15.公爵邸
トレヴァーはヒューバートの態度から、立ったままのほうがいいと判断したのだろう。
その時、ロミットがお茶を持って現れた。
そして立ったままのトレヴァーに嘲りの表情を浮かべたものの、黙ってテーブルの上に三人分のお茶を用意する。
本来なら女主人であるオパールがお茶を淹れるべきではあるのだろうが、誰もそのつもりがないことはわかっていた。
やがてロミットが書斎を出ていくと、焦れたようにヒューバートが再び口を開く。
「それで、あなたはこの者をわざわざ連れてきてまで、何が言いたいんだ? 公爵領の不満か? どうやらあなたは公爵領が栄えていないことに不満を漏らし、ノボリの街まで遊びに行ったらしいな」
「……それを、どなたから聞かれたのですか?」
「オマーだ。あなたがノボリに発ってすぐに手紙をくれた。彼はあなたについても、私に報告の義務があると思ったのだろう。オマーは真面目で何かと連絡をくれるからな」
ヒューバートの言葉に、オパールは笑いそうになった。
こまめに連絡をくれるから、信頼に値すると思っていたのだろうか。
だとすると、ヒューバートはあまりに純粋で未熟すぎる。
トレヴァーが俯いて咳をしているのは、笑いを誤魔化しているようだ。
「では、私から正直に申し上げましょう。オマーは信用なりません。ここ数年、公爵領で災害は起こっていないそうです。ですから私は、オマーが横領をしているのではないかと――」
「馬鹿馬鹿しい! それ以上を言う必要はない!」
「ですが、実際に私たちは証拠を見つけたのです。オマーは横領したお金を賭け事につぎ込み、借金までしておりました」
「それがあなたの言い分か? そこの男と手を組めば、それらしい証拠など捏造できるだろう! オマーは亡き父が信頼し、雇った人物だ。長年公爵家のために働いてくれた彼を愚弄するなどと信じられない!」
信じられないのはオパールのほうだった。
まったくオパールの話を聞こうともせず、馬鹿馬鹿しいの一言で片付けて怒鳴り散らすヒューバートを、唖然として見る。
どうやらトレヴァーも珍しく驚いているらしい。
それどころか、ヒューバートは自分の声でますます興奮してきたようだ。
「確かに、ここもあの土地も、あなたの金で救われた。だが、名義は私のもので、これからも私のものなんだ! 誰を雇うかは私が決める。あなたたち伯爵親子のいいようにさせるつもりはない! 話は終わりだ。ここから出ていってくれ!」
「……わかりました。では、失礼します」
きっとヒューバートは機嫌が悪かったのだろう。
ひょっとしてステラに何かあったのかもしれないと、オパールは好意的に考えた。
しばらく時間を置けば、ヒューバートも冷静になり話を聞いてくれるのではないかと。
そう考えながら書斎を出たオパールは、廊下の向こう側にいるステラとノーサム夫人を目にして気持ちを変えた。
ヒューバートの怒鳴り声が聞こえたのか、ステラはとても意地の悪い笑みを、夫人は満足げな笑みを浮かべていたのだ。
「おや、あちらが噂の……?」
「ええ、そうよ。でもごめんなさい。紹介はできないわ。旦那様に彼女には会うなと言われているから」
「ずいぶん意地の悪そうな天使ですがね。こんなことを申し上げるのは不謹慎かもしれませんが、本当にあの方のお命は危ういのですか?」
「どうして?」
「とてもそうは見えないからです。昔ながらの主治医ならお年もかなり召されているのでは? 一度、他の医師に診てもらったほうがよいかもしれませんよ」
「……そうね。旦那様のご機嫌のいい時に、提案してみるわ。それよりも、本当にごめんなさい。せっかく王都まで来てもらったというのに、こんなことになって」
オパールとトレヴァーは玄関に向かいながら、小声で話した。
執事のロミットがまったく姿を現わそうとしないことにも腹が立つ。
「別にかまわないですよ。王都まで気分転換の旅もできましたしね。最近、伯爵領は順調すぎて退屈していたんです。それで、公爵様を納得させるにはどうなさいますか? オマーを連れてきてもよいですし、公爵領の領館の執事……リンドに証言させてもよいかと思いますが?」
玄関までやって来たトレヴァーは、そう言って立ち止まった。
早く帰れとばかりに、従僕がドアを開けて待っている。
オパールはちょっとだけ迷い、そしてにっこり笑って答えた。
「……ううん、もうそのことはいいの。ただ、しばらくしたら伯爵領にもう一度行くと思うわ。できればそれまでに、新しい管理人候補がいないか考えておいてほしいの」
「――わかりました。私は……私どもは、お嬢様の味方ですからね。この戦いを応援しております」
「ありがとう、トレヴァー。それじゃあ、気をつけてね」
どこまで従僕が聞いていたかはわからないが、オパールはかまわず話した。
トレヴァーも励ましの言葉をはっきり言い残して、屋敷を出ていく。
オパールはトレヴァーが乗り込んだ馬車が角を曲がるまで玄関先で見送ると、すぐに屋根裏部屋へと引っ込んだ。
執事もヒューバートも誰もそれまでに姿を現わさない。
そして粗末な机を前に座ったオパールは、あの時は言い方がまずかったなと反省はした。
オマーはヒューバートの父親が雇った管理人であり、彼を愚弄することは先代公爵を愚弄するも同然だったのだろう。
先代公爵がまだ生きていたのなら、オマーはどうなっていたのかわからないが。
再びヒューバートに同情する気持ちが湧いてきたが、それでもと思い、オパールは手紙を書いた。
その返事は翌朝には届き、その速さにオパールは驚きながらも封を切ってすぐに読んだ。
「今日の午後は出かけるから、訪問着を用意していてちょうだい」
「どちらにいらっしゃるのですか?」
「……なぜ私が、いちいちあなたに行き先を告げなければいけないのかしら。ねえ、ベス?」
「さ、差し出がましいことを申しました。お許しください」
「許すわ」
いつものオパールなら、誰に対してもこんな言い方はしないのだが、ずっと不機嫌なベスの顔を見ていると我慢も限界だった。
ベスに字が読めるのかどうかは知らないが、差出人が男性であることに気付いたのかもしれない。
それで今のような質問をしてきたのかと思う。
だとすれば、ロミットはこの差出人が男性であることに気付いているはずで、ヒューバートに報告することも考えられる。
その予想は当たったらしく、馬車を用意させて出かけようとしたところで、オパールはヒューバートに呼び止められた。
「どこへ行くんだ?」
「……今まで、私の行動に興味を示されたことなどございませんのに、なぜそのような質問を?」
「公爵家の家紋が入った馬車で、男に会いに行かれては困るからだ。逢引ならこっそりしてくれ」
「ご期待に添えず申し訳ございませんが、私がこれから向かうのは叔父の屋敷です。久しぶりに王都に戻ってきたらしく、私の顔を見たいとおっしゃってくださっていますので」
「――なら勝手にすればいい!」
「そうさせていただきます」
本当は結婚したことを知った叔父から、ヒューバートも一緒に招待されていたのだが、そのことには触れなかった。
どうせ断られるだろうし、もう面倒だったのだ。
そもそもヒューバートは本当にオパールに興味がないらしい。
ただの昼間の訪問には似つかわしくない、重そうな鞄を――借用書などが入った鞄を持っているのに、怪しむどころか気付きもしないのだから。
そうして叔父の家に訪問したオパールは、一年ぶりの再会を喜んだ。
しかし、しばらくしてからオパールが切り出したことには、叔父も驚愕して反対した。
それをどうにか納得させられたのは、現状を訴え、将来的にも必ず守ると誓ったからだ。
その後、叔父と次には伯爵家の領館で会うことを約束したオパールは、公爵邸に戻ると翌日には伯爵家の領館に向けて出発した。
オパールも叔父の屋敷から戻ると伯爵領に行く許可を一応は求めたのだが、ヒューバートは興味がないとでも言わんばかりに再び「勝手にすればいい」としか言わなかった。
ただ変わったことといえば、公爵家の馬車の御者であるケイブの態度がかなり変わっていたことだ。
ケイブ一人がオパールを公爵夫人としてきちんと扱い、敬意を払ってくれる。
そんな皮肉に笑いながらも、オパールは領館が見えてきたことで、荒んでいた気持ちが癒されていくのを感じていた。