腐海の主と取引しました。
ピリッとした空気を感じて息を飲む。
目の前に座るのは、さっきまでの「ダメな大人」の見本のような人物ではなく、1人の「男の人」だった。
「仏像さんに伝えて貰った筈です。僕は妹を泣かせたくない」
だけど、そんな事に怯んでいれるほど、僕の妹への愛は浅くないのだ。
むしろ、変化後の神野さんは頼れる大人に見える分、大歓迎だ。
まるで睨めっこのように、無言のまま見つめ合う。
瞳の奥まで覗き込まれているような、若干の居心地の悪さを感じながらも、僕は絶対に視線をそらさなかった。
「………泣かせたくない、かぁ。どうするかねぇ」
ふいに、張り詰めていた空気がフニャリと緩んだ。
ズルズルと背もたれに体を預けソファーへと沈んでいく様子にさっきまでの鋭さはない。
「僕が君に教えてあげれる手段は2つだ。1つは能力の封印。もう1つは身代わり」
「その2つの違いは何?」
唐突な言葉に首を傾げつつ、最初に浮かんだ疑問を口にする。
「封印はそのまま。力を封じる事だよ。
ただ、これには問題があって、力の全てを封じる事でもしかしたら遠くから脅かすだけで何もできなかった《彼等》が、側に寄ってくる事が出来るようになるかも。そうなると、対抗手段を封じられた妹ちゃんにどんな影響が出るかは不明」
「………身代わり、は?」
「妹ちゃんの能力を誰かに移しちゃう事、だね。
移した能力は移された人間が一部使用することも可能」
「それって、かなり便利なんじゃない?」
人の能力を手に入れる事ができれば、パワーアップは容易じゃないか。
たくさん能力を集めれば、無双できそう。
「いや?移すにはかなり制限があるし、正直リスクも大きい。少なくとも、僕はやりたくないなぁ。身代わりだって言っただろ?」
「身代わり…………」
たしかに、その言い方にあまりポジティブなイメージは無いなぁ。
つまり、どっちを選んでもそれなりにリスクがあるって事か。
それなら、妹に負担のない方を選びたい。
「すみませんが、もう少し、それぞれの特性を詳しく」
「………え〜〜。面倒だけど………しょうがないか。紹介者には借りがあるしなぁ」
どうやら、仏像はなかなか使える存在だったみたい。
線香、ラベンダーの香りも追加しとこう。
ブツブツつぶやく神野さんの様子に、心の中で仏像にグッジョブを送ると、僕は、明るい未来のために真剣に話を聞こうと姿勢を正した。
結果として。
僕は『身代わり』を選んだ。
リスクとメリットを天秤にかけた結果だ。
封印を選んで妹に何かあっても困る。
見えないものは避けられないじゃないか。
『身代わり』ならば、僕は妹を守る為の力を手に入れる事が出来る。
その為のリスクは諸々あったが、差し当たり身体的には視力が激減した。
眼鏡なしでは日常生活に支障が出るほど、だ。
神野さんの話では身代わりの期間ジワジワと下がり続け、最後には失明する、らしい。
さらに、妹の能力は大きすぎて『身代わり』で僕が全てを負うことが出来なかったのも予想外だった。
「散歩に行く」と妹を連れ出し、神野さんに見てもらった時、変な笑いを浮かべてたから、相当だったんだろう。
結局、半分は封印を施す事になったのだけど、一度に全てを行えば幼い体に負荷が大きすぎるという事で、年単位で完成させて行くこととなった。
「て、訳で、諸々の仕事量なんだけど」
「子供からお金取るなんて、鬼なことしないですよね?労働で支払わせてもらいます」
最初の封印の術をすませた後切り出した神野さんに僕はにっこりと笑顔で返した。
「労働?」
「そうです。事務所が綺麗だと気持ちいいでしょ?万が一、お仕事の依頼者がやってきたとしても、扉を開けた途端、回れ右される事もない」
神野さんの所にやって来るようになって3回目。
数日開けて扉を開ければ、元の、ほどはひどくないものの眉をしかめたくなる程度には散らかっている室内。
神野さんには片付けの才能が壊滅的だった。
出したものを元の場所に戻さない。
食器は使えるものがなくなったらしぶしぶ洗う、か、紙食器使用。
極め付けは、お風呂は面倒で入りたくない。
扉を開けた瞬間に神野さんにお風呂セットをもたせて追い出し、掃除するのが、毎回の僕のパターンになりつつあった。
だって、汚部屋で座って話し合いなんて無理!
コンっと綺麗に洗ったカップに並々と注いだコーヒーを置けば、「グウゥゥ」っと変な唸り声を出して神野さんが考え込んでいた。
別に神野さんだって、汚部屋で過ごしたいわけではないのだ。
ただ、本当に、壊滅的に片付けが出来ないのに加えて………。
立ち上がった時にローテーブルに引っかかってカップを倒し、慌てて溢れたコーヒーを拭こうとしてソファーの背にかけていた上着で拭いてしまい悲鳴をあげ、上着を洗うためにキッチンに向かう時に、たまたま床に落ちていたチラシを踏んですっ転んでいた。
その間、約1分。
強打した後頭部を抱えて悶絶している神野さんにお部屋の一端を見た気がした。
僕が数時間かけて綺麗にした部屋は、たった1分で半壊状態。
もう、ここまで来ると何かに呪われているんじゃないかとしか思えない。
あれが日常だとしたら、自分で部屋を整えるスキルを身につける頃には半世紀が過ぎていると思う。
コーヒの入ったカップを親の仇のように睨みつけている神野さんをのんびり待つ。
基本だらしなくて適当だけど、変なところで常識人な神野さんの事だから、こんな場所に小学生を通わせる事を躊躇しているんだと思う。
けど、僕だってなんの下心もなしにこんな汚部屋管理を申し出たわけではないのだ。
《身代わり》で手に入れた能力。
有効に利用するには、どう考えても師匠が必要だ。
自分で調べるのも考えたが、効率悪いし、何かあった時困る。
(ま、断られても勝手に押しかけるだけだしね〜〜)
コーヒーを飲みながら、唸っている神野さんを見つめる僕は、多分、かなり悪い顔をしていたと思う。
読んでくださり、ありがとうございました。
神野さん。
キャラ的にはかなりお気に入りです。
普段ダメダメなのにやる時はヤル大人、カッコいいですよね!