千熊丸【長曾我部盛親】
【天正15年02月01日】
吉良様の屋敷で、俺は人を待っていた。
庭の見える座敷に胡坐をかいて、熾っている火鉢に覆いかぶさるようにして暖をとる。
今日は寒い。雪が降ってないのが不思議なくらいだ。
カラリ、と前触れもなく襖が開けられた。
開けた人物が俺を見て、驚いた顔で立ち尽くしている。
俺が待っていると知らされてないのだから、面食らうのも致し方ない。
「よ、久しぶりだな」
俺は悪戯が成功して満面の笑顔で出迎えた。
相手は千熊丸。近いうちに元服して盛親と名乗ることになる少年だ。
そう。まだまだ少年だった。天正3年(1575年)生まれだから、今年で12歳になる。
大阪に行く前に見た時より、いちだんと身長が伸びている。
さすがは長宗我部の男だ。
「なんで、孫次郎兄ちゃ…兄上が」
「驚かせたくてな。いいから、こっちこいよ。寒いだろ」
「うん」と素直に返事して、千熊丸が俺の対面にすわる。
兄ちゃん子なのは相変わらずだな。
「兄上。どーしたの、それ?」
千熊丸が、俺の添木で固定された腕を見る。
「船に乗ってたら大きい波が来てさ、コケた」
「コケた、て!」
千熊丸が吹き出す。
俺はその額にデコピンをして黙らせてやった。
「ぃて~」
額をさすりながら千熊丸が上目遣いに俺を見る。
「というかさ、兄上。大阪にいるんじゃなかったのかよ」
「ちょっと津野郷に用事があってな。抜け出してきた」
「抜け出してきた、て……。いいのか?」
「平気だって。明日には帰るからさ。ただ、帰る前に千熊丸には会っておこうと思ってな」
そう言うと、千熊丸は照れたみたいに相好を崩す。
後の世では、傲慢で短気な性格だったなどと伝えられている千熊丸だけど、それは幼い千熊丸の反発だと俺は思っている。
元親様をはじめとして家中の誰もが信親様にばかり期待して、おなじ城に住んでいながら四男の千熊丸は居ないが如く構ってもらえなかったのだ。
寂しかったに違いない。
それで人の気を惹くために我儘をしたり、怒りっぽくなったりしたんじゃないだろうか。
「千熊丸、お前さ。なんか面倒くさいことになってるんだってな」
「そうなんだよ。聞いてくれよ兄ちゃ…兄上」
「兄ちゃんでいいぞ」
「あ、そう? この頃さ、守役のジイジが言葉遣いを改めろって煩くてさ。なんでだか俺を親父様の跡継ぎにしたいみたいなんだよな。五郎次郎兄ちゃんがいるんだから、俺なんか放っておいてくれたらいいのによ」
千熊丸が頬っぺたを膨らませる。まだまだ子供っぽさの抜けない奴だ。
とてもじゃないけど、何時の日にか俺を殺すよう指示する人間だとは思えない。
「お前、そんなに親父様のあとを継ぎたくないの?」
「だってさ、偉くなったら気ままができなくなるじゃん。今だって周りが煩くて、ココに来るまで大変だったんだぜ」
「けど偉くなったら、みんながチヤホヤしてくれるぞ?」
「それはさぁ」と千熊丸が下唇を突き出す。
「結局、偉くなった俺にへつらってるだけだろ」
頭、いいんだよな。ただ純粋すぎる。だからこそ、久武親直みたいな自分本位な腹黒に騙されてしまうんだろう。
とはいえ今世では吉良様がいる。久武の好きにはさせないだろう。
「千熊丸、相撲しないか?」
俺のいきなりの提案に、千熊丸が顔をしかめる。
「この寒いのに? それに兄ちゃん、怪我してるじゃないか」
「寒いからこそ、相撲だろうが。それにな、片腕だろうとまだまだ千熊丸には負けねーよ」
立ち上がって、障子をあけて、庭におりる。
千熊丸はまだ火鉢の前から動かない。
「軟弱か? それとも片腕の俺に負かされるのが怖いか?」
「なわけ、ないだろうが!」
俺を追いかけて、千熊丸が対峙する。
「やるか!」
「おうさ!」
もろ肌脱いだ俺と千熊丸はガッツリ組み合った。
片腕とはいえ、使えないのは左腕、利き腕の右に問題はない。しかも俺は15歳で、千熊丸は12歳。体格の差は大きい。
1回、2回、と俺は千熊丸を投げ飛ばしてやった。3回、4回、と容赦なく転がす。5回、6回、負けん気の強い千熊丸が顔を真っ赤にして向かってくる。7回、8回、9回、互いに白い息をはきながらぶつかり合う。
そして10回目。
俺は千熊丸に組み合ってからの投げで、地面に倒された。
「やったーー!」
千熊丸の勝鬨を耳に、俺は大の字に転がったまま曇り始めた空を見ていた。
「兄ちゃん…大丈夫か?」
上半身から蒸気をあげている千熊丸が、俺を覗き込む。
優しい奴だな。思わず笑ってしまう。
こいつなら、きっと。みんなを幸せにしてくれる。
俺は千熊丸に手を貸してもらって、立ち上がった。
「もうそろそろ、時間だな」
元親様に内緒で千熊丸を連れ出すのは、これぐらいが限度だった。
「いいな~、兄ちゃん。俺も大阪にいきたいなぁ」
その物言いに、俺は苦笑してしまった。
俺は人質なのだ、それぐらいは理解してると思うんだが。
吉良様。これを教育するのは結構な手間ですよ。
「だったらさ、この土佐を大阪みたいにしたらいい」
「はえ?」何言ってるんだコイツは、とでも言いたげに千熊丸が俺を見る。
「そんなの無理に決まってるだろ」
「俺が協力する。大阪から、ありとあらゆる産物と知りえた知識をお前に送る。それでも…無理か? 無理だと思うか?」
「う~ん」と千熊丸は煮え切らない。
だよな。千熊丸は俺の未来知識を知らないのだ。
俺は千熊丸の裸の肩をはたいた。パシーン、といい音が鳴って、千熊丸が飛びあがる。
「いッて~! 何すんだよ、兄ちゃん!」
アハハ、と俺は笑う。
「息災でな、千熊丸」
たぶん。俺はもう千熊丸と会えないだろう。土佐の地を踏むこともないだろう。
何故なら、俺は大阪からの使者である菊額殿を殺してしまったことで、希代の英雄に絡めとられてしまっているのだから。
吉良様の言葉が思い出される。
『孫次郎。お主、魔王にでも見込まれたか?』
恐れている眼差しだった。
俺は、この地に不幸を呼び込む。
それを吉良様は見抜いたのだ。
「兄ちゃんこそ、帰りの船でまたコケるなよな」
「言ってくれる」
俺と千熊丸は笑いあった。
ただの兄弟として笑いあった。




