表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/32

松本重則と播磨屋宗徳

【天正15年01月12日】



未だ元親様からの返答がない。


痺れを切らした俺と菊額殿は、書状を託した先の津野の屋敷を訪ねた。


取り次ぎに出た者が、俺たちのことを胡乱気に見る。

それは仕方がない。俺と菊額殿の服装は小綺麗でこそあるが、かみしもなどの正装ではない、羽織・はかま姿なのだから。それに岡豊城おこうじょうの膝下に暮らす彼等は津野の本拠地に戻ることも少ないから、殿様である俺の顔を知らないのだ。


それでも通してくれたのは、俺が花押型かおうがたを差し出したからだろう。


「これを屋敷守やしきもりに渡すがいい」


花押型というのは、いうなれば手紙に押す印鑑みたいなものだ。基本、俺がしたためた書簡には証明として必ずコノ花押型で押印する。

屋敷守ともなれば、さすがに俺の花押型ぐらい分かってくれるはずだ。


部屋で待つこと四半刻。現代でいえば三十分ほどで、屋敷守が遣って来た。

遅いと思われるかも知れないが、下の者が上の者に伺いをたてるのに何かと面倒な手順が必要な時代なのだ。これでも早かったぐらいだろう。


「とんだ粗相をいたしました」


屋敷守の老人が、深々と頭を下げる。


「まさか殿がお出でになられているとは。言うてくだされば、迎えに行きましたものを」


恭しく差しだされた花押型を受け取る。


「俺はココに居ないはずなのでな。目立つことはしとうないのだ」


「ははぁ、そういうことですか」


屋敷守は察してくれたようだ。


下人を呼んで白湯を馳走しようとする屋敷守を制して、俺は単刀直入に訊いた。


「土佐様からの返答は、如何に?」


「それが梨のつぶてでして」


「書状には見舞いの使者だと書いておいたのだが」


もちろん、託した書状には関白殿下の花押が押してある。

いわば、関白殿下の使者を元親様は無下にしていることになるのだ。


「大殿様の落胆はひどい有様でして、私室にこもって厭世しているとか。おそらくですが、書簡も目を通しておられないのでしょう」


人生の全てを費やしていた四国統一を台無しにされ、落胆していたところに、唯一の希望であった信親様を失った。

その絶望、同情はしよう。

だが、世は戦国なのだ。

同情すると同時に、憤りをおぼえずにはいられない。


あなたは、土佐の民を導く英雄なのではないのですか! と。


「二月までは待とう」


それ以上は待てない。錬金術師を捜索するという仮の目的もあるのだ。お目付けの菊額殿を誤魔化せなくなる。


俺と菊額殿は津野の屋敷を辞した。


「憤懣遣る方ないという顔ですな」


菊額殿が俺の顔をマジマジと観る。

始めの頃は無礼だと思っていたが、それも馴れてしまえば気にもならない。


「そんなに待たされているのが不満ですかな?」


「違う!」思わず語調が強くなってしまったことに内心で慌てながら、俺は口調を改めて言った。

「拙者は土佐様の惰弱だじゃくが情けないのだ」


「むふふふ、孫次郎殿も可愛らしことをおっしゃられる」


「菊額殿。拙者を煽っているのですか?」


「申し訳ござらん。決して孫次郎殿を馬鹿にしたわけではないのです。それがし、昔から思ったことをズケズケ言うてしまう性分でして」


「わかりました、謝罪は受け入れましょう。それで、可愛いとはどういう意味ですか?」


「孫次郎殿は、主君の惰弱が情けないのではなく、父親の弱気が許せない、のではありませんかな?」


俺は言い返せなかった。


しばらく無言で歩く。


「その通りです」


ふり絞るように肯定する。


親忠としても。前世で死んだ俺としても。

長宗我部元親という人物には、何処までも何時までも力強い憧れでいて欲しかったのだ。


「その気持ちを、それがしも経験しておりますからな。あれは、それがしが二十歳はたちぐらいでしたか。親父殿と大喧嘩をして、つい気絶させてしまいましてなぁ。以来、鬼のようだった親父殿が憑き物の落ちたみたいに大人しくなって。それが歯痒ぅて歯痒ぅて。その当時のそれがしの気持ちを思い出して、ついつい可愛らしいなぞと言うてしまいました」


「菊額殿も…ですか」


「それがしだけでは、ないでしょう。親をもつ子なら、多かれ少なかれ同じような思いをするはずです」


「そうなのですか?」


「人とは老いるものですからな。何時かは、子が親を追い抜くのです。そして、その子もまた何時か子に追い抜かれる。人の世とはそんなものなのではないですかな」


時分は昼時だった。

俺と菊額殿は目に入った居酒屋の縄暖簾なわのれんをくぐった。


※縄暖簾とは、現代の暖簾のように『布』ではなく、いっぱいの『縄』を垂らして暖簾とした物です。居酒屋や酒屋の異称としても使われます。


店内は薄暗い。現代のように照明やガラス窓がないのだから仕方ないのだが、二人の不景気な客が欝々と酒を飲んでいるのには菊額殿と顔を見合わせて『入る店を間違えたか』と視線で遣り取りした。


とはいえ今さら店を出るわけにもいかず、椅子代わりのたるに腰掛ける。


注文を取りに来た年配の女性に、まずは酒を頼む。


昼間から酒とは好いご身分だと思われるかもしれないが、水でかなり薄めてあるので酔えるような代物じゃない。それこそ浴びるほど飲まないと酔っぱらうことなんぞできやしないだろう。しかも清酒じゃない。濁り酒、つまりはドブロクなのだ。感覚的には、スポーツドリンクを自販機で買って飲むような感じだと思ってほしい。


「酒はなかなか良い物を出してますな」


菊額殿が嬉しそうに言う。


良い物とは、薄めるための水の量が少ないということだ。店によって水の量が異なるので、まちまちの味になる。


出された料理は刺身に雑穀飯だ。


「大阪よりも刺身は旨いですな」


「海が近いからですかね」


これでワサビと醤油があれば文句ないんだけど。戦国時代にはどうやら醤油がないらしい。代わりに塩をふりかけて食べるのだが、これはこれで不味くはない。

米のはいってない、麦にひえあわだけの雑穀飯を掻っ込む。


「もうし、よろしいか。お手前方は大阪から来られたのですか?」


遠慮がちに声をかけてきたのは、先客の一人だった。草臥れた羽織袴だが、佩いた刀のこしらえは立派だ。


菊額殿は食事に集中したいのか、頬かむりを決め込んでいる。

しかたなしに、俺が応えることにした。


「そうですが、何か?」


「名も知らぬ方におこがましいのは承知で、どうかお助け願いたい」


面倒ごとか、とは思ったが無下にもできない。

武士が頭を下げているのだ。


「話しだけは聞きましょう。取り合えず、お座りになったらどうですか?」


「感謝いたします」


自己紹介をする。御仁の名前は松本まつもと勘解由かげゆ重則。見た目は二十代の前半か。


「恥ずかしながら紀州から落ち延び、今は吉良きら左京進さきょうのしん様のお世話になっておりもうす」


吉良左京進とは吉良親実きらちかざね様のことだ。親である親貞ちかさだ様が元親様の弟であるというだけではなく、智勇の才能を認められて元親様の娘を正室に迎えられてもいる、長宗我部家では重臣中の重臣である。

そうして……近い未来では長宗我部の後継者問題で切腹を命じられることになる。


「ほう、紀州から。それは苦労したでしょうな」


菊額殿がはじめて興味をもったようで顔を上げる。

が、それだけで名前を名乗ろうともせずに、再び食事を始めてしまう。


「こういう方なので、気にしないでください」


「は、はぁ」


「それで、助けが必要とは?」


「そのことなのですが」


松本殿の言うところでは、紀州から共に落ち延びた妻が、このほど男の子を産んだのだという。


「それは、おめでとうございます」


「ありがとうございます。ですが…」


妻の産後の肥立ちが悪いらしい。


「元から食の細い女でしたが、食欲がほとんどないのです。固形物を食べるのがしんどいのだ、と」


前世でおぼえがある。体が弱り切っていると、噛むことすら億劫になるものだ。松本殿に質問をすれば、細君の体自体に異常はないようだ。おそらく、子供を産んだことの疲労であろう。とはいえ、食べるものを食べなければ、その疲労が抜けることもないはずだ。


「藁をもすがる思いで、大阪の方ならば何かいい知恵があるのでは、と」


「助けてあげたらどうですかな?」


そう言ったのは菊額殿だった。意外といえば意外な男からの助け舟に、俺は怪訝な目を向けてしまう。


「それがしも、そろそろ孫次郎殿の真価を見たいのですよ」


菊額殿からしたら、俺はただのガキだしな。お守りをするにしても不満があったのだろう。


「わかりました」俺はうなずいた。

「松本殿の奥方に美味しいと食べていただける物を、用意いたしましょう」


まことですか!」


藁にもすがる思いだったというのは本当らしい。俺みたいな小僧の言うことを真に受けるのだから。


「では、用意していただきたいものがござる。トコロテン、それに何か酸味のある果実を」


「トコロテンは用意できます。果実は……梅干しでいいでしょうか? 拙者の故地の名産なので、家にも大量にあるのです」


「それで構いません。あとは、米と大麦が必要なのですが」


「米ですか…。大麦ならともかく、米は。拙者、いまだ無役なれば手元不如意なもので」


「ならば、わたしが米を用意いたしましょう」


そう割り込んできたのは、町人の恰好をした三十代とおぼしい男だった。


「どなたかな?」


武士の話し合いに口を挟むとは無礼にもほどがある。

松本殿と菊額殿が睨むが


「これはこれは、失礼をば。わたしは播磨屋宗徳はりまやそうとくと申す」


前世の記憶にある名前だった。

播磨屋宗徳。元は播磨国の豪商だ。元親様が讃岐国出兵の際に兵糧の調達をやりとげた功績によって、土佐に招かれた辣腕の人。


さすがに播磨屋の名前は知っていたものか、松本殿が礼をただす。

菊額殿には俺が説明して不満をさげてもらった。


「それで、どうして播磨屋がそれがし達に手を貸したいと?」


改めて座りなおした播磨屋に訊く。


「匂いがしたのですよ。大きな商いになりそうな匂いが。昔から、わたしは鼻が利きまして、それを信じたおかげで長宗我部様の愛顧もいただけたのです」


もっとも。と播磨屋は続ける。


「その長宗我部様の台所が厳しくなってしまわれたので、商人どもは誰しも青息吐息です。下の者からどうにかしてくれ、と突き上げを食らってほとほと困っていたところに、失礼ながら話を耳にしました。これは一枚かませてもらわねば、と思った次第にて」


巡り合わせか。俺は天の不思議を思った。

松本殿をとおして吉良様に近づける手がかりが見つかった。

瀕死の長宗我部家の経済を、播磨屋をとおして息つかせるよう出来るかもしれない。


その為にも、まずは松本殿の細君のお気に召す食べ物をこしらえる必要がある。

そこからだ。そこから、松本殿と播磨屋の信頼を得るのだ。


「米の手配。よろしく頼むぞ、播磨屋」


「こちらこそ」


まだまだ、かそけき光明なれど。

俺が長宗我部を助けてみせよう。

ぼちぼち、書いていきます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ