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菊額 【桜井佐吉】

【天正15年01月06日】



踏み込むたびにキシキシと音を立てる新雪に跡をつけて、俺は大阪の城下町を一人で進んだ。


新年早々の暁闇ということもあって人の気配はない。

ただ俺の手にする提げ行灯の心もとない光源だけが闇を払っているのみだ。


白い呼気を目で追えば、空には星々がある。


その下で、俺は一人だ。


思わず笑みが浮かんでしまう。

物心ついて以来、これほど自由だったことはない。


土佐の地にいた時には元親様の子として守役が侍っていたし、津野の養子になってからは監視がいた。大阪に来てからも同じようなものだ。気ままに出歩くことすらできず、何をするにしても近侍に伺いを立てなければならない、主従が逆転したような環境だった。


だから、こうして城下町に繰り出したのも初めてだ。


気分よく、武家屋敷の街並みを抜け、町屋敷へと入る。

驚いたことに其処彼処の家々で人の気配がした。

俺の側を頬っ被りした男が通り過ぎる。天秤棒には大量の生ごみが積まれていた。


なるほど、人の少ない早朝にゴミの回収をしているのだ。


他にも、紙を回収しているのや、金物を回収している連中もいる。尾籠びろうながら、こえを荷車で運んでいる男女もいた。

店では、やはり豆腐屋が明かりを焚いて準備をしている。


昔も未来も、人の営みはあまり変わり映えしないものなのだな、と俺は面白く思いながら進んだ。


ようよう夜が明け始めて、提げ行灯も必要なくなった頃に、俺は目指していた玉造門へと到着した。


「何者だ?」


衛士が誰何するが


「あれは、それがしの待ち人じゃ」


禿頭の男が進み出てくれた。


がっしりした体つきの男だ。旅装に身を包んでいてなお、固太りの体が見て取れる。年齢は三十手前だろうか。


俺は衛士に提げ行灯を渡してから、挨拶をした。


「お待たせしたようで」


「そうですな、半刻ほど待ちましたな」


半刻というのは、約一時間に相当する。

この寒い中をずいぶん待たせてしまった。


「それは申し訳ない」


「何故、申し訳ないと思うのですかな?」


嫌味かとも思ったが、禿頭の男の表情は芯から不思議がっている。


「拙者が遅くに着いたせいで、寒い思いをしたでしょう?」


「ああ、そういう意味でしたか」男は得心したと言うと、頭にある大きな傷跡をツルリと撫でた。

「それならば、それがしが早くに来過ぎたのです。申し訳ないと思う必要はござらん」


生真面目にそう言ったものだ。


ちょっとばかり変な御仁のようだ。


「ご存じでしょうが、拙者は津野孫次郎親忠と申します」


「それがしは菊額きくびたいと申す」


「菊額殿…ですか?」


「さよう」


彼…菊額が錬金術師を捜索するにあたって、俺につけられたたった一人の供だ。

二人旅なのには理由がある。

俺は、今。大阪城の屋敷で寝込んでいることになっているのだ。まさか、人質扱いの俺に大々的な供回りをつけて送り出すわけにもいかず、加えて九州征伐の準備で大わらわのなか、居るか居ないか判然としない錬金術師の捜索に人手を割ける余裕なぞありはしない、ということだ。


それでも供がたった一人というのは異常ではある。


しかし藤堂様は言ったものだ。


『あの方ならば、十人の武者にも匹敵しよう。なかなか孫次郎殿も殿下に買ってもらったものですな』


と。


俺たちは連れ立って玉造門を抜けた。


菊額殿の足は速い。のそのそ歩いているはずなのに、俺が速足にならねばならぬほどだ。

目的地のさかいには、それこそ半刻と少しで着いたが、俺は若干息を切らしてしまっていた。

菊額殿はといえば、まるっきり涼しい顔をしている。


「孫次郎殿は、体を鍛えたほうがよろしいですな」


「これでも、槍術をやっているのですが」


「そういうものはお止めなさい。戦場で必要なのは一も二も体力と力です。小手先の技など、意味がありませぬぞ」


俺はムッとした。これでも槍術には自信があるのだ。


「小手先と言われますか」


「達人ではありますまい?」


「ならば、試してみてください」


俺は立てかけてあった竹棒を手にした。長さは六尺ほど。二メートルに少し届かないぐらいか。


構えた俺を見て、菊額殿はボソリと言った。


「殺してしまいますよ?」


「なにを!」


「それがしは手加減なぞ出来ません。常に殺す腹積もりでいなければ、戦場で物の役に立ちませんから」


ですから。やるならば、殺りますよ。


菊額殿の目が昏くなる。戦場に生きる男の目だ。


情けないが、体が震える。


わ! と歓声が上がった。


「喧嘩だ喧嘩だ!」

「武芸者が殺りあうぞ!」


俺たちのことではない。

歓声は角を曲がった先の大きな通りであがっている。


ニヤッと菊額殿が笑った。


「面白そうだ。行ってみましょう」


言い残して、さっさと俺に背中を見せてしまう。


俺は舌打ちをして竹棒を放り棄て、菊額殿の後を追った。


武芸者。それは刀や槍、弓などを持って強者であると喧伝し、武芸を見世物にして観客から金をもらう輩だ。彼らは浪人であり、あわよくば仕官を狙っているが、それが叶う者はまずまずいない。


物見高い連中を押し退けて前に出ると、その武芸者同士が刀を突き合わせていた。


それにしても……温い。

まったく動きがないのだ。ただ刀を突き合わせている。


「いい加減にしろ!」

「時間の無駄じゃねーか!」


見物人が喚くが、武芸者は動きをみせない。

だが、本当の人殺しなんてこんなものなのかもしれない。

怖気て動けない。それは俺が今、実感したことだ。


すると


「面白くなし!」


菊額殿がゾロリと刀を抜き放って武芸者どもの前へと進み出た。


「殺る気がないのなら、刀なぞ抜くな!」


一喝するや、菊額殿は武芸者の一人を斬って捨てた。


血が飛び散り、断末魔の悲鳴をあげた武芸者が仰向けに倒れる。


「まず、一人!」


菊額殿は残った武芸者へと体を向けた。


武芸者が仕掛ける。が、菊額殿はそれを一歩下がって避けると、今度は二歩進み出て、バッサリと武芸者を斬り殺してしまった。


圧倒的だ。


既に見物人は蜘蛛の子を散らしている。


菊額殿は、血糊のついた刀を捨て、代わりに武芸者の持っていた刀と鞘を失敬した。

居竦んでいる俺にニカッと笑い


「逃げますぞ!」


言う割には走ることなく、速足で逃げ出した。


俺も大慌てで後を付いて行く。


菊額殿は、そのまま路地から路地へと逃げ続けると、海へ出た。荷物と脇差、それに盗んだ刀を俺にあずけて、勢いよく海へと飛び込む。


俺は呆然と、海で体に浴びた血潮を洗う菊額殿を見ていた。


「あなたは、何者なのですか?」


やがて海から上がったびしょ濡れの菊額殿に俺は訊いた。

ただ者であるはずがない。いいや。あれほどの手際をみせた菊額殿が、何者でもないとしたら……俺ごときが戦国で生きていくことなぞ出来るはずもない。


「藤堂様が仰られていました。菊額殿がおられれば十人力だと」


「ほう、藤堂様が」菊額殿は照れたように頭の傷跡を撫でると言った。

「それがし、菊額と号する前は、桜井佐吉と名乗っておりました」


桜井佐吉。聞き覚えがある。だが、何処で。


むふふ、と菊額殿は含み笑いをした。


「わかりますまいなぁ。それがし、有名ではないですから」


「いいえ、お名前は何処ぞで聞いたおぼえが…」


桜井佐吉。名前を口中で唱えること十回。俺は遂に思いだした。


「あなたは…いいえ、あなた様は、賤ヶ岳の!」


賤ヶ岳の戦い。それは関白殿下が柴田勝家と雌雄を決っして勝利した、まさに天下へ飛躍する端緒となった戦いである。

そのいくさにおいて、大いに活躍した武者どもに、関白殿下は感状を下された。

世にいう、賤ヶ岳の七本槍である。

一人は、福島正則。

一人は、加藤清正。

一人は、加藤嘉明。

一人は、脇坂安治。

一人は、糟屋武則。

一人は、片桐且元。

一人は、平野長泰。


だが、この七人の他に二人。感状が下されたことは余り知られていない。


一人は、石河兵助。の人は、賤ヶ岳で戦死してしまったのだ。

そして、残る一人が。


桜井佐吉。


「どうして、あなた様のようなお方が、菊額などと号しておられるのですか?」


「ははぁ、それがしのことを存じておられるか」


菊額殿はニッカリ笑うと語ってくれた。


賤ヶ岳の戦において、桜井佐吉は功にはやる余り、敵の槍を受けて崖から落ちてしまったのだという。


「その折に頭を強く打ってしまいましてな」


歩くことはできても、走ることができなくなってしまったのだ。


「走ると、まるで酒に酔ったように千鳥足になってしまいまして」


これでは戦場で活躍できるはずもない。

そこで弟に跡目を譲って、自身はそうそうに隠居したらしい。


「しかしながら、無聊をかこっていたそれがしを関白殿下がお呼び出しくだされてな。面白い小僧がおるから、ちょっと面倒みてくれっと」


「知らなかったとはいえ、ご無礼をいたしました」


俺は頭を下げた。

頭上で、ムフフと菊額殿の笑う声がする。


「頭を上げなされ。この旅に上下の関係などないはずですぞ」


「しかし…」


「しかしも案山子かかしもありますまい」


言って、菊額殿は俺をジッと見た。


「面白くありませんでしたかな?」


「…あまり」


「…そうですか」


菊額殿と顔を見合わせる。


「とにかく、それがしは桜井佐吉ではないのです。よろしいですな?」


と言われて、俺は頷くしかなかった。


「では、いきましょうか」


「は、はぁ」


テクテクと歩き出した菊額殿の後を付いて行きながら、俺は疑問に思っていたことを訊いた。


「ところで、何故に菊額と号したのですか?」


菊額殿は足を止めると、海を向いた。


「関白殿下に頂戴した栗毛の馬の額に菊に似た模様がありましてな。その馬が死んで、菊額と号するようにしました」


「では、その馬を想って」


いい話だ。


と思ったのだが。


「あれは美味かった」


菊額殿は海を眺めながらしみじみと言った。


食ったのかよ!


やっぱり変人なのだろうか?

括り姫、という新しい小説を投稿しました。

短編です。というかぶつ切りで終わります。

全部で4話ぐらいになると思います。


よろしければ読んでみてください。

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