肥後表陣立
今回は九州征伐にあたっての秀吉の構成軍における部将の紹介です。
ですから、基本的には読み飛ばしていただいても問題ありません。
今回のお話を要約すると「岩石城ってのが堅城だぞ!」と秀吉。「でも俺等なら攻略できるッス!」と蒲生氏郷と前田利勝が訴える、そんな内容です。
【天正15年03月29日】
九州征伐。この戦において、豊臣は大きく軍勢を2つに分けた。
九州を縦に割った西側の肥後方面を責める軍勢と、東側の日向方面を攻める軍勢である。
肥後方面の総大将は、豊臣秀吉。従えるのは、11の部隊。
日向方面の総大将は、豊臣秀長。こちらは5つの部隊を旗下にしている。そのなかには黒田孝高様や蜂須賀家政様がいる。そして長宗我部元親も。
俺は肥後方面軍にいた。
当然だが、俺が指示を仰ぐ豊臣秀勝もまた肥後方面軍だ。
3月29日。辰の刻。
肥後方面軍は、軍議を開いていた。
先には古処山城と岩石城がある。
共に山に築かれた城だが、なかでも岩石城は水滸伝の二竜山めいて山の各所に罠が仕掛けられており、なまなかに落とせる城ではないという報告が、先見の部隊よりもたらされていた。
「こりゃ~、岩石城は捨ておくのがええじゃろ」
秀吉がのんびりと呟く。
この戦は、豊臣にとって言ってみれば消化試合だ。無駄に兵士を消耗することはない。
特に、秀吉はまだ関東・東北の攻略を残しているのだから。
軍議の場にいる1~11の部隊に属する面々がうなずく。
1の部隊の森吉成。この人は、秀吉に古から仕えている男である。さらに、島津方から寝返った高橋元種と城井朝房が下についている。高橋と城井は反大友であることから島津に協力していたのを、豊臣の武威に屈したという経歴がある。扱いが難しい人材だからこそ、古参で信頼されている森吉成の下につけられたのだろう。
2の部隊には前野長康。彼もまた古参で、墨俣の一夜城の古きから秀吉に付き従っている。配下には赤松広秀に、明石則実。赤松は秀吉の中国大返しでは殿を務めたほどの剛の者であり、明石は黒田孝高様の従兄弟であるだけに知に優れている。智勇のバランスの取れた部隊だ。
3の部隊の将は中川秀政。妻が、亡き信長の娘という家柄の男だ。従えるのは秀吉子飼いの福島正紀。言わずと知れた武勇の人だが、少しばかりイノシシ武者の傾向がある。そんな彼を諫めるための役が、高山長房。後世では高山右近という名のほうが通りのいいキリシタン大名である。生真面目な人物として知られており、蒲生氏郷や黒田孝高などが影響を受けて洗礼を受けてキリシタンとなっている。
4の部隊。細川忠興と岡本良勝。細川忠興は、愛妻家としても教養人としても知られているが、それよりも俺の周りでは短気な男、いわゆる『瞬間湯沸かし器』として恐れられている。なにせ、妻のガラシャに見惚れていた庭師を嫉妬に駆られて斬り殺しているのだ。そんな細川の指示を仰ぐ岡本良勝は熱田神宮の神官家だけあって穏やかな人だ。
5の部隊は丹羽長重と生駒親正。丹羽長重は、信長の下で活躍した丹羽長秀の息子である。父親は『木綿藤吉、米五郎左、掛かれ柴田に、退き佐久間』のうちの米五郎左であり、米のように毎日の生活に欠かせない人物とまで評されている。そのせいなのか、豊臣の世になってからの丹羽氏は勢力を挫くために冷遇をされている。長重もまた、父親が死んでからというもの秀吉に難癖をつけられて、150万石を相続していたのが、今では15万石に減らされたうえにも、重用していた部下を取り上げられていた。そして、そんな不遇な長重に付けられた生駒親正はといえば、秀吉に気に入られて1000石から6万石にまで成り上がった者だ。彼をひと言で表わすのならば『腹黒』であろうか。今回もまた、長重の粗相を秀吉に告げ口するために同じ舞台に配属されたのだろう、そう俺は考えている。
6の部隊を率いるのは池田照政だ。彼はまさしく平成現代人の創造する『武士』そのものの男だ。寡黙にして精悍、体つきは逞しく、かてて加えて配下の者には寛容で、働きには相応に報いるという、とても出来た人だ。で、そんな池田照政の配下につけた運のいいのが稲葉貞通と林為忠なのだが、両者は飯山城の城代を前後して引き受けて知らぬ仲ではなく、戦場での功績もあることから、池田照政のよき手足となることだろう。
7の部隊には長谷川秀一。この人は、可もなく不可もない、悪く言ってしまうと『ほどほど』の働きしか『できない』または『できる』人だ。配下には、木村重茲と太田一吉。木村重茲は文化人の側面が強く、戦は『そこそこ』こなせるといった印象だ。一方で太田一吉もまた文化人でこそないものの、石田三成とも仲が良く、文治派でありながら『それなり』に戦える。
8の部隊。堀秀政、村上頼勝。堀秀政は数々の戦場で功を遂げている戦上手の男だ。特に小牧・長久手の戦いでは大敗した秀吉軍を追撃せんと攻め寄せた徳川軍勢の榊原康政らを退けることに成功している。また、秀吉からの信頼厚く、一族以外で初めて羽柴の姓を与えられてもいる。村上頼勝に関しては、戦よりは政治向きの男であるとだけ言っておこう。
9の部隊では蒲生氏郷。有名な人だ。信長に見込まれて娘婿になったほどの男で、その後の戦功も目覚ましく、小牧・長久手の戦いでは撤退する秀吉軍の殿を見事につとめあげている。こう言っては何だが、秀吉が恐れている男のうちの1人だろう。それほどに蒲生氏郷という人間は図抜けていた。
10の部隊を指揮するのは前田利家。秀吉の親友だ。若い頃は傾いて悪さもしたが、今では押しも押されもしない大大名となっている。今回の九州征伐には嫡男の利勝も連れてきているが、彼は父親に似て戦上手なうえに、若くして泰然としている。
そして11の部隊だ。豊臣秀勝。隻眼のお馬鹿さんだ。何の苦労もなく秀吉に引き立てられて大名になってしまった男。普通なら恐縮して政の勉強なりをするものだが、こいつは違う。世界は自分を中心に回っていて、幸福を享受するのは当然と考えている節がある。しかも、秀吉の血を引いているからなのか、お調子者というくだらないところだけそっくりそのまま似ている。
俺は、そんな秀勝に従っているわけなのだが。
秀吉の悪ノリなのか、俺は場違いにも上記の武将の集まる軍議に参加をさせられていた。
俺の評価はといえば、秀吉にうまいこと取り入った太鼓持ちだ。島津軍の城を2つ奪ったとはいえ、評判は芳しくない。
さて。
岩石城は捨ておこう。秀吉の提案に面々は同意したものの、無論だが言葉通りに放っておくわけではない。
囲みの兵は置いていかねばならない。
いわば、見張っているだけのお留守番役。戦功にもならない、つまらない役目だ。
ここで『死なずにすむのだから恵まれた役目じゃないか』そう思うような人間は戦国時代で大成できない。むしろ、九州征伐というまず負けようのない大きな勝ち戦で、己の抱えられる以上の手柄をあげて褒美をもらうことを考えるのが大将というものなのだ。
「岩石城の押さえは…氏郷、利勝、それに秀勝に任せようかと思う」
というわけで、当然ながら秀吉に任命された2名は反発した。
前田利勝は25歳。血気盛んな年頃で、ただただ城を囲んでいるなどつまらないと思ってもしようがない。一方で、蒲生氏郷は31歳ながらも戦場に己の価値を見出しているような武者だ。坊主どものお守りなぞしていられるか! といったところだろう。
そして秀勝だが。……うすボンヤリとしている。こいつは本格的な戦というものを経験していないうえに、戦で手柄を上げて褒美をもらうという一連の流れがピンときてないのだろう。なにせ、棚から牡丹餅で大名になってしまった男なのだ。
「岩石城なぞ攻め落としてみせましょう!」
「なにとぞ、ご再考を!」
氏郷と利勝が訴える。
これが2人以外ならば、秀吉の勘気を被っただろう。が、氏郷は世に知れた武者であり、利勝は秀吉の親友の嫡男だ。
如何にも困ったように眉毛を下げて秀吉は2人を見た。
「仕方ないのう」
秀吉が折れる。
もしかしたら。秀吉は端から、これを狙っていたのかも知れない。反発して氏郷と利勝が訴えるのを。
そもそも、この2人を岩石城の押さえに置くのは無駄使いというものなのだから。
「ならば、秀勝。お主を大将に据えて、氏郷と利勝に先鋒を命じる! 好きなように岩石城を攻略いたせ」
ははぁ。
畏まって俺たちは頭を下げたのだが。
俺は見てしまった。秀勝の奴が意地悪そうな片目で俺を見ていたのを。
嫌な予感しかしないぞ…。
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