助言
【天正14年12月22日】
藤堂様が自ら点てた一服を喫っする。
旨かった。
俺も大阪に来てから茶を習うようになったが、とてもじゃないが及ぶものではない。
道具や茶の差ではない。純粋に、点て方が違うのだ。
技術だけではなく、心持ちとでもいうか…未来の知識に照らすと信じられないが、主人の持て成しの心が確実に茶の味に変化を与えているのだ。
「お手前に感服いたします。拙者の精進の足らなさを痛感いたします」
「それがわかるようになったというだけで大したもんだ」
藤堂様は目を細めて言うと、「ふむ」と俺を見て頷いた。
「孫次郎殿は変わりましたな」
ドキリ、とした。俺に前世の記憶が戻ったと悟られるはずもないが…さすがは藤堂様だ。
「兄の…弥三郎様のことがありました故。変わらねばならぬと決心しました」
俺は改めて居住まいをただすと、表情から焦りを見取られる前に頭を下げた。
「九州での弥三郎様の非業を報せていただいただけではなく、多忙の中で会っていただき。まことに感謝いたします」
実際、心苦しいほど感謝している。
藤堂様は体が二つあっても足りないほど忙しいはずなのだ。それというのも、つい先頃まで聚楽第という贅を凝らした平城のなかで徳川家康の屋敷の建設を差配していたし、ただ今では九州攻めに向けて兵の準備をしていることだろう。
ハッキリ言って寝る間もないと思う。
だというのに、面会を申し込んで1日挟んだだけで会ってくれている。
そもそも俺に信親兄の戦死を報せてくれたことが、ありえないほどありがたい。
もしも藤堂様が九州でのことを報告してくださらなかったなら、俺は何時まで経っても信親兄のことを知らないままだったろう。
それほどに、俺、親忠は長曾我部から…正確に言えば実父である元親様から白眼視されている。
理由は、俺が藤堂様と昵懇にしているからだ。
長宗我部元親という人物は、四国の地で連敗しながらも最後には武士の意地を見せて羽柴の軍勢と決戦をするつもりだった。それが臣下に説得されて降伏を選んだ。不完全燃焼だったろうことは想像に難くない。
そのまま大阪にのぼって関白殿下(秀吉)に面会するのだが、死を賜ることを覚悟していた元親様は、案に反して土佐を安堵される。これに元親様は感謝し、関白殿下に忠誠を誓うのだ。
けれど…かりそめにも四国を統一した男なのだ、元親様は。
頭では納得できていても、心が治まるはずもない。
決戦を避けてしまった忸怩たる負い目。
阿波・讃岐・伊予を取り上げられたことの不満。
そういった関白殿下に対する怒りの気持ちが、何処に向くか。
その矛先が藤堂様だった。
藤堂様は四国攻めにも加わっているから何くれと理由づけて憎悪するのに無理なかったろうし、何よりも俺と親しくしているのが都合よかったんだと思う。
元親様は考えたに違いない。
謀略を得意とする藤堂高虎が、親忠に近づいて、長曾我部の乗っ取りを企んでいる、と。
そうして俺を見限ったのだろう。藤堂の真意にも気づけぬ愚か者が、と。
でも、俺にだって言い分はある。
大身の藤堂様が世話を焼いてくださっているのだ。無下にできるはずもない。
しかも長宗我部は俺に対して必要最低限の仕送りしかしてくれなかった。国元が手元不如意なのは分かるが、それを差し引いても納得できかねるものだった。大阪で長宗我部家の体面を保って生活するにあたって、どうしても藤堂様に頼らざるを得なかったのだ。
「気にすることはない。さ、頭を上げな」
面を上げた俺に、藤堂様は訊いた。「して、何用があるのか?」と。
「直截にお尋ねします。拙者が土佐に帰る方法はありましょうか?」
藤堂様は俺の目をジッと見た。まるで真意を探ろうとでもするみたいに。
「尋常な方法では無理だろうな」
「では、尋常ならざる方法では?」
「ある」 が、 と藤堂様は続けた。
「十中八九、孫次郎殿は黄泉の客となろうよ」
「その方法を拙者に教えてはいただけませぬか」
「そこまでして土佐に帰りたいかね?」
はい。俺はうなずいた。
このままでは長宗我部の家が崩れてしまうのだ。親父殿の盛親への肩入れは防げないとしても、吉良親実や比江山親興の粛清だけは何が何でも防がなければならない。彼等がいてこその盤石なのだ。
藤堂様はフッと柔らかく笑った。
「相変わらず真っ直ぐな好い目をしているな、孫次郎殿は」
「そうで…しょうか?」
「ああ。眼差しに穢れがない。儂のような男が道の半ばで置いてきたものを思い出さずにはいられない…眩しいほどの眼差しだ」
と、藤堂様が顔つきを引き締めた。
「近々、関白殿下が太政大臣へと昇進いたす」
「それは…」
歴史を知ってはいても、俺は絶句してしまった。改めてこの歴史上に生きている親忠として聞くと、とんでもないインパクトだ。まさしく偉業。言ってみれば、日本の総理大臣が、アメリカで副大統領を兼業することになりました。それぐらいの凄まじい出来事なのだ。いいや、この場合はパワーバランスを考慮すると逆だろうか。公家のほうが日本、武家がアメリカ、それが妥当だろう。
「知っている者は少数だ。関白殿下は皆をあつめた席で不意打ちに発表して驚かせようと考えておられる」
「関白殿下らしいですね」
秀吉という人物には茶目がある。どんなに偉くなっても子供っぽさが見え隠れした。その無邪気さが、殺し合いに重々しくなった武者の心をほぐして、結果として惹きつけていた。
「孫次郎殿も、発表の席には呼ばれるだろう」
「機会はその時、だと」
うむ。首肯する藤堂様に、俺は深く頭を下げた。
「ご助言、かたじけなし」
「孫次郎殿…生きろとは言わん。だがな。死に時は選べよ」
俺は感極まって頭を上げることができなかった。
これほどまでに優しい言葉をかけてもらったことがなかったのだ。
気を遣ってくれたものか、亭主にもかかわらず藤堂様は茶室を出ていってくれた。
残された俺は、茶室の天井を見上げ。目を閉じ。
そうして腹を括った。
長宗我部の家を残すために。何よりも、俺自身が生きるために、死地を進む。
決意をした。
これから先は、本当に投稿予定がありません。
気が向いたら書かせていただきます。
申し訳ありません。