16.伯爵領
「まあ! クロード、久しぶりね!」
「そうだな。今年はもう会えないかと思っていたが……。まさか伯爵領にいるとは思わなかったよ、公爵夫人」
伯爵家の領館に戻って次の日、幼馴染みのクロードが訪ねてきてくれた。
一年ぶりの再会にオパールは手放しで喜んだが、クロードはどこかぎこちなく笑っている。
確かに幼馴染みがいきなり人妻になっていたら、戸惑うのも仕方ないだろう。
特にこの結婚は婚約期間もなく、式も簡素なものだったのだ。
「やめてよ、クロード。今まで通りに名前で呼んで」
「……それで、公爵閣下はどちらにいらっしゃるんだ?」
「ああ……旦那様は王都にいらっしゃるわ。今回はちょっと……私用だから。それよりも、クロードは大学を無事に卒業できたんでしょう? おめでとう」
「――どうにかな。まあ、ありがとう」
ヒューバートのことを訊かれて、オパールは気まずさに話を逸らした。
するとクロードは苦笑いして答え、それから大学のことをいつものように面白おかしく話してくれた。
それでも今までとは違う空気なのは、お互いの立場がはっきりと変わってしまったからだろう。
公爵夫人と大学を卒業したばかりの男爵家の三男。
オパールは今さら自分の本当の気持ちを自覚してしまった。
(私……クロードが好きだったんだわ……)
初めは兄の友人として遊びにきていたクロードだったが、オパールがしつこく後ろをついて回るので仲間に入れてくれたのだ。
クロードが寄宿学校に入った時にはとても寂しく、何日も泣いて過ごした。
それでも長期休暇のたびに会いに来てくれたのは、オパールの寂しさを理解してくれていたのだろう。
母が亡くなった時には学校を休んでまで葬儀に出席し、必死に泣くまいとするオパールを慰めてくれた。
ただクロードの立場ではきっと父が許してくれないだろうと、無意識に自分の恋心に蓋をしていたのだ。
また、クロードの母は家族の反対を押し切って結婚したため、故郷に帰ることができず寂しそうだと、クロード自身も寂しそうに言っていたから。
(まあ、反対される以前の問題として、クロードにとっての私は妹のようなものなんでしょうけど……。でももし……)
いつもオパールは取り返しがつかなくなってから気付く。
どんなに後悔しても、時は戻ることなく先へと進んでいくのだから、オパールも前へと進まなければならない。
やると決めたことは最後までやり通そうと、それでこの大切な友人からさえ見放されてもやり抜かなければと、オパールは決意を新たにした。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ」
「ありがとう、クロード」
「……何が?」
「わざわざ会いにきてくれて」
「お礼を言うようなことじゃないだろ。それに、もう次からはなかなか会えないかもしれないしな」
「会えない? でも社交シーズンが始まれば――」
「俺はあんな堅苦しい場に出るつもりはないよ。そもそも貧乏男爵家の三男を歓迎してくれるとも思えないしな」
「そんなこと……」
否定しかけたオパールを、クロードは首を振って黙らせた。
それが事実だということはお互いよくわかっている。
「幸せになれよ、オパール」
「……ありがとう。クロードも幸せになってね」
「努力はするよ。――じゃあな!」
いつもと同じ別れ際の言葉を残して、クロードは玄関を飛び出していった。
勝手知ったるもので、見送るオパールに手を振りながら厩舎へと走っていく。
クロードの屋敷はここから馬で一刻もかからない。
オパールはクロードにこれからどうするのかと訊きたかったが、結局は口にできないままだった。
深くため息を吐いてオパールが居間に戻ると、トレヴァーがノックの後に入ってきた。
「クロード様はお元気でしたか?」
「ええ。だけど、やっぱり今まで通りにはいかないものね。遠慮しているみたい」
「それは仕方ないでしょうね。ところで、公爵領の管理人についてですが……」
「誰かいい人は見つかった?」
「なかなか厳しいですね。そもそもオマーを解雇することを、公爵様がお許しになっていないのですから、大々的に募集するわけにもいかないですしね」
「そうよね……。今は、オマーの代理人として、あなたの部下の一人を借りているけれど、問題が起こった時が問題よね」
「では、いっそのことオマーさんを戻してはどうですか? それでトレヴァーさんが定期的に確認すればいいんですよ」
オパールとトレヴァーが話し合っていると、ずっと隅に控えていたナージャがけろりとした様子で口を挟んだ。
本来なら許されることではないが、オパールは気にしない。
ただ、その内容は残念ながら実現できるものではなかった。
「ナージャの案はとてもいいものだけれど、実際に行うのは無理だわ」
「どうしてですか?」
「今は応急的な処置として、公爵家の女主人である私がトレヴァーたちに助けてもらっている形になっているけれど、トレヴァーは本来お父様に――ホロウェイ伯爵に雇われているのよ。それなのに公爵領のことまで監督してもらうのはお父様との契約違反にもなるし、お父様も他領地への越権行為とみなされてしまうわ」
「お嬢様のおっしゃる通りだ、ナージャ。だが、お陰でいい案を思いついたよ」
オパールが諦めた調子で説明すると、トレヴァーが同意する。
しかし、すぐに日に焼けた顔に笑みを浮かべて頼もしいことを口にした。
「どんな案なの?」
「ナージャの言う通り、オマーを公爵領に戻すんですよ。過去の帳簿を拝見しましたが、先代公爵がご存命だった時には、オマーはしっかり領地を管理していたようです。能力はあるのですから、使わない手はないでしょう。そして、そのオマーの監督をお嬢様がなさればよいのですよ」
「私が?」
「はい。公爵様はご領地にはご興味がないようですし、問題はないはずです。お嬢様も王都はあまりお好きではないでしょう? 場所は違いますが、公爵領でのんびりと過ごされてはいかがですか?」
「それもそうね……」
トレヴァーの提案を聞いて、オパールは考え込んだ。
規模は大きく違うが、元は祖母から受け継ぐ土地で暮らす予定だったのだ。
そのために、領地経営の仕方もトレヴァーから学んできた。
いきなりオパール一人が管理するのなら難しいが、オマーを監督することならできるかもしれない。
それに、オパールの計画通りにいけば、必然的にオパールは公爵領に住むことになる。
「ちょっと自信はないけれど、試してみる価値はあるわね。……ところで、そのオマーはどう? ちゃんと働いている?」
「はい。しぶしぶですが、逃走を図ることもなく、農作業の手伝をしております。あとは悪癖の賭博をこのままやめることができれば、いい管理人になるでしょう」
「では、オマーを公爵領に戻すことを前向きに検討しましょう。正確には、逃走阻止方法をね」
オパールは公爵領に明るい未来が見えたようで、冗談を言って話を終わらせた。
後は、明日の叔父の訪問を乗り切らなければならない。
叔父は反対をしないまでも、未だに賛成はしてくれていないのだから。
翌日、約束通りに訪ねて来てくれた叔父を、領館の者たちは喜んで迎えた。
亡くなった母の弟である叔父の訪問は、母の葬儀以来ではあったが、昔はよく遊びにきていたからだ。
大歓迎を受ける叔父の困ったような笑顔は、オパールに母が生きていた頃の幸せを思い出させた。
(もし、お母様が今もいてくださったら……)
弱気になっている自分に気付いたオパールは、ぐっと手を握り締めて気合を入れる。
それから場所を書斎に移し、トレヴァーと進められた三人での話し合いは、途中でオマーも交えて行われ、どうにかまとめることができた。
その夜は久しぶりに叔父と二人で夕食をとり、色々と諸外国の話を聞いた。
海を渡った先にあるタイセイ王国では、少し前に疫病が広がり、国王までもが亡くなってしまったらしい。
その混乱に乗じて先代国王の庶子と王弟の間で後継者争いが起こり、内戦に発展しつつあるそうだ。
正当な後継者は王弟であるにもかかわらず、有力貴族の数人が庶子である王子を担ぎ上げているという。
「ようやく疫病が収束したところで、後継者争いなどやっている暇はないはずなんだがね」
「叔父様は大丈夫だったのですか?」
「ああ、疫病が広がり始めた頃には、もう私は別の国へ渡っていたからね。ただ、どうにもその王子が本物かどうかが怪しいんだよ。王弟殿下とは一度お会いしたことがあるが、とても立派な方だった。だからこそ、腹に一物ある貴族たちにとっては邪魔なんだろう。問題は、先代国王と一般女性との悲恋をもっともらしく噂として広め、病で疲弊している国民を味方につけたことなんだ。このままだと、王弟殿下の即位は危ういだろうね」
「だからといって、戦にまで発展するかもしれないなんて……」
「タイセイ王国は資源も豊富で技術先進国でもあるから、その利権は大きい。貪欲な者たちが躍起になるのも仕方ないが、もし戦になれば我が国の発展にも大きく影響するだろう。せめて戦だけでも避けることができればいいんだが……」
「何か方法はないのでしょうか? その王子様が偽物だとわかればいいのに」
「こらこら、オパール。まだはっきりしたわけではないのだし、他ではそのように口に出してはダメだよ」
「わかっています。私だって、これでも成長したんですから、昔のように馬鹿な振る舞いはしませんわ」
オパールがそう言ってわざとらしくつんと顎を上げてみせると、叔父は苦笑した。
昔のような馬鹿な振る舞い――あの運命の夜会のことを言っていると気付いたのだろう。
「衝動的なのは昔と変わらない気がするけどね。だがこれからは、私もこの国に腰を据えるつもりだから、何かあったらいつでも頼ってきなさい」
「ありがとうございます、叔父様。とても心強いですわ」
この夜、オパールはベッドに入ってもなかなか眠ることができなかった。
ついに賽は投げられたのだ。
それなのに、オパールはここまできてもヒューバートの対応に、一縷の望みをかけていることに気付いて自嘲した。
結果は数日後に出る。
後はもう、オパールには待つことしかできなかった。