刺客
【天正15年01月21日】
「この度は、まことにありがとうございました」
松本殿が面を上げ、少し遅れてご内儀も顔を上げる。
病みやつれた顔をしていた。それでも、あれから3日経っているあいだに食べるものを食べたからなのか、血色はいい。
本来ならば、赤の他人である俺にやつれた顔をみせるのは羞恥だろうに。
それだけ、今回のことに感謝しているということだろう。
「妻もこの通り、床を上げることができました」
「感謝しております」
ご内儀が一揖する。
「妻ともよくよく話し合ったのですが、拙者、武士を返上することにしました」
「それは…思い切りましたな」
現状は吉良様の客分ではあるが、没落しつつも帰農することなく、こうして土佐の地まで己の矜持をたもって落ち延びているほどなのだから、松本殿は由緒のある武家であったはずなのだ。
「土佐に来て早や一年と少し。どうにも浮き上がれる兆しがございません。このままでは妻にも産まれたばかりの子にも苦労をさせるばかりですし」
「武士の意地では腹が膨れませぬからな」
「まったく」
「それで、紀州に帰られるのですか?」
「そのことなのですが。拙者…いいえ、わたくし、この土佐の地で商人になろうかと考えております」
「そういえば、紀州ともつながりがあるのでしたね」
「ええ、紀州の物を寄越して売ろうかと」
「なるほど。それはいい考えですが……」
それだけで、商売が成功するだろうか?
俺の不安は、松本殿も考えていたのだろう。
ご内儀と共に、再び頭を下げた。
「つきましては、孫次郎様にお願いしたいことがあるのです。あの米飴と寒天を、わたくしに扱わせていただけませんでしょうか」
ふむ。
それならば、商売としては成功するかもしれない。だけど、商売人としてはどだろうか?
俺はここで仕掛けてみることにした。
「播磨屋は除け者にするということですか?」
「そのような不義理はいたしません」
答えた松本殿の声に微かな怒気がある。侮辱されたと思ったか。
採点する。
俺の安い挑発にのってしまうのは減点だが、誠意はそれを補って余りある。
客には愛されることだろう。
俺は謝罪した。
「すみません、暴言でした」
「いいえ、そのような」
「面を上げてください」
俺が促したことで、夫妻が顔を上げる。
旦那様。とご内儀が促した。
「実を言えば、商人になってはどうかと助言していただいたのが播磨屋さんなのです。それと、商人になることを初めに話すのなら孫次郎様にすべきだ、とも」
播磨屋と松本殿。俺が思っていたよりも、馬が合ったらしい。
「では、播磨屋でも米飴と寒天を売りにだすということですね」
「いいえ、播磨屋さんは制作をして、販売はわたくしが、ということに話し合いました」
勝手に話を進めてしまい、申し訳ありません。と松本殿が恐縮する。
話し合っているうちに盛り上がってしまうことなんて珍しくもないからな。
そんなこと気にしない。
それに、元手のある播磨屋が商品の制作をして、それを松本殿が売るのは、理にかなっていると思う。
俺はうなずいた。
「分かりました。そういうことなら、否やはありません。松本殿と播磨屋とで、少しでも土佐の地を潤わせてください」
「ありがとうございます」
松本殿とご内儀が喜色をうかべる。
「孫次郎様にはどのようにお礼をしていいものでしょうか?」
うん、ようやく俺が期待していた言葉が出てくれた。
「では吉良様に会わせていただきたい。拙者、話した通りに土佐様に会うため来たのですが、とんと沙汰がないのです」
吉良様と俺は面識もある親族だとはいえ、会わしてくれと屋敷を訪なって面会できるような御仁ではない。どうしても仲介を入れないとならないのは、それが武家社会の厳格な身分の上下に関わる重要な手順だからだ。
「分かりました、なんとしてでも吉良様に会えるように手配しましょう。その折、孫次郎様のことを告げてもよろしいでしょうか?」
「問題ありません」
こうして吉良様に会う手がかりを得た俺は、ご内儀の質素ではあるが手間暇のかかった心尽くしをいただいて、満足しつつ松本殿の家を辞した。
辞したのだが。
まずいな…。さっきから男が二人、後をつけてくる。
今日に限って、菊額殿は供についてない。
というのも、彼は食あたりをおこしてしまって宿で寝込んでいるからだ。
勘違いかもと思っていたのだが……人気のない路に入ってしまったところ、男たちが速足に距離を詰めてきていた。
このまま俺の脇を通り過ぎる。なんて都合のいいことを考えちゃいない。
俺は振り向いて、杖代わりにしていた棒を突き付けた。
「止まれ! 何者だ!」
相手は足を止めることなく近づいて、刀の柄に手をかける。
殺る気だ。
辻斬りか。それとも……『十中八九、孫次郎殿は黄泉の客となろうよ』藤堂様の忠告が図に当たってしまったか。
彼我の距離は十数歩。
俺は懐に片手を突っ込んで、そこに仕舞ってあった巾着の紐を緩めた。
そんな俺の仕草を危ぶんだものか、男たちは二言三言交わすと、俺に向かって走り出した。
巾着に入っていたものを掴んで、投げつける。
フワリ、と粉が舞った。
正体は『 灰 』だ。
『何かあったときの用心ですぞ』
と菊額殿に持たされたのだ。
目隠しになれば、と期待したのだが。偶然にも駆けていた男たちの目に灰がはいったようだ。
男たちが立ち止まる。
その隙を見逃す手はない。
俺は駆けると、棒の先を一人の男の喉ぼとけに突っ込んだ。
グボ。奇妙な呼吸音をさせて、喉をおさえた男が血を吐きながらのたうちまわる。
直ぐに残る一人に向けて構える。
相手は既に刀を抜いていた。だが、まだ目はハッキリと見えてないらしい。
棒を突き込むが……刀で弾かれた。
焦りで突き込みが雑だったか。
刀が迫る。
俺は体を開いて躱すと、躱しざまに相手の脛に棒を叩きつけてやった。
当たらない。
跳躍して逃げられた。
対峙する。
奴の目は、もう見えているだろう。
刺客…なのかは知らないが、技量は同等か。
体力では、体の出来ている相手のほうが勝っているだろう。なにせ、俺は十四歳でしかない。筋力でも当然だが負けている。
このまま死合が長引けば、どうしても不利になる。
ならば。奇策しかない、か。
菊額殿に試して一本取れた、技を仕掛ける。
俺は跳び退き、棒を投げつけた。
まさか得物を投げつけられるとは思ってもみなかったのだろう、驚いた表情で、それでも刀で棒を払う。
が、それが隙になる。
棒を放つと同時に駆けだしていた俺は、相手の懐にはいるや居合を抜いた。
鞘走る太刀。
だが、居合が得意ではない俺の技は遅い。
だから相手の左腕を斬り飛ばすことしかできなかった。
しくじった!
そう臍をかんだ時には、相手の刀が振り下ろされていた。
斜めに斬られる。
俺はたたらを踏み……急な斜面から転がり落ちた。




