした。
「いくらあなたたち親子に金を出してもらったとはいえ、あの家は私のものだ。あなたに口出しはさせない」
「ですが、女主人が――」
「女主人役はもうすでにいる」
「え?」
「父の従妹であるノーサム夫人だ。幼い頃に両親を亡くした私の面倒を彼女と彼女の夫がみてくれたんだ。彼女の夫は七年前に亡くなってしまったが、それまでは父親代わりをしてくれていた。だから私が結婚したからといって、彼女と彼女の娘――ステラを家から追い出すわけにはいかない」
「それはもちろんです」
幼い頃にヒューバートが両親を亡くしたとは聞いていたが、その代わりに育ててくれた人を追い出すなど考えてもいなかった。
そもそも、そのような人たちがいることさえ知らなかったのだ。
ただ、ヒューバートが結婚したからには妻であるオパールが女主人として家を切り盛りするのが普通なのだが、それはおいおい伝えることにした。
ひょっとすると、そのノーサム夫人が自ら言い出してくれるかもしれない。
「またステラについてだが、彼女はとても体が弱く、外にもほとんど出たことがないため世間を知らない。本来ならあなたのような人間には会わせたくはないのだが、仕方ないだろう。できるだけ、あなたはステラの傍に近寄らないでくれ」
「……その、ステラさんはおいくつなのですか?」
「今年二十歳になる」
オパールは呆気に取られて言葉を返すことができなかった。
自分より年上の女性に対して、悪影響を与えたくないので近づくなと言われるなど、侮辱以外の何ものでもない。
そして、オパールはこの結婚を甘く見ていたことを思い知った。
最初はお金のやり取りから始まったものでも、時間をかければ本当の自分を見てもらえるのではないかと考えていたのに。
それでも初夜を迎えれば変わるかもしれない。
明日の朝にはヒューバートから謝罪の言葉を引き出せるかもしれないと考え、腹立ちを抑えた。
謝罪されたら、もったいぶらずにすぐに許そう。
そこでこれからのことをきちんと話し合えば、この結婚はそれなりに上手くいくはずだ。
ひょっとすると夢に見ていた温かな家庭だって手に入れることができるかもしれない。
そう希望を持った時、馬車が止まり、公爵家へと到着したことがわかった。
ヒューバートはさっさと降りてしまい、従僕に手を借りて馬車を降りたオパールは、公爵家の大きな屋敷を見上げて息を呑んだ。
確かに王都滞在用のはずの屋敷がここまで立派なら維持費も大変だろう。
そう考えて、オパールはゆっくりと玄関への階段を上っていったのだった。