羽柴秀勝
【天正15年02月09日】
飯を掻き込む。
明日には九州に出発するのだ。おそらく、まともに飯を食べられるのは今日で最後になるだろう。
そう思って食いだめをしていると
「うまそうだな」
対面に座る男が呟いた。
献立は、雑穀飯に大根の葉と豆腐を具にした味噌汁。それにオカラの煮物に、鶏肉とオカラを混ぜて焼いたつみれもどきと大根・ナスの糠漬け。そして牛乳だ。
因みに、すべて自分で拵えている。何故なら、賄いを任す小者がいないからだ。
津野から寄越していた者どもは、みんな帰してしまっていた。手元に置いておいても、俺のような悪しざまに言われている人間に扱われることで連座して白眼視されるだろう。そんなことだったら、これから発展する土佐に戻して不足はずの人手として前向きに働いて欲しかった。
そのような訳で、屋敷にいるのは、近在の村で雇った老爺に老婆が2人ずつでしかない。
「実にうまそうだな」
男が催促するみたいに呟く。
俺は茶碗を置いて、そいつを…清正を見た。
「なんで、あなたがココにいるんですか」
ようやく俺が話しかけたことで、清正が口角を上げる。
「孫次郎殿を見舞おうと思ってな。昨日の怪我がもとで九州に渡れないとなっては、責任を感じるからな」
「それがしは元気です。これでいいでしょう、とっとと帰ってください」
実際、怪我という怪我もなく、打ち身ぐらいで赤タン青タンが残ってるだけだ。
「わざわざ見舞いに来た者に、何の持て成しもしないのが土佐の流儀かね?」
ハァ。俺は聞えよがしの溜め息をついてみせると、俺のものと同じ飯を用意して清正の前に整えた。
なんか清正を前にすると調子が狂う。あいつだ…菊額に雰囲気が似ているからだろう。
「ジジババに食わせようと思っていたんですがね」
「それは済まんことをしたな。後で、詫びに米俵でも持ってくるわ」
…本当に米俵を持ってきそうだな。
まぁ、それならそれで、ジジババで分けてもらえばいい。喜んでくれるだろう。
「これは、うまいな!」
清正が舌鼓を打っている。
「味噌汁だが、味に深みがある」
「出汁をとってますからね」
「出汁だと?」
「小魚を天日干しした物と昆布とを湯にくぐらせて、味をつけるんですよ」
小魚は漁師に頼んで作ってもらった物で、昆布は海産問屋で偶然見つけた物だ。
「ほーん。この漬け物も、面白い味をしてる」
糠漬けは戦国時代にない。登場するのは江戸時代初期からである。
「米糠に野菜を漬けておくんです」
「儂のトコでも出来るかの?」
「簡単ですからね。あとで詳しくお教えします」
「ありがたい。…で、この白いものは何だ?」
「牛の乳です」
聞いた清正がしかめっ面になる。
「体に良いんですよ」
言って、俺はひと息に牛乳を飲み干して見せた。
「おや? 飲めない…おっと、飲まないのですか?」
挑発してやると、清正は意を決したように牛乳を煽った。
「まずいわ!」
何処かで耳にしたような台詞を言いながら、ドン! と椀を箱膳に置く。
「馳走になった」
手を合わせて感謝した清正はスックと立ち上がった。
「さて。腹もくちたし、槍の扱いを指南してやろう」
「端から、その積もりだったんでしょうが」
指摘してやると、清正はニヤリと笑った。
「九州で、どのていど殺れるか観てやる」
「有難いなぞとは思いませんからな」
俺も立ち上がって、愛用の棒を取りに戻った。
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九州への出立の前日。
俺は、夜も眠れないほどの全身の痛みと熱に襲われることになった。
高みはまだまだ遥かに遠い。
【天正15年02月10日】
俺は、秀長の船で九州へと発った。
ヒソヒソと俺への悪意のこもった囁き声を耳にしながら、1人、海を眺める。
「久方ぶりだな、孫次郎殿」
そんな俺に平然と声をかけてくる人がいた。
「ご無沙汰しております、藤堂様」
「また堅苦しいことを。与右衛門でいいと言っているだろうに」
「拙者は初陣も果たしておらぬ者にて、そのような分際をわきまえぬことは出来ませぬ」
くはは。藤堂様は笑うと、ドカリ、俺の前で胡坐をかいた。
「変わらぬよな、孫次郎殿は」
マジマジと俺を見詰めて
「いや、やはり変わったか」
「どのように…見えますか?」
「すこぉし、大人になったように見える」
人に出会い、人を殺し、事件を経験して、決心もついた。それでも藤堂様にとっては少しだけか。
とはいえ、敬愛する人から評価されて嬉しくないはずがない。
「色々とありましたから」
俺は微苦笑して答えた。
「実はな、孫次郎殿の噂を耳にして案じておったのよ。だが、目の輝きは以前のままだ。噂は噂だな」
「拙者の目は、まだ以前のままですか?」
「応さ。純粋に前だけを向いている、一所懸命の武士の目だ」
「なれど、拙者は穢れました」
「何をもって孫次郎殿が己を貶めているのかは分からぬが。儂の考える『武士の穢れ』とは己以外を恃みとしてしまう弱さのこと。その点、孫次郎殿は眩い眼差しのままよ」
言って、藤堂様は立ち上がった。
「これは儂だけの存念ではないぞ。主計頭殿も同じことを言うておった」
そなたは。と続ける。
「武者の心を惹きつけ湧きたたせる」
「勿体ないことを」
「その謙虚なのもまた好い」
ニコリ笑った藤堂様は俺の肩を叩いた。
「なるたけの手助けはする。困ったことがあったら遠慮なく言ってくれ」
「忝し」
噂を耳にしているぐらいだ、藤堂様は俺が土佐と絶縁に近い状態だと知っているだろう。もはや俺に利用価値はない。にもかかわらず手を貸してくれると申し出てくれた。
それが有難かった。そして嬉しかった。
【天正15年02月20日】
その人は、俺に会うなり軽蔑しきった感じで鼻を鳴らした。
「お前が、食わせ者の親忠かよ」
「は!」
と俺は殊勝に頭を下げ続ける。
「聞いたか、皆の者! こやつ、食わせ者だと認めおったぞ」
集まっていた家臣どもが大笑いをする。
「これだけ笑われても口答えすらせんとは、これは余程の意気地なしだ。叔父貴も、どうしてこんな役立たずを余に押し付けるのか」
まったく! 彼は舌打ちをしてから、俺に顔を上げるようぞんざいな口調で言った。
「ほー、面魂だけはなかなか。さすがは蛮地の出だな」
先ほどから好き勝手言ってくれているのは羽柴秀勝。18歳。秀吉の姉の子でありながら、天下人の養子となれた福運の男である。
今は伏し目をしているので秀勝の容姿を子細には見れてないが、遠目だと貧相といえるほどに貧弱な体つきをした少年だった。特徴らしい特徴といえば右目がつぶれた隻眼であることと、如何にも不満がありそうにへの字に曲がって左につりあがった口だろうか。
「で、だ。お前は九州に来るにあたって、何人の部下を連れてきたんだ?」
「1人もおりませぬ」
「1人もおらぬと申すか!」
芝居がかった口調で大仰に秀勝が驚いてみせる。
「それで、どのように武功を上げるつもりだったんだ?」
「徒士にて、島津ばらどもの痩せ首を取ろうかと思うておりました」
「おお、おお! まさしく蛮勇、匹夫の勇じゃのう」
大笑いが起きる。
秀勝はそれを咳払いで黙らせると、
「しかしのぅ。叔父貴に任されたのに、徒士で使うというのは」
言うと「そうじゃ!」と膝を打った。
「親忠、お前に兵を50貸そうではないか」
「殿!」と家臣どもが諫めようとするのを
「よいのだ! こやつに貸すのは文六どもの班よ」
ああそれならば。身を乗り出していた家臣が、嘲弄しつつ居ずまいをただす。
「親忠に改めて言い渡す。余の配下50を引き連れることを許す。せいぜい励め!」
「かたじけのうございます」
俺は深く頭を下げた。




